第13話

 一年生の教室で、秋名あきな春香はるか咲良さくらの三人が昼休みに歓談していた。


「三年生の間では有名だったのか、雪奈って。」

「みたいね。可愛い子が入ってきたって、三年の男子が色めき立ってたらしいよ。」

「二年はどうなんだろ。」

「お兄さんがいるから手を出し辛いんじゃない?頭が良くて二年生の中だと有名らしいし。」

 人懐っこい秋名の耳には、色々な情報が集まってくるようだった。


「へえ、そうなんだ。しっかし、もうテストだってのによくこんなこと出来るな。」

 春香が頭の後ろで手を組みながら、椅子の背に持たれて言った。目は先ほど二人がいた入口を見ている。


「だからじゃないの。気になって勉強どころじゃないんじゃない。」

 手元で刺しゅうをしていた咲良が、冷静に分析している。


「そういうもんかね。にしても、背の高い女はあんまりモテないって聞くけど、雪奈は違うんだな。」

「顔が良いから、身長は気にならないかもね。」

「咲良も小さいけど、男どもに人気あるもんなあ。」

「わたしに寄ってくるのは変なのばかりだけどね。」

 咲良が迷惑そうな表情をしている。


「ねえ、ねえ。結果がどうなるか、予想してみない。」

 秋名が笑顔で提案してきた。


「あたしはOKだと思うよ。サッカー部の人だっけ?背も高くて顔もいいしさ。」

 春香がさっき見た、やけに歯が白い男の顔を思い浮かべながら答えた。


「わたしは、きっと断ると思う。雪奈を見ていたら分かるから。」

 咲良は微笑んでいた。何かを知っているような、含みを持たせる言い方だった。


「咲良って、外見と違って、おばあちゃんみたいなとこあるよね。」

「秋名、どういうこと?わたしに失礼じゃないの?」

「ごめん、ごめん。なんかさ、わたしらと違って変に落ち着いてるからさ。」

「つまりロリババアってやつだな。ははは。」

「春香、それ以上笑うと針で刺すわよ。」

「うっ。も、もう笑わないから勘弁して。」

 春香が本気で謝っている。

 咲良は幼い顔立ちをしているが、怒れば四人の中で一番迫力があった。


「わたしも断ると思うな。どんなに背が高くてカッコよくても、雪奈には似合わないよ。」

「おっ。秋名もばあちゃんみたいなこと言ってんな。」

「まあ、春香は男女の機微というものが分からないからね。」

「何?また、この間みたいな恋がどうとかいうやつか?」

「そういうこと。ふふ。」

「はいはい、そうですか。」

 春香がふてくされて机に頬杖を突いた。


「あっ、雪奈が帰ってきたよ。」

 秋名が教室に戻ってきた雪奈に軽く手を振った。

 雪奈も顔をニコニコして、手を振り返しながら三人の元へ歩いてきた。


「その顔はOKだよな、雪奈?」

 春香が勝ったとばかりに、拳を握った。


「断ったよ。」

 雪奈があっさりと言い放った言葉に、春香が肩を落とした。


「ほらほら、わたしたちの言った通りでしょ、春香。」

「ああ、そうだね。あたしは乙女心が分からない女だよ。」

 また、春香がふてくされてそっぽを向いた。


「なに?どうしたの、みんな?」

 雪奈が、何があったか教えて、という表情をしていた。


「みんなでね、雪奈が告白されてどうするのかを話してたのよ。」

「へえ、そうなんだ。じゃあ、秋名と咲良が当てたんだね。」

「そう。で、春香一人が分かってなくて、ご覧の有様ね。」

「じゃあ二人は、その、分かってるの?」

 雪奈が俯き加減で秋名と咲良を交互に見ている。


 なんて可愛いのよ、この子は。

 秋名は、恥ずかしそうにしている雪奈を見て、本気でそう思った。


「分かるというか、あれでしょ。お兄ちゃんがいるから、でしょ?」

「それしか考えられないしね。」

「おおっ。二人ともよく分かってる。あたしにはお兄ちゃんがいるから、誰とも付き合えないな。」

「雪奈のその言い方だと、兄貴って看護が必要な病人みたいだな。」

 春香が思ったことをそのまま口にした。


「まあそんな感じかなぁ。あたしが側にいないと駄目な人だしね。」

「ふーん。」

「側にいないと駄目なのは雪奈のほうじゃないの。」

 咲良が刺しゅうを続けながら雪奈に問いかけた。


「えっ?そんなことないよ、何言ってんの咲良。」

「本当に?」

 咲良が手を止め、雪奈の顔を覗き込む様に見つめる。


「ほ、本当だって。」

 雪奈が顔を逸らしつつ答えた。


「それなら、お兄さんと一か月間喋らないで過ごせる?」

「い、一か月も?一言も?」

 咲良がそうだと頷く。


「いや、それは無理でしょ。だって同じ家に住んでるんだし。」

「それがさ、全然喋らない兄妹も結構いるらしいよ。兄を毛嫌いする妹が多いんだって。」

 秋名が口を挟んできた。


「えー何それ。あたしには信じられない。」

「一緒に住んでるとさ、嫌な部分が見えてくるじゃない。シャツが汗臭いとか、こっちが気にしてる外見の事を無遠慮に言ってくるとかね。わたしの中学の友達にさ、お前ブスだなって兄に言われて、ブチ切れてお前もだろうがって、マグカップを顔面に投げた子もいたよ。」

