交錯漸近線の事keen簿を投げつけろ

ふにゃこ(水上える)

第1話 クローズド・バックドア


 人生に絶望して首を吊ったはずなのだが、ヨダカは知らない場所で目を覚ました。

 どうやら巷によくある異世界転生というやつらしい。


 そして彼はとある街で探偵をやっている。



「……というわけなので、この部屋はドアの鍵も締まっていたし、窓の鍵も締まっていました。転移魔法もビルの魔術的セキュリティで不可能なはずです。なのに彼女は殺されてしまった……」


 殺害された女性の、恋人と覚しき有角種の男性は、泣き崩れそうなのをどうにか耐えながら説明をしてくれた。

 この街に自警団はあるが警察のような組織ではなく、「事件の真相を解明する」なんていうことを仕事にしているのはおそらく彼ひとりだけ。


「僕は彼女を愛していた……どうしてこんなことに……」


 彼のアリバイは確認済み。

 死亡推定時刻には勤務先でずっと事務仕事に明け暮れていたのを、同僚の皆に目撃されている。

 なお、死因は胸を刺されて失血死だ。凶器は部屋にもともとあったナイフで、死体の傍らに落ちていた。

 鑑識まがいのことをやってくれているのは、死者の弔いが本来の仕事の「葬儀屋」と呼ばれる知人だ。この世界に転生して初めて出来た友人でもある。




 密室。


 話を聞き終わるとヨダカはノートに書き出した条件を眺め、


「……まあ結論はひとつでしょうな」


「犯人がわかったのですか!?」


「彼女は妊娠していましたね?」


「えっ……はあ、わかりません」


「調べてみるといい。犯人は、彼女の子供です」


 ノートをぱたんと閉じて告げる。

 涙目の男は、意味がよくわからないという顔をして、


「彼女の、子供」


 と、繰り返した。


「彼女、バイペダルリバーインプ種の妊娠期間は、数日から数年。つまり、生まれてくる子供の気分次第です。すぐに生まれたければすぐに出てくる、生まれたくなければそのまま生まれずに帰ることさえ可能です」


「つまり、生まれた子供が彼女を殺した……? それで、そいつはどこへ?」


「産道を通ってもとの場所に帰ったんでしょう。彼は、おそらく、生まれたくはなかった。母親を憎悪し殺害せしめるほどに、生まれたくなかった。まあ、子供が親を殺すなんてよくあることです」


「そんな……」


「誰も出入りできない部屋で彼女から生まれ、彼女を殺し、そして生まれなかったことにするために腹へ戻っていった。密室殺人の完成です。まあ捕まえたければ、もう一度生まれてくるのを待つしかないでしょうな。生まれてきたところで、それが同一個体だと証明できるものも、なにも……」


「……二度と生まれてこなければ……罪には問えない、と?」


「出生前の胎児に権利能力はありません。彼は、いまだ『生まれていない』のです」


「ひどい……そんなひどい話があるか……! 犯人を八つ裂きにさせてくれよ……!」


「まあしかし……子供の父親は貴方なのでしょう?」


「それは……もちろん、可能性があるとすれば、自分だけです。許しません」


「こうは考えられませんか? 彼、もしくは彼女が、なぜ生まれたくなかったのか」


「なぜ……か、わかりません。わかるわけがない。生まれていないのに?」


 存在していないものの気持ちなんて、存在しない、とでも言うように。彼は。

 言い含めるようにヨダカはゆっくりと、伝えた。


「生まれたら不幸になることがわかりきっていたから。避妊もせず妊娠したかどうかも眼中にないような、いたわりのない性行為で発生し、腹の中から感じられる不幸……暴言でしょうかね、暴力でしょうかね」


「そ、それは……」


 明らかなうろたえを見せたから、ヨダカは確信を持った。


「原因の一端はあなたにもある」


「ふざけるな……ふざけるなよ。そんなわけがあるか」


「ふざけてませんが」



「僕は彼女を殺したいなどと、一度も思ったことはない!」



 それは真摯な叫びではあった。そして間違いなく彼の心底からの意思であっただろう。


 ヨダカはその怒号に、軽く目を伏せてやや自嘲的な半笑いを返す。


「はあ、まあ、思ったことしか発現しない世界なら、生きるのも楽だったでしょうに」




 金を叩きつけて彼は帰っていった。

 きちんと払ってくれたのは、情報を漏洩しないための費用でもあるのだと、それとなく言ったせいかもしれない。


 死体を管理している葬儀屋に連絡して調べてもらったところ、その死体には妊娠、出産、そして再度腹に戻った痕跡がたしかにあったそうだ。


 ソファにぎぎいともたれて、ヨダカは天井を見上げた。


「あー……俺も生まれたくなかったなぁ……」


 首をさする。彼の身体には、首を吊った縄の跡が残っているが、それを見て「首を吊ったのか? まさか死のうとしたのか?」と尋ねるものはここにはいない。


 こんな部位をいくら絞めても死なない人たちが、たくさんいるからな。


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