最終話


「そう言えば、自己紹介のとき断られたな。」

「うん。それがわたしのコンプレックスだからね。優人ゆうとが知りたいなら話してもいいよ。」

「教えてくれるなら聞きたいかな。」

「じゃ、特別に教えてあげる。」

 優人の肩に頬を乗せて、秋名あきなは晴れ渡った青空を見つめていた。


「わたしの名前はルナっていうの。」


「るな?るなか。普通にいい名前だと思うけど。」

「読み仮名はカタカナでルナだよ。」

「カタカナでルナか。」

「どんな漢字を当てると思う?」

「えーと、瑠璃色るりいろの瑠に雪奈ゆきなと同じ字の奈かな。」

「違うよ。正解はお月さまの、月。わたしが生まれた時のお月さまが、すごく綺麗だったからみたい。」

「どうして読み仮名がルナなんだろう。」

「つきって読みだと可愛くないから、ラテン語の月って意味のルナを当てたんだって。」

「へえ、そうなんだ。」

「でさ、名字と名前を続けて書くと、漢字で秋名月。ほら、秋の名月。中秋の名月ってあるでしょ。それにも掛けているんだって。何か子どもの名前で遊んでる感じがしてさ、ほんと馬鹿みたいに思った。」

「親って、子どもがどう思うか考えずに、独り善がりな所があったりするな。」

「ほんとそう。例えば美しい月で、美月みつきとかでも良かったのにね。」

「ああ、それもいいな。」


 秋名が、優人から離れて自分の膝の上で頬杖を突いた。


 相変わらず遠くの空を眺めている。


「小学生のときは、ルナって名前が好きだったんだけどな。」

「持ち物とか、テストとか、下の名前はカタカナでルナって書いてた。」

「みんなから可愛いとかカッコいいとか言われてさ。」

「自分からルナだよとか、ルナ、ルナ言ってた。」


 そう言ったあと、秋名の視線が地面に落ちた。


 まるで、夢から覚めて現実に戻ったようだった。


「嫌いになったのは中学のとき。」

「名前を漢字で書かないといけなくなって、みんなにバレたの。」

「ルナなのにどうして月なんだとか、そんな読み方しないよね、とか言われて苦笑いしか出来なかった。」

「それを近くで聞いてた男子がさ、だからお前は団子みたいな顔してるのか、って言いだしてさ。」

「周りのみんなが大笑いしたの。」

「わたしね、中学一年の頃はぽっちゃりしてて顔が真ん丸かったんだ。」

「だから月見団子とかに掛けていたんじゃないかな。」

「それから、そのクラスでのわたしのあだ名は団子になっちゃった。」

「男子から団子団子って呼ばれて、ほんと最悪だった。」

「今はもう痩せたから、そんな面影も無くなったけどね。」

「そんなことがあってから、自分から下の名前を名乗らなくなったの。」

「もう色々と説明するのがめんどくさいから。」


 そこまで一気に喋って秋名は押し黙った。


 優人も掛ける言葉が見当たらず、黙ったまま秋名と同じように近くの地面を見ていた。


「人に話してみるとさ、わたしのコンプレックスも些細な事だよね。」

 再び、秋名が口を開いた。


「些細な事なんだけど、やっぱり気になっちゃう。」

 秋名が体を起こし、ベンチの背もたれに身を預けた。


「誰かに打ち明けたら克服できるかも、と思ったけど何も変わらないね。優人もそんな感じかな。」

「そうだな。そんな感じかな。」

「そっか。」

 秋名の瞼が閉じ、穏やかな表情になった。


 こうして見ると中々可愛い顔をしている。

 気さくに話せる雰囲気もあるし、雪奈の友達の中では結婚するのが一番早いかもしれない。

 優人は秋名の横顔を見つめそう思った。


「じゃあ、お互い今まで通りだね。悩みを打ち明けても変われないしね。」

「うん。変われないから、今まで通りだな。」

「これからも秋名あきなって呼んでね。」

「オレも兄の威厳を損なわないようにするよ。」

「ふふ。」

「はは。」

 二人は微笑み合った。


 何も解決していないが、晴れやかな気分になっている。


「ねえ、優人。手を握ってもいいかな?」

「いいよ。」

 優人が左手に握っていたキーホルダーをポケットに仕舞った。

 空いた手を秋名に差し出す。

 秋名が右手で、その左手をそっと握り締めた。


「何かね、変われそうなものが一つある気がするの。」


 秋名が目を瞑り、空いている左手を自分の胸の膨らみに置いた。

 風が出てきたのか、じっとしたまま動かない秋名の髪がなびいていた。


「うん。小さいけどあった。」


 優人には、それが何なのか見当もつかない。


「ねえ、優人。今度二人きりで出かけない?」

「どこへ?」

「どこでもいいから。ね、行こうよ。」


「ダメ。」


 きっぱりと断る声が響いた。

 優人が視線を下へ向けると、雪奈が目を開いて秋名を見ていた。


「絶対ダメだからね、秋名。」

 起き上がった雪奈が秋名と対峙する。

「えー、どうして?」

「お兄ちゃんはあたしのものだから。」

「ちょっとぐらいいいでしょ。」

「減るからダメ。」

「どこが減るの?」

「ここよ。」

 雪奈がそう言って、優人の右の頬を撫でる。

「二つあるんだから、こっちを頂戴。」

 今度は、秋名が優人の左の頬を撫でた。

「そっちもダメ。」

「雪奈はケチだね。」

「ケチじゃない。」


 言い争う二人とは裏腹に、優人は気持ちが落ち着いていた。


 二人の少女から仄かに漂う、ふんわりとした柔らかい香りがとても心地良かったから。



 どうして女の子はこんなにいい匂いがするんだろう。


 優人は暮れ始めた空を見上げ胸の内で呟いた。




 一章完

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