第2話

 あの日はいきなりやってきた。


 目が覚めると薄暗い部屋にいた。私は仰向けでベッドに寝ている。天井はコンクリートで、蛍光灯がついているけど光が弱いのか、視界の端の方は暗くなっているのがわかる。

 意識がぼんやりしている。ここにいるのはなんでだろう。最後の光景はなんだっただろう。高校へ向かう途中のバス車窓から外を眺めていたんだっけ――

 カタッ、とどこかで音がした。

「やあ、目が覚めたようだな」

 視線をふわふわと動かす。頭がぼんやりとしていてよくわからないけれど、私の周りで何か変化があって、視界にソレを捉えられると直感した。しかし視線は天井のあたりでくるくるして何も見つけない。


 カツ、カツ、と今度は別の音がする。

「まだ回路が不安定で体はろくに動くまい。聞け。お前はこれから俺たちの組織で働くことになった。体が動くようになったら訓練を受けて命令を受けろ」

 カツ、カツ、音は遠ざかる。

 その時、私の視線は横へ向いた。

 白衣の後姿、おそらく男だろう。ソレが遠ざかる。

 カタッ、と音が鳴り、金属のドアがスライドして閉まった。

 動く物がない。聞こえる音もない。

 部屋に変化がなくなり、私は意識を暗転させるように最近のことを思い出した。


 *


 私は高校に入学して、普通に生活していた。普通に起床して、普通に登校して、普通に勉強して、普通にボッチ飯を食い、普通に寝たフリをしながら聞いた「アイツ良い子ぶってるよな」という悪口が自分に向いていないかを心配したり、普通に帰宅して、親から「学校はどう?」と聞かれれば普通に「普通だよ」と言い、普通に寝てまた明日。二年生になってから何かが変わるかと思えば、何も変わらない。

 普通なワケないじゃん。こんなに退屈で窮屈なことがたくさんあるのが普通だと思えるのだとしたら私はどうかしてる。いつかヒーローが現れてこの生活に明るい変化を与えてくれたら、と思っていたが、ヒーローは怪人退治に多忙らしい。多忙であると思いたい。そうでないなら救いがないからだ。

 ヒー

 ロー

 は

 存

 在

 し

 な――

 ――――

 ――――――――


「じゃああの的狙って低出力でレーザー撃ってみて」

 隣に立っている研究員の男の声にハッとする――あの日コンクリートの部屋で見た男とは違った。長髪に眼鏡をかけた男だ。

 屋内射撃場のような所でここから五十メートルほど先に自動車があり、そこに的がついている。その的を狙って撃てということだ。

 すっかり機械らしくなってしまった白い塗装の腕を的へ向ける。操作については事前に教えられている。決まった様に意識を集中すればいい。

 視界に十字や円状の光像を表示し照準を定める。もう眼球も人間のものではなくなっている。感覚的にも変わってしまったようで、目で定めた照準へ向かって腕のレーザーが当たるよう補正がかかっていることが直感でわかった。

 自分の体については機能の説明を受けた時に鏡で見たことがある。全身が白い塗装の人型機械で、頭には髪のような長い糸状のもの――体を覆って光学的に相手の目を欺くことができる機能――がある。両目は薄っすらと光を放ち、そして手のひらにはレーザーが出るレンズのようなものがはめ込まれている。

 意識を集中して、レーザーを放った。

 瞬く間に――まぶたはないが――自動車が爆発する。レーザーが当たったのだ。感覚的には熱さも何もない。スプリンクラーから水が撒かれ炎が消え去ると、自動車の奥の分厚い金属板に大穴が開いていることがわかった。


「おめでとう、君は最高傑作だな。たぶん怪人としても活躍できる。頑張れ」

「他の怪人もあなたが?」

「まあね。元々僕が怪人を作る計画を持ってたんだけど、資金がなかったんだ。そんな時にここのボスが研究にたんまり資金を出してくれるって言うんで、僕は研究をしながら怪人を作り続けている。毎日かなり充実してるね」


 この男が悪人なのかそうでないのかよくわからないが、悪党の一味なのは確かだ。自分の計画のことしか考えていない。怪人にされる人間のことも、怪人がこの世界に与える被害についても気にしている様子はない。

 男がため息をついて言った。

「ただもったいないなって思うのはさ、自爆装置内臓してることだよね。これはボスの命令だから仕方ないんだけど、スペースの無駄でしかない」

「どうして自爆装置が必要なのでしょう」

「ボスが逆らった怪人を遠隔で始末するためだよ。あと怪人が倒された時に爆発して相手に残骸を研究させない目的もあるらしい。そんなのどうでもいいと思わない? そのスペースにもっと必要なもの詰め込む方がよっぽど大事でしょ……っと、今のはボスへの愚痴じゃないからね。でも内緒でよろしく頼むよ」

「はい。ちなみに、どうして怪人なのでしょう」

「現状で最も優れた人工知能に操作させるより柔軟だし、人間に複雑困難な操縦をさせるよりも感覚的かつ優れた操作が可能になるからだ。すごいだろう」


 *


 私は怪人として活動を開始した。活動はボスからの命令で決まる。命令はメッセージとして私の受信機へと届き、それが目の前に表示されて見える。

 破壊活動を行ったり、強盗略奪など様々だった。もちろんヒーローらしき仮面の連中や警察など銃を持った相手とも出くわしたことはあるが、腕の高出力レーザーと頭の光学迷彩の敵ではなく命令実行に支障はなかった。

