第2話 エアリアルトート・インフェクション
「この件……どう思います?」
「どうと言われても、その冊子に書いてあること以上は、自分が調べても出ては来ないと思いますが」
「ああ、そういうことではなくて……」
曖昧な笑いを浮かべる彼を、ヨダカは室内に招き入れる。
「個人的な意見を聞きたいってことですかね、はは、わかりますよ」
「そんなことで来ちゃって、すみません。でもなんだか他の人にこういうこと、言うのも、憚られて」
顔馴染みのパン屋のお兄ちゃんである。彼はソファに座って溜息を吐いた。
「トアル国で発生した感染症の、特効薬。完成してよかったんじゃないですか」
「……僕は、メデゥのファンでした」
どういう顔をしたらいいかわからないような顔をして、彼はその名前を低い声で言った。
「有名な方ですから、自分ですら歌を聞いたことがありますよ」
「素晴らしい歌手でした……でも感染症にかかった。そして、あの、忌まわしい厄災研究者の手によって、拉致監禁されて……命まで落としました」
彼の持ってきた冊子にもそう書いてある。
随分と巷を賑わせたニュースだった。
「残念でしたね」
「その薬を使うことに……途轍もない罪悪感を……覚えます。彼と同一化した悪になるような……ひどい嫌悪感です」
厄災研究者は、結局のところそうして特効薬をつくりあげたのだった。
その薬しか、いま現在、確実に効果のある薬は存在しないのだった。
「薬に罪はありません。効くなら使うべきです」
「そう……でしょうか?」
諦念を宿した眼で、ヨダカは肯いた。
「歴史はどうせ、そういうものの積み重ね。すべからく死体の上ですよ」
彼は黙り込んだ。そして、かたかたと不自然に身体を揺らした。
がくん、と仰け反って突然に凶悪な笑顔を浮かべた。
はへへはははは、と口の端から噴くような嘲笑の息を漏らす。
「異世界から来た探偵、とか言うから期待したがそんなもんかよ」
ヨダカは大して動じなかった。
数日前から、彼の様子はおかしかったし時折瞳が空虚に囚われるのを確認していた。
「こんな薬など使わず、正義のために死ねと御高説垂れるかと思ったのによぉ!俺を殺した連中みたいになぁ!」
「おまえを、殺した?」
「そうだ、俺は殺された。メデゥの死体を散々切り刻んだあとだけどな。余すことなく堪能して、そして……薬が完成したと発表したあとさ。そのときメデゥが死んだのもバレた。俺は研究しかしてねぇから体力なんざ虫みたいなもんだった、取り囲まれてあらゆる罵倒の言葉を受けて、俺も身体中を切り刻まれた。正義は為されなければならないと、正義、正義、正義!俺は正義に殺された!」
「……ご本人が悪霊になっていたのか」
「トアル国はメデゥの死を悼み、悪魔の薬は使わないと死に絶えた。まぁそれが見られただけでもよかったぜ」
引き攣るようにいつまでも彼は笑い声をあげていた。空虚。
「つまんねえ!ああつまんねえ!もう飽きたよ、さよならだ。おまえはつまらねえ」
彼の背中からめきめきと羽が生える。
飛び去ろうとする悪霊だったが、部屋に張られてあった結界に引っかかる。
「おっ!?」
蔦のような光の触手に絡まれて、逃れることが出来ない。
「くっそ、なんだこれ」
「まあそれは普段からの備えってやつなんですがね」
「ま、待て」
「こっちは特注」
聖水と、白魔法を込めた銃弾。
「殺すのか!俺を殺すのか!あいつらと同じように!」
どこか、それを望んですらいるような。
「彼らは、善いことをしようとしてあなたを殺した」
ヨダカは落ち着いた様子で。淡々と。
「自分がするのは、自分が好ましく思う人々に害を及ぼされないため、極めて自己中心的な考えで、あなたを処分させてもらいます」
彼、は興味深そうな表情を一瞬見せた。
「異世界ってのはそんなか?」
「いいえ」
善いことをしなけらばならなかった。
だからみんな苦しかった。
自分の半分を常に否定し続けなければならなかった。
だからみんな苦しかった。
苦しくあるために生きていた。
「そうなのか」
「愚民はどこの世界でも愚民だし、一線を越えられないでいる知的生命体はどこもそうそう変わらんですよ」
ヨダカは銃弾を撃ち込んだ。
「ははは、そうやって殺されるんなら悪くねえ、善意で踏み躙られるよりよっぽどな!」
悪霊は消滅する。
憑依されていた彼が目を覚ます。
ゆっくりと頭を振って、それから、少し申し訳なさそうに、
「ぼんやりと……だけ、覚えているんだけれど……」
「そうですか」
「僕はたしかにメデゥのファンだった」
「そして」
「記事を読んで、思った……彼女は洗脳されていたんじゃないんだろうか」
ゆっくりともう一度、彼は持ってきた冊子を開く。
そこには、研究者とともに写っている、幸せそうな笑顔の女性。
そして彼女の肉筆と思われる、写真に書き込まれたメッセージ。
『今日もたくさん笑った!
免疫力あがってる気がする!』
「さあ、どうなんでしょうね」
「可哀想に……この写真、ねえ、本当に、幸せに見える。可哀想に」
紙を指でなぞる。
「もしかして、本当に、幸せだったんじゃないだろうか、なんて、口が裂けても言えないけれど、でも」
涙を。ぽたぽたと。
推測と願望の区別がつかないことを彼は知っているのだろうとヨダカは思った。
明日の昼食は彼の店で買おう。
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