第9話
「あら、奇遇ね。」
「げっ。委員長。」
本屋の漫画コーナーで二人は鉢合わせた。
「何かしら、その感嘆詞は?」
「すみません。」
「それから、わたしはあなたのクラスの学級委員長ではないわ。」
「名前を知らなかったので。すみません。」
雪奈は二度、霧沢に向かって頭を下げた。
「あなたが、謝るほどではないわ。」
「そうですか。」
「そうよ。わたしが思ったことを口にしただけだから。」
「それは良かったです。」
「あなた、改めて見ると背が高いわね。どのくらいあるの?」
「えっと、173センチですね。」
「出るところも出ているし、何の非の打ち所もないわね。」
霧沢が、雪奈の全身を品定めするように見ている。
「それじゃ、あたしはこれで。」
何だか居た堪れず、雪奈は早々にこの場から立ち去ることにした。
「待ちなさい。ここに居るということは、あなた時間があるはずね。」
「そうかもですね。はは。」
「少し話したいことがあるから付き合いなさい。」
雪奈は、霧沢に近くの喫茶店に連行された。
二人は窓際の席に座った。雪奈はカフェラテ、霧沢はホットチョコレートを注文した。
「まず、自己紹介をするわね。わたしは霧沢唯16歳よ。」
「えーと、雨宮雪奈15歳です。」
何故、年齢を言う必要があるのだろう、と雪奈は不思議に思ったが、自分も同じように答えた。
「あなた可愛いわね。」
「そ、そうですか。」
霧沢は雪奈の顔をじっと見つめている。決して、視線を外そうとしない。反対に、雪奈は目が泳いでいた。
注文の品を店員が運んできて、二人の前に飲み物を置いていった。
「あなたに告白されれば、大抵の男は陥落するわね。」
「どうですかね。はは。」
二人は、それぞれ目の前に置かれた飲み物を一口飲んだ。
雪奈は甘いと感じ、霧沢は甘さが足りない感じがした。
「それにしても、あなたは彼に似ていないわね。」
「昔から、みんなに言われます。」
「普通、兄妹ならどこかしら似ているものよ。」
「そうなんですか。」
「顔のパーツ一つずつが全然違うわね。」
「そんなに違うとは思いませんけど。」
「もしかすると、卵子か精子が違うのかしら。」
「そこまで言うことないじゃないですか!」
雪奈は声を荒げた。二人の関係を穢されたようで腹が立ったのだ。
「ごめんなさい。失言だったわ。」
霧沢が素直に頭を下げた。
そんなに悪い人ではないのかも知れない、と雪奈は下げられた頭を見つめた。
「わたし、思ったことがすぐ口に出てしまうの。許してもらえるかしら。」
「いえ、あたしのほうこそ大きな声を出してすみません。」
「こんな調子だから、わたしに近付く人がいないのね。本当に嫌な性格だわ。」
霧沢は、自己嫌悪に陥っているようだった。
「あの。兄と話すときもそんな感じですか。」
「そうよ。他の誰と話してもわたしは同じだわ。」
お兄ちゃんは、よくこの人と会話を続けることが出来るな、と雪奈は思った。
「そういえば、彼はわたしを嫌がらないわね。」
「あの、先輩は。」
「わたしは彼に好意を持っているわよ。」
雪奈が聞きたかったことを、霧沢は先に答えた。
「え?」
雪奈の手にあるカップの液体が揺れていた。
「いえ、好意というより、厚意?そうね厚意のほうが近いかしら。」
「えっと。」
「ああ、発音が同じだから混同してしまうわね。何か彼にして上げたい、という気持ちのほうね。」
「厚意のほうですね。分かりました。」
「安心したかしら。」
「あ、安心って、あたしは別に。」
「ところで、あなたは彼とセックスしているの?」
「してませんっ!」
雪奈がテーブルをぶっ叩く。テーブルに乗っているものが一斉に音を立てた。周りの視線が二人に集中する。
「じゃあ、風呂場で彼の体を洗っているとか?」
「だからっ、そんなやましいことはしてませんっ!」
「そうなの?これだけ仲が良いから、そういう行為をしていると思っていたわ。」
「どんな関係だと思っているんですか、もう。」
「まあ、冗談だと思って聞き流して頂戴。」
霧沢がホットチョコレートを口に含んだ。
やはり、甘さが足りない。
「本当にお兄ちゃんとは何もないですから、二度と変なこと言わないで下さいね。」
「分かったわ。ただの仲の良い兄妹ということね。あなたを信じるわ。」
「大体、お兄ちゃんは、あたしの下着さえ見ようとしないんですから。」