「そ、それはちょっとひどいね。でも、あたしはそんなこと言われたことないよ。汗臭いのも平気だしね。」

「まあ、あの兄貴ならそういうこと言わなそうだな。」

 春香は、このあいだ見た雪奈の兄を思い出した。

 大人しそうな幼い顔立ちで、雪奈の弟にしか見えなかった。


「雪奈は、お兄さんの匂いが臭くないんだ?思春期になると、父親とか兄の体臭は臭くて嫌になるみたいだよ。」

「そういえば、わたしのお父さんも臭い気がする。」

「うちのオヤジも臭いよ。特に靴下とかさ。」

 秋名の言葉に、二人がその通りだという表情になった。


「あたしもお父さんの靴下は嫌だけど、お兄ちゃんのは全然平気。むしろいつまでも嗅いでいたい感じ。」

「へえ、どんな匂いなの?何か気になる。」

「えっとね。甘いような花の香りかな?耳の後ろとか、すっごく良い匂いでね。嗅いでいると、体がふわっと浮かんでくる感じになっちゃう。」

「ええっ。何それ何それ。むっちゃ嗅いでみたいんですけど。雪奈、お兄さんを貸してくれない?」

 秋名が餌を前にした子犬のように雪奈に迫る。


「無理無理。絶対に貸さないから。」

 雪奈は、胸の前で両手を激しく振り、断固拒否する構えを見せた。


「わたしも嗅いでみたい。」

「あたしも嗅ぎたいかな。」

 咲良も春香もその匂いとやらに興味津々だった。


「いや絶対無理だから。お兄ちゃんも嫌がると思うし。」

「じゃあさ、下着でもいいからさ内緒で持ってきてよ。何ならパンツでもいいよ。」

 あくまでも拒否する雪奈に対し、秋名が譲歩した。


「パンツも良い匂いするけど絶対駄目。」


「えっ?」

「えっ?」

「えっ?」

 雪奈を除く三人の表情が固まった。


「あれ?あたし、何か変なこと言った?」

 雪奈は、どうして三人が驚く顔をしたのか分かっていなかった。


「雪奈はお兄さんのパンツを嗅いだことあるんだ。」

 秋名がニヤニヤしている。


「雪奈って変態なの?」

 咲良が真面目な顔で質問する。


「マジかよ、雪奈。」

 春香は少し引き気味だった。


「あっ。ち、違う違う違うんだってば。体育で汗だくになったって言うから、気になってちょっと嗅いだだけだって。」

 雪奈は、三人の指摘でさっきの自分のミスに気付き、顔を真っ赤にしながら慌てて言い訳を口にした。


「よく嗅ぐの?」

「時々ね。」

 秋名の何気ない口調の質問に、雪奈が再びうっかりミスをした。


「時々なんだ。」

「やっぱり変態ね。」

「マジで引くわ。」

 三人が椅子をずらし、雪奈から距離を置いた。


「うっーーーーーーーーーーー!!!!」

 雪奈が両手を前に突き出し、何かを掻きむしるように指を激しく動かせた。


「雪奈がお兄さんのパンツを嗅ぐ子だったなんてねえ。」

「可愛い顔をしてるのに変態だったなんてショックだわ。」

「雪奈にそんな趣味があるなんてドン引きだ。」

 三人が面白半分に雪奈をからかう。


「聞いて聞いて。お願いだからみんな話しを聞いて。」

 雪奈は、三人に向かって手を合わせ、必死に懇願した。


「はいはい。どんな理由があるのか聞いてあげるから、言ってみなさいな。」

 少し意地悪過ぎたかな、と反省して秋名が優しく言葉をかけた。


