弐の11

 水を一口含み、さっと脚を組み替え、いち華は改めて正面に向き直す。エリスも片眉を上げてタバコを吹かしながら、その所作に悠々と応えたのだった。

「今更だけど、その『姐さま』っていうのが、あたしの産みの母親なんでしょ?」

「そうよ。名前は『マリア』っていうわ。姐さまは、あなたのお母さんよ」

「……やっぱりね。どおりで、あたしに優しいわけだ」

「親類の子供が困っているのだもの。助けるのは当然の流れよ」

「ところで、西園寺さんは、あたしの叔母さまだったりするのかしら?」

 と、脱力したように椅子の背にもたれ、今度はいち華が片眉を上げた。

「いや、全然よ。遠縁の親戚にはあたるだろうけど、ほぼ赤の他人でしょうね」

 相も変わらず、鼻先にもかけぬあっさりとした回答だったものの、いち華の内心は思いのほか動揺していた。

 真っ先に思い浮かぶのは、どのような経緯を辿ってこのような状況に陥ってしまったかだ。自分は捨てられてしまったのか、それとも誘拐されたのか。

 いずれにせよ、しず江から聴かされていた魔女の印象とは、だいぶ掛け離れていただけに混乱する。大体、魔女がこんな金に汚い守銭奴とは聴いていなかったし、云ってることとやってることが支離滅裂で、聴いていた情報とは、まるで噛み合わなかった。

 そもそも、原点に立ち返ってみれば「魔女」とは一体何者なのだろうか。

 一族同士の絆が強固なだけに、これだけ必死となると少数精鋭の組織なのかもしれない。ただ、自らを「遠縁の親戚」「赤の他人」と云ってるとおり、魔女たちを構成する基準もよくわからなかった。そして、魔女が「姐さま」と呼称するマリア本人は生きているのか、死んでいるのか、それすらよくわからない。いち華はまず、その辺りから少し探ってみることにした。

「でも、本来なら、本人が訪ねてくるのが筋じゃない?」

「姐さまにも色々と事情があるのよ。意外といちいち細かいのね」

「だからって、我が子を捨てるものなの? どう考えても普通じゃないわよ」

「そうね。確かにそうだけど『優しさがゆえ』の人なのよ。でも、そんな風に憤るところも、姐さまにそっくりね」

 と、エリスは今でも吹き出しそうな面持ちを向けるのだった。

 いち華は間髪入れず「ちょっと、 あたしの話をしてるわけじゃないのよっ!?」と、憤慨すると、エリスは「待ってました」と言わんばかりに手を叩き、ケタケタと陽気に笑い出すのだった。

 先ほどから茶化されているのか、何がそんなに可笑しいのか理解ができない。それに、これ以上の会話は暖簾に腕押しな気もした。

 ……とはいえ、この返答からしてマリアは存命であると推察できる。

 わざわざ代理を迎えによこすほどだ。言葉の濁らせ具合からも、下手すれば魔女たちと敵対してる可能性すらある。しかし、エリスはいち華の思惑を渋々汲み取ったのか、続けてこう言葉を重ねてきたのだった。

「……もし、姐さまのことを知りたいなら、わたしの仕事を手伝うといいわ。おかしな勘ぐりを入れるよりも、自分の目で真実を確かめなさいな。きっと、そっちの方が楽しいわよ?」

「べ、別にそんなに気になってないわよ。それに、手伝っても嫌な予感しかしないし」

「退屈はさせないわ。保証する」

「随分な自信ね。でも、あたしみたいなじゃじゃ馬を飼いならすのは大変じゃない?」

 エリスはタバコの灰をひとつ落としてから口角をあげ「乗馬なら得意よ」と、皮肉を交えて返してみせる。ユーモアのセンスはともかくとして、これが、年の功というものなのか。歯にも着せぬ物言いでズルズルと引っ張られてしまった気もするが、魔女の組織については、正直に好奇心をくすぐられる個性がある。

 とりわけ、当たり障りのない食傷気味な人生を送るよは幾分マシかもしれない。それとも、魔女特有の口車に乗せられているだけなのか。

「とりあえず、しず江さんは保護するわよ。いいわね?」

「ああ。はいはい、よろしく頼むわ」

「ほんと、お座なりねぇ……」

「一応はあたしの育ての母親だから、くれぐれも丁重にお願いするわね、?」と、肩肘をつきながら顔を傾け、いち華はねだるように軽口を叩いてみせる。「……ったく、調子に乗るんじゃないわよ」と、云いつつも、はにかみながら生真面目に電話をかけるエリスはなんだか滑稽に映った。その横顔は、まだまだあどけなさが残る少女のように可愛らしい。


 沈みかけた窓の夕日は黄金色に輝き、二人の顔を鮮やかに照らす。

 眼下に広がる街並みが延々と続き、夜の様相を次第に醸し出していた。自分の住んでいる場所はどの辺りになるのだろうか。いち華は訝しむように山の稜線に目を向け、この中の何処かに潜伏する熊を静かに想像した。


 ──あれは普通の『クマ』と呼ぶには少々理が違う。


 大昔から人知れず存在をひた隠しにしてきた希少種でもある。既に山に生息している痕跡は見つけているとはいえ、いずれ野生に目覚めて人の目につけば大騒ぎになるだろう。事が公になる前に何としてもあの熊を捕まえ、直ちに回収しなければならなかった。

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