壱の3

 ──期待で胸が高まる。


 エリスがここに来た目的はいうまでもなく、いち華本人だった。

 日本刀まで帯刀してたいとなると俄然興味が湧いてくる。何年振りだろうか。年甲斐もなく好奇心で浮き足立ってしまう。そして、一刻も早くいち華に会ってみたいとも思った。だが、周囲は見果たす限りの大自然。山林に囲まれ視界も悪く、遠近感まで狂ってしまう。おまけに、目眩がするほどだ。

 遠目から見失わないよう、いち華の姿を目に追っていたつもりだったが、思いの他に彼女の足が速い。対して、此方は急勾配な上り坂になっている。早足でいくら距離を詰めようとも徐々に離されている気がしてならなかった。それとも、此方の存在に勘づいているのだろうか……。

 延々と続く登り坂。足が鉛のように重くなり息も上がる。歩道は整備が行き届いておらず、なかなかの悪路だ。今更だが、気張ってヒールなど履いてきたのが何かの間違いだったのだろう。田舎の道は都心とは違って融通が効くわけでもない。いくら払い落としても付き纏ってくる虫も気に食わなかった。

 これだから自然は苦手なのだ。夏は暑くて不快だし、冬は寒くて身動きがとれなくなる。不満を挙げればきりがなかった。未来の自然を守れだの声高に叫んでみたところで、所詮は人間にとって都合の良い環境だけなのだろう。

「なんなのよ、もう……」と、エリスは小さく弱音を吐いた。歩いても歩いても、ちっとも距離が縮まらない。

 日頃の運動不足が祟ってしまったのか、エリスが坂を上がるよりも早くいち華は何処かに行方を眩ましてしまった。まだ半信半疑だが、やはり此方に気づかれてしまったのだろか。うまく巻かれてしまった感じもする。

 しかし、こちらも必死だ。背に腹はかえられない。エリスは両手でスカートをわし掴み、急いで駆け上がった。橋を目指して一目散に。だが、なるべく早く坂を上りきったものの、いち華の姿はどこにも見当たらない。ひと足遅かったのか……。見知らぬ土地とはいえ、少し目を離した隙にこの有様だ。本当にここは東京なのだろうか。

 だがしかし、そう遠くへは移動してないず。簡単に諦めてはいけない。肩で息をしながらエリスは注意深く周囲を見渡した。谷沿い側の道は見晴らし位のいい一本道。橋から伸びる国道にひと気はなく、閑散としている……と、するのであれば、民家が見える脇道に入るほかなかろう。

 エリスは滴る汗を手で拭う。初夏に関わらず、今日はやたらと蒸し暑い。

 燦々と照りつける直射日光が行く手を遮っているように思えてしまう。ため息をつき、雲ひとつない空を見上げる。「厄日かもしれないな」と半ばあきらめを込め、情け容赦ない日射しにうんざりしながらも枝分かれした小道を進んだ。暫くすると、今度は広めの袋小路に突き当たった。

 前方は鬱蒼と茂る竹林……。

 到底、いち華がこの先を入っていくのは考えにくい。それともこの近所に自宅があるのだろうか。しかし、そういう報告は受けてはいない。ただ、よくよく見渡してみれば左手に隣接する民家の一件が雑貨店になっている。「なるほど、そういうことね」と、すぐに合点がいった。


 ……おそらく、いち華はこの雑貨店の中だろう。

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