二章

第1話

 遊園地から帰った翌日、優人ゆうとは昼過ぎまで寝ていた。

 昨夜、風呂から上がってすぐ寝てしまったから、12時間以上は寝ていたようだ。頭がぼーっとしていて、体がふらふらする。

 一階に降り、トイレに行き洗面所で顔を洗い歯を磨く。ようやく靄がかかったような頭の中がすっきりした。


 リビングに入ると、雪奈ゆきながソファに座ってスマホを眺めていた。


「おはよう。」

「おはよう。お兄ちゃん、寝過ぎだよ。」

「雪奈は何時に起きたんだ?」

「あたしは9時ごろに起きた。」

「何時に寝たの?」

「0時ぐらいかなあ。」


 実質9時間の睡眠か。

 丁度良い睡眠時間だなと優人は思った。

 キッチンからパンと牛乳を持ってきて、ダイニングテーブルの椅子に座る。それらをゆっくりと食べながら、優人は雪奈との会話を再開した。


「雪奈は、9時に起きてから今まで何してたんだ?」

「さっきまで、お兄ちゃんの部屋でゴロゴロしてた。」

「オレ、何か寝言を言ってなかったか?」

「言ってたよ。人形がくる。やめてとか。」

「やっぱりか。」


 夢の中であの人形が出てきた。

 怖くて蹲っていたら、雪奈が出てきて人形を追い払ってくれた。


「だからね。お兄ちゃんの頭を撫でながら、あたしがいるから大丈夫だよって言ってあげたの。」

「そうだったのか。それで夢の中に雪奈がいたんだ。」

 優人が納得した表情で頷いた。


「他にもね、色々してあげたよ。」

「どんなこと?」

「あたしなりのおまじない。だから、もう夢には出てこないと思うよ。」

「雪奈さん、ありがとう。こんなにもよく出来た妹がいてくれて、お兄ちゃんは果報者だ。」

 優人は本気で涙が出そうになった。


「もっと褒めるが良いぞ。」

 雪奈が得意気な表情をした。


「お兄ちゃん、雪奈にチュッチュしたくなっちゃった。」

「していいよ。どうぞ、お兄ちゃん。」

 ソファに座っていたスウェット姿の雪奈が立ち上がり、両手を大きく広げ唇を窄めた。


「駄目だ。兄として妹にそんなことは出来んぞ。」

「もうっ。またそれなんだから。」

「その代わり雪奈が困ってるときは、お兄ちゃんが助けてやるからな。」

「じゃあさ、これから一緒に出かけようよ。」

「何か買いたい物でもあるのか?」

「うん。水着があったら買おうと思って。」

「そうか。」

 雪奈は去年まで部活動が忙しくて、夏は泳ぎに行けなかったことを優人は思い出した。


「お兄ちゃんがいいなと思う水着を着てあげるから、一緒に行こう。」

「それは是非見てみたいが、う~ん。」

「何か用事でもあるの?」

 優人には試してみたいことがあった。それも早急に。


「うむ。今日はな、お兄ちゃんは戦場に赴かねばならんのだ。」

「何それ。」

「オレ一人で修羅の道を歩まねばならん。」

「ふ~ん。」

「だからな。雪奈はついて来てはいかんぞ。」

「ああそうですかっ。」

 雪奈がそっぽを向き不機嫌そうな表情になった。


 優人は、食べ終わった食器を片付けて二階の自室に戻った。

 こんなものか、と着替え終わった服を改めて確認する。

 上は、無地のTシャツの上にスカイブルーの半袖シャツ。

 下は、ベージュの綿パンを履いていた。

 清潔感があれば十分だ。


 再び一階に降り、洗面所で滅多にしない髪の毛をセットし始めた。

「こうかな?」

 鏡を見ながら、一度もしたことがないオールバックの髪型にしてみた。いつもは見えない額が出ていて、何だか大人っぽい感じがする。

 これはいいんじゃないだろうか、と一人ほくそ笑んでいると雪奈が洗面所に入ってきた。