「え?それじゃあ、どうしてわたしにはあんな事を?」
「あんな事って、なんですか?」
「あ、いえ。ふふ。」
霧沢が動揺していた。さすがに、妹の前で彼の行為は言えない。
「何を笑って誤魔化そうとしてるんですか?」
「い、いや、してないわよ。」
「先輩。あたしの眼を見て。」
うっ、何て鋭い眼光なの。
珍しく霧沢が押されていた。
「み、見ているわ。」
「兄が勝ったら何をあげるんですか。」
雪奈は昨夜のことを思い出していた。
兄は何かを貰うと言っていた。
誤魔化していたが、その内容を最後まで追及しなかった。
雪奈は追及の矛先を霧沢に変えた。
「何をって、それはあれよ、あれ。」
「あれって何?」
「手を握ってあげる?」
「もらうっ。何か物を貰う約束でしょ。」
「わ、わたしのハンカチ。」
「あんなに必死に勉強してるんだから絶対違う。宝物とかそういうものでしょ。」
わたしもう口を割ってしまいそうだわ。
霧沢は全てを吐露しかけていた。
「もういいですっ。」
突然、雪奈が追及を止めた。
少し悲しくなってきたのだ。
お兄ちゃんは、あたしには欲しいなんて言ったことがない。
欲しいものがあれば何でもあげるし、して欲しいことがあれば何でもしてあげるのに。
雪奈がふくれっ面でカップの中味を飲み始めた。
「そ、そう。」
危なかった。
こんなに焦ったのはあのとき以来。
霧沢もホットチョコレートに口をつけた。
「まあ、大丈夫よ。勝負はわたしが勝つから、彼は何も手にできないわ。」
「だから、もういいんですってば。」
「えっと。それなら、何をそんなに怒っているのかしら。」
「お兄ちゃんが、あたしには何も欲しがらないからです。」
「普通、兄ってそういうものじゃないかしら。与えることはするけれど、妹には何も求めないと思うわ。」
「そういうものかなあ・・・。」
「そうよ。大事にされているのだから喜んでいいわよ。」
「なんか、素直に喜べない。」
「それにしても、彼もきちんと兄を務めているのね。顔が可愛いから、弟みたいなのに。」
「可愛い?」
雪奈がじっとりと絡みつくような視線を、霧沢にまとわりつかせた。
その眼は止めてくれないかしら、苦手だわ。
霧沢に落ち着きが無くなり、目が在らぬ方へ向いている。
「か、可愛いといっても、あれよ。意地悪をしたくなるようなって意味よ。」
「あ、分かる。分かります。反応が面白くって、ついつい意地悪したくなりますよね。」
「あなたもなの?何だか無性に頬をつねりたくなる様な感じがあるのよ。」
「いっしょだ。先輩、あたしも一緒です。ぎゅってしたくなるんです。」
「もしかして、わたしたちってドS?」
「お兄ちゃんが、ドM?」
「ひどい、あはははは。」
二人が声を合わせて笑った。
喫茶店の支払いは霧沢が済ませた。
雪奈は、割り勘を提案したが、こういうときは年上の顔を立てるものよ、という霧沢の意見を素直に受け入れた。
雪奈がきちんと霧沢にお礼を言い、二人は駅に向かった。
「実はですね、あたし、先輩がお兄ちゃんを騙そうとか、勧誘してるんじゃないかと疑っていたんですよ。」
「あなた、わたしをそんな目で見ていたの?」
「だって、今まで、お兄ちゃんに言い寄る人なんて居なかったから。」
「まあ、彼の良さは中々分からないかも知れないわね。」
「だから、今日はそういうのも含めて、モヤモヤしたものが全て晴れて良かったです。」
「わたしもあなたたちの関係を少し疑っていたから、健全な関係と分かって良かったわ。」
駅の中に入り、改札の前で足を止める。お互いの乗る電車が反対方向なので、ここでお別れだった。
「それじゃ、先輩。今日はありがとうございました。」
「最後に、一つだけいいかしら。」
「なんですか?」
「わたし確信したことがあってね。あなたには権利があって、わたしには義務があると思うの。」
霧沢の言葉に、雪奈が不思議そうな顔をする。
「あなたが権利を行使するときは、わたしも義務を果たすわ。」
「えっと。よく分からないです。」
「いいのよ。その時になれば分かるわ。きっと。」
雪奈は、霧沢の言葉の意味がまったく分からないまま、別れの挨拶を交わした。
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