弐の8
目の前のドアがゆっくりと開き、エリスはいち華の手をとって最上階のフロアへ躍り出る。足取りも軽やかに、ひらりと舞い降りたのだった。
通路には赤い絨毯が敷き詰められ、歩くたびに心地よい感触が足に伝わる。壁には見覚えのある絵画が多数立て掛けられ、天井には荘厳なまでのシャンデリアが連々とぶら下がっていた。
不思議なぐらい魔女は上機嫌だ。仲の良い姉妹でもあるまいし、なにをそんなに浮かれているのか。ただ、この魔女からは妙な親近感を覚えているのは確かだった。幼馴染や同級生はおろか、しず江にすら抱いたことのない親しみの感情に少し動揺している。まるで、催眠術にでもかけられている気分だ。
通路をしばらく進み、部屋がある出入り口付近まで来ると、二人の男が魔女を出迎えていた。明らかに、レンジの仲間だろう。同じ型の黒服を着用しているのを目にする限り、魔女の抱えている部下に違いなく、風貌からして、とてもカタギには見えなかった。
エリスが軽く片手を上げると、設置されているゲートが自動で開き、部屋の奥へと通される。二人の男は玄関らしき場所で一礼をしてからドアを閉めると、鍵が外側から施錠される音が聞こえた。厳重すぎる警備に少々驚かされたが、それだけ魔女が世間で成功を収めているという証拠に他ならない。組織の規模は定かではないが、こんな連中が他にも沢山いるのだろう。
薄暗い廊下の先を抜けると、広々としたリビングが現れた。
高級の名に恥じない豪華な一室だ。いわゆる、スウィート・ルームというものなのか、建物の構造からしてフロアの大部分が使用されているのだろう。全面に張り巡らされたガラス窓の大きさから推測しても、余裕を持った贅沢な作りが伺える。
「飲み物は、なにがいい?」
と、エリスはのんびりと冷蔵庫をあさり始めていたが、「水でいいわ」と、横から手を伸ばし、いち華はミネラルウォーターのボトルを手に取る。
話の本題には早く入りたくて、やきもきしていたところだ。のらりくらりと、いつまでも躱されていては堪らない。
「せっかちねえ、ほんと、姐さまそっくりだわ」
「姐さまって、お母さんのこと?」
すると、エリスは眉を少しさげて小さく首を振る。「わたしが、しず江さんと血縁関係にみえて?」と、訝しげに目を細めた。
いち華は、その視線を嫌うように下を俯く。
不意に痛い所を突かれてしまったようだった。薄々、しず江が産みの親ではないと勘づいてはいたが、改めて面を向かって言われるとそれなりに堪えるものがある。しず江の失踪劇についても同様に、心当たりがあったからだった。
どこから話せばいいかしらねえ……と、エリスは小首を傾げながら見慣れぬ柄の酒瓶とグラスを持ってテーブルの方へと促す。テーブルにはノートパソコンやら、ペンや書類がとっちらかっている。片付ける暇なく部屋を飛び出してきた様子がそこにはあった。
取り敢えずは椅子に腰掛けてミネラルウォーターのフタを開ける。
エリスは対面に座り、嬉しそうに酒を注いでいた。未成年にも関わらず、飲酒をしてもいいのかと常識を疑ったが、あらかじめその反応を想定していたのか、エリスはにやけながら囁く。
「問題ないのよ。私、これでもとっくに二十歳は超えてるからさ」
「ええっ! でもさ、あなたどう見たって……」
はい、乾杯よ。と、エリスは陽気にグラスを差し出した。そんなつもりで付いてきたわけではなかったが、何故だかあまり悪い気はしない。いち華は少し躊躇しつつも、そっとボトルを合わせたのだった。
──「最初に伝えておくけど、お母さん……。しず江さんが見つかったわよ」
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