「あたしも使うから脇に寄って。」

 優人を肩で押しながら、雪奈がぶっきらぼうな声を出した。


 雪奈もスウェットから着替えていた。

 ボートネックのシャツの上に、黄色の半袖シャツをボタンを留めずに着ていて、薄い黄緑色の膝まであるスカートを履いていた。パステルカラーが良く似合っている。


「雪奈も出かけるのか?」

「暇だし。」

 洗面所の鏡に優人と雪奈が並んだ。


 こうして鏡を見ると身長の差がはっきり分かる。

 これぐらいかなと、優人が自分の頭に握り拳を置く。

 やはり雪奈のほうが拳一つ分背が高い。

 今度は、拳を外し軽くつま先立ちになってみる。

 鏡の中の二人が同じ高さになった。


「何してるの?」

 綺麗な長い髪をブラシでとかせていた雪奈が、鏡の中の優人を不思議そうに見ている。


「やっぱり身長の差が結構あるなと思って。」

「気になるの?」

「いや、もう慣れっこだから全然。」

「そう。」

「それに、雪奈の背が高いほうが甘えられるしな。」

「甘えてこないくせに。」

 雪奈が肩で優人の体を押した。


「そ、そのうちな。」

「その髪型、全然似合ってない。」

「えっ、似合ってないのか。」

「ほら、こっち向いて。」


 雪奈が、優人の肩を掴んで、持っていたブラシで優人の髪をとかし始めた。優人の柔らかな髪の感触を楽しむように、雪奈の持ったブラシが上へ下へと動いている。

 優人は、親に諭された子どものように大人しくしていた。


「はい。出来たよ。」


 雪奈に言われて鏡を見た。

 目に届くほどの長い前髪を、七三ぐらいで分けて額が見えるようにしている。いつもの優人なら何も弄らず額はほとんど見えなかった。


「なるほど。これなら誠実な感じで大人っぽいな。」

「今日はどこに行くの?」

「えっと、白都駅の周辺かな。」

「ふ~ん。」

 白都駅は、この県の中心都市にある駅で、周辺には商業ビルが立ち並んでいる。


「雪奈はどこに行くんだ?」

「あたしは駅前の本屋さん。」

「本屋に行くにしては、お洒落な恰好だな。」

「別にいいでしょ。」

 雪奈の機嫌はまだ直っていないようだった。


「そ、それじゃ、お兄ちゃんはもう行きますね。雪奈さんは鍵をお願い。」

「あたしも一緒に出る。」

 二人一緒に表に出て、優人が玄関の鍵を閉めた。


 ポケットに鍵を入れると、すかさず優人の右手を雪奈が握ってきた。

 いつものように、手を握って二人並んで歩く。

 雪奈の長い髪が緩やかになびいていた。

 今日の日差しはかなり強く、暖かいというより暑いぐらいだった。


「そろそろ衣替えだな。」

 優人は、雪奈に話しかけたつもりだったが返事は無かった。


 怒っているのかな、と雪奈の顔を覗き見る。

 真っ直ぐ前を見る表情からは、何の感情も窺えない。


 暫く歩いていると、雪奈が握っている手に軽く力を込めてきた。


「ん?」

 優人がちらっと横目で雪奈を見るが、先ほどと同じように表情には何の変化もない。

 雪奈は、手をぎゅっと握ったり、緩めたりを繰り返している。


 これはあれかな。

 握り返せと言うことかな。


 優人も握る手に軽く力を込めた。


 今度は、雪奈が腕を一回振って止めてを繰り返している。


 優人も腕を振った。


 次に雪奈が肩を軽くぶつけてきた。


 優人も肩をぶつける。


 二人は、まるで会話をするかのように、無言のままお互いの反応を確かめ合っていた。

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