参の7

 昼のメロドラマでもあるまいし、両者の間から只ならぬ緊張感が漂う。

 しず江を呼び留めた男は大量の汗をかき、その顔つきは大真面目そのものだ。そして、「マーケット小池」本店の店長はエリアマネージャーも同時に兼務するほどの男……、只者であるはずがない。

 現に、うっすらと眉間に刻まれる裂傷痕が、彼の過去を静かに物語っていた。やはり、あの「噂」は本当だったのかもしれない。

 ポロシャツの袖から太く伸びる、はち切れないばかりの上腕二頭筋だけを見ても、普段から鍛え上げられているとが一目でわかる。年齢はおよそ三十代中盤から四十手前だろうか。身長も高く、筋肉質な体格からして格闘家のような威圧感をひしひしと醸し出していた。

 頬を赤らめ、恥ずかしそうに店長から顔を背けるしず江がなんともいじらしく、次第に昭和の青春模様を呈しつつある。

 更に店長は間違いなく、しず江に「惚の字」だった。

 分かり易いほどに、わかり易く。憐れなぐらいにド直球だ。だが、マーケット小池では旧態依然の古い体質に囚われているとも聞いている。特に、職場恋愛などの色恋沙汰は御法度だったはず……。

 ──何もこんな時にと、結子は戸惑った。が、下手を打てば、店長としず江は今生の別れとなってしまう恐れもある。

 なんせ、彼女は魔女の庇護下に入るのだ。そうともなれば、職業や住所はおろか、名前まで変わってしまうかもしれない。しかしながら、その前兆や離別の「予感」をも、この男は鋭敏なまでの嗅覚で察知したのだった。

「帰り際に申し訳ない。急でいきなりな話だとも思った。だが、聞いてくれ。俺は一目会ったその日から、しず江さんのことが……」

「だめよっ! 店長さん、それ以上は言ってはいけないわっ!」

 悲痛な面持ちで抑止を試みるしず江ではあったが、……なんだか、少し芝居掛かっているようにも思える。

 というより、この手の告白劇に慣れているのかもしれない。

 その立ち回り振りは百戦錬磨を彷彿させる猛者でもあった。おまけに、大人しく運転席に座っていたユキまで助手席から顔をだし、「なにごとですか!?」と、二人の行方を嬉々として見守っている。その一方、店長は強く嗜められたせいか、葛藤の表情を崩さぬまま固まっていた。

「店長さんなら……、よくご存知じゃないですか。この店の不文律を。もし社則を破れば、即刻解雇になります」

「ぐっ……! しかし、俺は貴方を真剣にっ!」

 なるほど、店長は切腹覚悟で飛び出してきたというわけだ。

 まるで幕末に散りゆく新撰組の如く儚い……。

 ところでマーケット小池ではどういう雇用体制になっているのか。アイドルでもあるまいし、職場恋愛の禁止など時代錯誤も甚だしい。ただ、昔から地域で云われていた噂が真実であるのであれば、二人の鬼気迫る遣り取りも素直に頷けたのだった。

 

 ──それは、「マーケット小池」の前身が『小池組』と呼ばれる、関東でも有数の指定暴力団組織だった噂に他ならない。

 暴対法の即時施行により、小池組は二十年以上前に縮小、組の解散に追い込まれたが、その際に始めた新たな商売が「マーケット小池」を中心とした小売販売業だったとも伝えられている。

 あくまでも世間上の建前ではあるが、この二つを関連付ける記録や証拠は残っていない……と、いう事になっている。加えて、小池組とマーケット小池の存在自体、年代が被っていることから一種の都市伝説だったとも囁かれていたせいでもあった。……とはいえ、当時この二つが密接に絡んでいたのは隠しようのない事実だろう。現に、マーケット小池では「訳あり」な人材を率先して採用する特別枠が設けられていたりと、妙に過去の接点である「小池組」を匂わせたがっているおかしな企業でもあった。


 いい歳した青春真っ盛りの二人は顔を紅潮させ、もじもじと下を向き、膠着状態のまま黙りこくってしまっている。

 何をまごついているのか、しず江はこの状況を好きこのんで招いた節すらある。時折みせる恍惚の面持ちは、男をたぶらかし、女として生まれてきた喜びを享受しているようにも思えてならなかった。

 ……だとするならば、しず江はとんだ『女狐』である。

 すると、今度は店の倉庫口から一人の男が現れ、此方に向かって悩ましいまでの目線を向けているではないか。痩せ型の店員は手にしていた箱を下に落とし、絶望の表情を浮かべて呆然としている。おそらく、この優男もまたしず江に「惚の字」だったのだろう。

 防水エプロンを纏っている様からみて、刺身、鮮魚担当の店員に違いなかった。と、云うことはつまり、しず江と何かしらの関係や繋がりがあると考えるのが妥当であると見て良い。仮に、優男がその気になって参戦すれば、彼女を巡っての醜いまでの乱痴気騒ぎに発展してしまう恐れもある。

 ……果たして、この女狐は一体、何人の男を手玉にとっているのか。

 うかうかしてれば、第三、第四の男性店員が次々と現れ兼ねない勢いだ。

 そうともなれば、余計に収拾つかない騒ぎになってしまうだろう。危急存亡、店員同士のいがみ合いが始まる前に幕引きを図り、速やかに撤収した方が良さそうだった。

「ユキちゃん、車のエンジンをかけてすぐ出れるようにしてっ!」

「これから、めっちゃ面白くなりそうなのにですか?」

 結子は「いい加減にしろ」と云わんばかりに、ユキをきつく睨みつけ無理矢理にでも従わせる。正直、他人の恋路を邪魔するのは趣味ではないが、最早なり振りを構っている場合ではない。一応だが、即席で講じた策もある。嵌まるかどうかも賭け次第だが、本人たちの人間性を信じるしかなかろう。

 エンジンの作動音を耳で確認し、後部座席のドアを少し開けてから、結子はお邪魔するように二人の間に割って入る。店長のすごい形相に気負いしつつも、勇敢にその一歩を踏み出したのだった。

 所詮、叶わぬ恋であるのであれば、しず江に代わって終わらせてやるのも仕事のうち。二人には悪いが、物事には優先すべき順序や事柄があるのだ。

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