「あのね、お兄ちゃんがお風呂に入ってるときに、あたしが洗面所で髪を乾かすんだけど、床にお兄ちゃんの脱いだ服が落ちてるの。それをね、あたしが洗濯カゴに入れるんだけど、お兄ちゃんって子どもみたいにズボンとパンツをまとめて脱いでるのね。だからね、ちゃんと洗えるように、あたしがズボンとパンツを分けるんだけど、その時に、パンツが顔の近くにくるときがあって、あたしは嗅ごうとしてないんだけど、香りが漂うっていうか、自然に鼻に入ってくるの。自分で嗅いでるんじゃないよ。勝手に匂うんだからね。分かった?ね。みんな?」

 雪奈が長々と説明したが、三人はまだ納得がいかない様子だった。

 しかし、雪奈にはこれ以上の上手い言い訳が思い付かなかった。


「もうこの話は終わりにして、違う話をしよっか。困ってる雪奈は可愛いけど、ちょっと可哀そうになってきちゃった。」

「ありがとう秋名~。」

 秋名の提案に、雪奈が拝むように机に突っ伏した。


「何の話をするの?」

「さっきの三年の告白でいいんじゃないか。」

「おっ。いいねえ、春香。わたしもちょっと思うところがあったしね。」

「ん?何何?」

「さっきの告白さ、あれ断ったのちょっと勿体ないなと思ってね。」

「どうして?」

 雪奈が不思議そうな表情をしている。


 秋名が雪奈に諭すように話し始めた。

「別にね、恋人になるんじゃなくて、友達ってことで、軽く付き合えばいいのよ。」

「付き合ってどうするの?」

「男の子といろいろ話したら、雪奈にもいい経験になるんじゃないかと思ってね。」

「そんなので経験になるのかな。」

「だって、雪奈は男心が分からないでしょ。」

「わかってるよ、それぐらい。」

「ただ男にくっつけばいいと思ってるでしょ。」

「えっ、違うの?」

 雪奈が真剣な表情で秋名に質問した。


「だからさ、そういうことを知るためにも、雪奈には男友達が必要かもね。」

「別にあたしはそんなの必要ないし。」

「いやいや。いろんな人と付き合えば、もっと素敵な出会いがあるかもよ。」

「そんな出会いもいらないし。」

「それで、気に入った人がいたら、抱き締めればいいのよ。雪奈だったら誰でも押し倒してくるから。で、既成事実を作るために、ベッドであんなことやこんなことを・・・。」

 秋名が一人で妄想して盛り上がり始めた。教室の天井を見つめ、少し息が荒くなっている。


「おいおい。秋名もう止めなって。」

 春香が、秋名を諫める。


「誰でもじゃないよ。一人だけ何もしてこない人がいるし。」

 この前、自分の部屋で抱き合ったことを雪奈は思い出していた。


 あたしがお願いしないと何もしてこない鈍感な人。


「雪奈はもう抱き締めたの?」

 咲良が冷静な顔で雪奈に問いかけた。


「あ、あのね。そうなんじゃないかなって、想像をしてただけ。」

「ふーん。想像ね。」

 訝しげな表情で、咲良が雪奈を見つめている。


 うっ、怪しまれている。

 雪奈は思わず、咲良の真っ直ぐな視線から顔を逸らした。


 教室に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。


 助かった。

 雪奈はほっと胸を撫で下ろした。

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