第6話
風俗店のような本殿の中は、薄暗くひんやりとしていた。
しかし、神社やお寺によくある厳かな空気はまったく感じられない。余りにも素気ない建物の所為だろう。壁も天井も、焦げたような板が張られているだけで何の装飾も無かった。
有るのは、板の間に立っている等身大の女性の裸体像だけ。
それもまったく有難味の無さそうなマネキンだった。
「もしかして、これが御神体なのか?」
床にぽつんと置かれた座布団の上に正座しながら優人は呟いた。
五千円も支払ったが本当に大丈夫なのかな。
そもそも、ここは本物の神社だろうか。
不安を覚えた優人が考えを巡らせていると背後で音がした。
「待たせたのう。」
作務衣を身に纏い、頭の禿げ上がった小さな老人が現れた。
「えっと、神主さんですか?」
「そうじゃよ。誰だと思うた?」
「雑用係の人かと。」
「クッククク。正直な奴じゃのう。通りで
「失礼しました。それにしても、ここは変わった神社ですね。」
「相続する者が困っておったので儂が買い取った。で、好きなようにしておる。」
「なるほど。それで色々と普通の神社とは違うんですね。」
「賽銭箱も置いとらんしの。ま、穢れを祓うためだけの場所じゃな。」
「その割には、護摩壇とか何の道具もありませんね。」
「道具なぞ、はったりをかますためのものじゃ。儂には必要ないな。」
そう言ったあと、老人が正座をしている優人を中心にぐるぐると歩き回る。時折りしゃがみ込み、様々な角度から優人を見ていた。
暫くしてから、優人の正面にどかっと座り胡坐を組んだ。
「お主、あのお化け屋敷に入ったじゃろう。」
「えっ、分かるんですか?」
「これでも高野山におったし、長く山伏もしておったからのう。」
「神主さんなのにそんな経歴が・・・。」
老人を改めて子細に見ると頷けるものがあった。
背は優人より低いが、肌は浅黒く日焼けしていて、首が太く肩幅も広い。手や足も太く、ゴツい手は片手で林檎を潰してしまいそうだ。
「そういうことを何十年もしておったから、自然と身に付いたものじゃな。」
「霊が見えるとか、そういう感じですか?」
「靄がかかっておるが、特徴は良く分かるな。目が無い人形が憑いておる。」
「あ、当たってます。すごいっ!」
「まあ、ここに来るのは大抵あそこの客ばかりじゃからな。」
「なるほど。噂は本当だったのか。」
「ただな、お主にはもう一つ憑いておってのう。これが何とも厄介な代物じゃ。」
「えっ、二つも憑いているんですか。」
「うむ。もう一つのほうの力が強くて、人形が縮こまっておる。」
「その、力が強いほうの霊はどんな感じですか?」
「おなごの霊じゃな。お主の背中におぶさって、人形がお主に掴まろうとすると蹴飛ばしておるな。」
「その顔は、焼け爛れているとか分かりますか?」
「心当たりでもあるのか?」
「あ、いえ。目の無い人形の隣にそういう人形があったもので。」
「ふ~む。そこまでは分からんな。」
「そうですか。」
「それじゃあ祓ってみるかのう。」
老人が、まるで散歩に出掛ける様な気楽な調子で優人に告げる。
「よろしくお願いします。」
優人が恭しく老人に頭を下げた。
老人が立ち上がり、優人の目前で真言を唱え始める。
「オン・バザラ・ノウマク・サマンダ・ボダナン・ガララヤン・ソワカ・・・。」
胸の前で、両手を使い様々な印を結んでいる。
滑らかな動きで優人は暫し見惚れていた。
あや取りが上手そうだ、と呑気なことを考えていたら老人が大声を発した。
「臨ッ、兵ッ、闘ッ、者ッ、皆ッ、陣ッ、烈ッ、在ッ、前ッ!」
掛け声と共に、優人の眼前の空間を手刀で切り裂く。
老人の迫力に気圧されて、優人は思わず肩を竦め目を閉じた。
ピシッ
ギッ
視界を遮った優人の耳に、木の爆ぜる音が聞こえてくる。
辺りに、紙を燃やした後のような、ツンとした臭いが漂う。
老人の詠唱はまだ続いている。
優人が目を開けると、靄が罹ったように老人の体がぼやけて見えた。
周りに視線を向けるが、焦点が定まらず深い池の底に居るようだ。
ズドォォォォンッ!!
突然、本殿の中に雷が直撃したような轟音が響き渡った。
同時に優人の体が揺れ始める。
床全体が波打つように蠢いている所為だ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ
強烈な揺れと低周波の地鳴りで吐き気がする。
床板が耐え切れずミシッビキッと悲鳴を上げていた。
壁や天井からも盛大な軋み音が漏れ出す。
火傷しそうな熱風が顔に叩きつけてくる。
何だこれは?
あの人形が怒り狂ってオレを殺そうとしているのか。
死の恐怖を感じ、優人は頭を抱え座布団に蹲った。
―― 大丈夫だよ ――
いつも笑顔で話しかけてくる明るい声。
「えっ?」
頭の中にその声が響いた途端、今までの喧騒が嘘のように止んだ。
優人がゆっくり目を開けると、本殿の様子に何も変わりは無い。あれだけの酷い揺れがあったのにマネキンは立ったままだ。
どうやら終わったようだ、と優人は胸を撫で下ろした。
しかし、見えない戦いは続いていた。
仁王立ちの老人は未だ真言を唱え続けている。厳めしい顔から流れ落ちる汗で、足元には水溜りが出来ていた。気の所為か、老人の口から洩れる詠唱が弱々しく力の無いものになっている。
「ぐっ、こやつめ。」
老人が時折り呪文のようなものとは違う言葉を発する。
まだ人形は憑り付いたままなのだろうか。
優人は不安気な表情で、目が血走る老人を見守った。
「この者から離れよっ!」
何度も九字を切りながら、老人の表情に苦悶の色が広がる。
「ひいっ!こ、怖いっ!」
老人が悲鳴を漏らした。
がくっと体が落ち、床に手をつく。その手が震えていた。
「はぁ、はぁ・・・。これは無理じゃ。」
老人は、荒い息づかいをしながら床にへばり付いていた。
心を落ち着かせるためか、祝詞のようなものを呟いている。
「鈴音が、火の塊のようだと言っておったが、これほどのものとはのう・・・。」
「あの、まだ憑いたままなのですか?」
「ふう。人形のほうは祓ったぞ。」
老人の呼吸が落ち着き、平静を取り戻していた。
「もう一つのほうは?」
「そっちはな、どうやっても祓えんな。髪の毛一本の隙間さえ空けることが出来なんだ。しっかりとお主にしがみ付いておる。祟る力も想いの強さで決まるが、これも相当のものじゃな。」
「そんなに強いものなんですか。」
「強いな。儂一人の力では、こやつに到底及ばん。こんなことは初めてじゃ。何もせんときは穏やかじゃが、祓おうとするとこちらの心臓を突き刺すような眼光を放ってきよる。」
「祓えないとなると、オレはこの先どうすれば。」
「安心せい。人形と違ってこちらには悪意は感じられん。寧ろ、子を見守る親のようじゃな。慈しみに満ちた眼をしておるわ。お主に異常なほど執着心を抱いておるようじゃがの。」
「そうですか。」
「まあ、このままで大丈夫じゃろう。もし何か異変を感じたらここに来れば良い。今度は三人で祓ってやる。」
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