参の4

 紛うことなき、西園寺エリスは厄介な魔女だった。

 僅かでも気を抜けば、たちまち人の心を覗いてくる。まるで、上空に目でもついてるのかと疑うほどの洞察力……。エリスはとにかく他の魔女とは異なり、実行性や結果を即座に求めてくるような魔女だった。

 特に、時間という概念に関してはやたら厳しい側面がある。報酬が弾む分だけ、的確な行動がより求められるからなのだろう。うかうかとしていれば催促の電話が鳴り響く。結子は伝票を手に取り、苛つくように会計を済ますと、重たそうな鞄を肩に掛けて現場へと足を向けた。


 彼女が勤める「マーケット小池」まで歩いて5分ほどの距離だろうか。すこし歩けば浜辺が望める住みやすそうな臨海都市でもある。大学時代は同じ市内で下宿していたが、随分と様変わりしてしまったものだった。

 背の高い建物がやたらと増え、以前のような古い面影は無くなりつつある。ついこの間まで見慣れていた景色が、どこかで朽ち果て、また新しく生まれ変わる。儚くも、時代も町並みもそうやって流転していくものなのだろう。

 ……海鳥が遠くで鳴いている。

 ……潮風の香りと沈みゆく夕日が切なく郷愁を誘うようだ。

 あの頃は、しがない貧乏学生でしかなかったが、それなりに充実していて楽しい毎日だった。遊びや恋にも現を抜かさず、勉学にひたすら励んでいたのも、輝かしい未来をどこかで想像していたからなのだろう。

 ただ、なりたかった理想の自分とは程遠く、過ぎ去ってしまった過去なんてものには一文の値打ちもないように思えてしまってならなかった。

 昔を懐かしむ暇なく、しず江の顔写真をもう一度だけ確認する。

 如何にもという幸の薄そうな顔だが、顔立ちはそれなりに整っており、化粧が映えしそうなタイプだ。悪いが、この手の女は人心を弄んできた恐れがある。これは偏見というより、経験則により導き出される傾向のひとつ。数々の依頼人に接して仕事をしていれば、自ずと身に付く統計でもあった。

 無駄な雑念を払いつつ、結子はできるだけ早足で歩く。

 頭の中で、これからの段取りをざっと計算し、先程あがってきた情報も同時に精査する。そうこうしてる内に現場の近くの駐車場に到着し、監視役を任せている「ユキ」の姿がひょっこりと現れた。

 身長が異様に低く、ヒヨコのような可愛らしい成りをしている。アイスを両手に持ち、ぴょこぴょこと跳ねながら店内の様子を伺っていた。あれほど目立つなと注意していたのにも関わらず、またフリル全開の派手な服を着ている。他に適当な服装はなかったのかと、目を疑うほどの出で立ちだった。

「ユキちゃん、中の様子はどう?」

「あ、あ、ああっ。吉備所長、お疲れ様っス。チッス、チッス」

「もう日が暮れるのだから、サングラスぐらい外しなさいよ」

「あ、あいっ」と、ハート型のサングラスを額の上に乗せながら、食べかけのアイスを無理やり口に詰め込む。日頃から落ちつきのない新人だが、これが仕様でもある。知人が面白そうだからと連れてきた子だったが、いまのところ使えそうなきらいはない。ただ、妙に憎めない子だった。

「で、どうなのよ。しず江さんは中にいるの?」

「いまのところ、異常ありません。さっきから、鮮魚売り場で品出しやってましたよ。アイス売り場もどこにあるか何気に聞いちゃいましたし、気の良さそうな人でした」

 存外、余計なことをしている。もっと適当な人材を連れてくるべきだったが、話が急すぎて現場に人員を割いてる余裕はなかったのだ。たまたま暇にしていたユキを連れてきてしまったが、これは失敗だったかもしれない。

 やや不服気味な顔をしながら「それなら、いまが抑えどきね」と、結子は店に目を向けた。仕事帰りの買い物客が賑わう店内は人でごった返している。しず江に声をかけるにしても憚れる場面ではあるが、彼女の勤務時間が終わるまで待つわけにはいかなかった。

「ユキ、車を裏に回しておいてちょうだい。すこし強引にいくわ」

「ええっ、誘拐でもするんスか?」

「縁起でもないこと言わないの。ほら、さっさといきなさい」

 ユキは「ガッテン承知」と、時代遅れな空返事をすると、残ったアイスを咥えながら速やかに駐車場に消えてゆく。途中、つまづいて転びそうになったり、振り向きざまに変なポーズをとって健在を誇示してきたりと、枚挙に遑がない。本当に任せて大丈夫だったのか……。

 結子は襟元をさっと正して、店内を用心深く凝視する。さて、どう攻め落としてゆくか。威圧するような真似は極力避けたい。最悪、対象者が逃げ出してしまう恐れがある。その為には、慎重かつ迅速にことを運ばねばならないだろう。

 ふう、と軽く息を吐き、気を取り直すように両頬を叩く。「集中、集中」と、自らに声をかけ、結子は勇みたつ騎士の如く店内へと歩を進めたのだった。

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