 好んでやっているわけではない。命令に逆らったら自分がどうなるかがわかっているからだ。これは悪人だろうか。悪党であることには変わりないが。しかし命令実行に対する戸惑いが薄れ慣れてくる自分はやはり悪人なのかもしれない。


 順調に命令をこなすようになってからのある日、ボスに会った。優秀な怪人はボスに直接会うことが許されるからだ。信頼できる、優秀な悪党として。

「褒美は何がいい」

 白衣のボスが言った。

「学校に通うための時間が欲しいです」

「人間だった頃に未練があると」

「いえ、力を持った今、元居た場所で味わう優越感に興味があるのです。あそこはひどく窮屈でしたから、それをいつでも壊せるという感覚に興味があるのです」

「いいだろう。いつでも壊せ。お前にはその力がある」

「感謝します」

「裏に手は回しておく。存分に楽しめ」

 嘘はなかった。

 あの窮屈で退屈な生活にヒーローは現れなかった。期待するのが間違っていたんだと思う。自分が強くなればよかった。そうすべきだったのだ。

 そして今の私は強い。すべてを壊せる力を持って、再び学校に通う。その時どんな感じがするのか興味があった。


 *


「今日は嬉しい報告がある。あの日、怪人に誘拐された青木が戻ってきた。皆が心配していたよりもずっと辛いことがあったはずだ。だが青木は困難を乗り越え、今こうして学校に通えるくらいにまでなった。どうか皆、温かく迎えてやってほしい」

 担任の教師が言った。

 私が怪人に誘拐されていたのは事実だが、そこからのことはボスが情報を操作してつじつまを合わせているようだった。

 姿を頭の機械で元のように見せている私は席に着いた。


 ――心配してたんだ。

 ――またよろしくね。

 ――困ったことはなんでも言ってくれよ。

 ――お昼一緒しよう。

 ――受けられなかった分のノート見せるね。

 ――一緒に勉強しよう。

 ――これからたくさん楽しもうね。

 誘拐されてた期間の分のことだ。

 その前から退屈だった分はどうしよう。

 クラスメイトは私がここにいなかった分を埋めるように明るく接してくれた――しばらくの間は。空白の期間が埋まったからかもしれない。悪意はないだろう。あったとすれば、そんなことを気にしてる私にある。

 優越感は特になかった。もはや学校生活はどうでもよかったのかもしれない。では壊してしまおうか。でもせっかくだから簡単に済ませてはつまらない。

 キッカケは考えておこう。


 *


 しばらくは怪人として活動しながら、組織の拠点と学校を往復する生活が続いた。

 そして一度だけ、放課後に家へ寄ってみた。今まで避けてきたのは、人間に戻りたいと思うようになったら嫌だからだ。空き家だった。

 それについては後でボスに会った時、聞いてみた。

「心配はいらない。十分な金を渡して関与しないことを約束してもらった。どこかに引っ越して楽しくやっているだろう。脅すような真似もしていないから安心しろ」

 要約すると、すんなり忘れられたらしい。私が元気にやっていることが伝えられたからだろうか。それとも死んだことになったからだろうか。もう人間ではないから一度死んだようなものだけど。

 私は愛されていたはずだから、両親に悪意はないだろう。

 あってたまるか。

 あるとすればボスか、それとも怪人でありながら学校に通おうとした私か。いずれにしても悪党だ。悪いことが普通。当たり前。

 当たり前ってなんだよ。

 その結果も全部、当たり前なのか。


 それから私は思うようになったことがある。

 ――たとえば今、正義の味方になったとして。


 *


 それからまた少しした日の下校中、姿を隠そうとしていた時のこと。

 公園の方から叫び声がした。若い男の声。

 姿を消して様子を見ると、顔の先端がドリルのような大きなヘビが男子高校生に迫っている。あれは仲間の怪人かロボットだろう。地面に大きな穴が開いているところを見ると、そこから今出てきたように思われる。男子高校生は尻もちをついて体を引きずるように後退させる。制服は私が通っている高校のものと同じだ。

 私は特に驚きはしない。悪党が暴れる。市民を襲う。ボスからの命令なのであればご苦労と思いさえする。普通。当たり前のこと。


 ヘビの頭のドリルが二つに開く。

 わずかな死の沈黙が流れる。

 相手を呑み込まんとする頭が飛びつくように迫った――

 しかし男子生徒は無傷だった。ドリル頭のヘビがいなくなったからだ。正確には、男子生徒の目がまばゆい光でくらんだ後に、ドリル頭が消し飛んだ。

 再び閃光。そしてヘビの体が完全に消えてなくなった。

 唖然とした男子生徒はあたりを見回したが、公園にはただ大穴があるのみ。


 やっぱり何も変わらないか。

 ふと、あの考えを実行してみたくなった。

 もう悪党であることに変わりはないのに。

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