第6話

「何だか気合い入ってるね、お兄ちゃん」

 優人のベッドの上で、いつものようにストレッチをしながら雪奈が声をかけた。


「もうすぐ中間テストだからな。」

「でも、まだテストまで余裕があるよ。」

「雪奈にとっては余裕でも、オレにとってはもう時間がないにも等しいのだ。」

 いつもなら、夕方はリビングでゲームをしている兄が、今日は夕食以外にリビングに来なかった。


「今度のテストで何かあるの?」

「な、ないよ。」


 優人がうなじの辺りを手で掻いている。

 怪しい、と雪奈は思った。

 兄がうなじを掻くなんて滅多にしない。

 あたしに何か隠しているな。

 雪奈は、優人の背中を疑り深い目で見つめた。

 何を隠しているか聞かなければ。


「お兄ちゃんは、どこの大学に行くの?」

「東大。と言いたいとこだけど無理だしなあ。早慶にでも入れたらいいな。」


「なら、大学に入ったら一人暮らしになるね。」

「うん。自宅から遠いしな。」


「一人暮らしするなら、あたしがいろいろ面倒を見て上げるね。」

「優しい妹がいてくれて、お兄ちゃんは幸せだよ。」


「お兄ちゃんって、学校の成績はどうなの?」

「クラスで二番かな。」


「文系だよね。学年ではどのくらい?」

「そっちも二番だな。」


「ふーん。一番は誰なの?」

「い、委員長かな。」

 お、ようやく反応あり。

 雪奈が舌舐めずりをした。


「委員長って、どんな人?」

「この間、雪奈に割りばしを渡そうとした人。」


「あー、あの女の人か。」

 何でも見透かそうな眼をした女の人。

 綺麗な黒髪で、一目見たら中々忘れられない顔だった。


「綺麗な人だよね。」

「そ、そうかな。」


「その人とは、よく喋ってるの?」

「時々かな。」


「頭も良くて、あんな美人なら、お兄ちゃんも一緒にいて嬉しいでしょ。」

「はは、オレは雪奈といるほうが嬉しいよ。」

 なかなか隠していることを言わないな、と雪奈は焦れてくる。


「その人から何か言われた?」

「言われてないよ。」


「じゃ、何か貰ったとか?」

「も、貰ってないよ、まだ。」


「まだ?まだって、これから何か貰うの?」

「さ、さあ、知らないなあ。」

 雪奈は実力行使に出ることにした。

 優人の座っている椅子を回転させ、顔を両手で挟んで自分のほうへ向かせる。


「お兄ちゃん、あたしの目を見て。」

「ゆ、雪奈さん怖いっ。」


「何か貰う約束をしたでしょ。」

「し、知らない。」

 優人が視線をあらぬ方向に向けた。

 雪奈は、左手はそのままで、右の指で優人のほっぺたをつねる。


「い、痛い痛い。やめて、放して雪奈さんっ!」

「白状しなさい!」

「しました!約束しました!」

 雪奈は指を離して、赤くなった優人の頬を撫でる。


「どんな約束をしたの?」

「えっと、テストで負けたら、勝ったほうに奢る約束をした。」


「ふーん。あの人が勝ったら何を奢るの?」

「カフェで奢って欲しいって言われた。」


「お兄ちゃんは?」

「うっ。」


「お兄ちゃんはって聞いてるの!」

 優人の顔を挟む両手に、雪奈は力を込めた。


「こ、公園の自販機のジュースをもらう。」

 雪奈が両方の指で、優人の両頬をつねった。


「いたたたた。やめてやめて。痛いからやめて。」

 雪奈が指を離し、再び両手で優人の顔を固定する。


「そんなもので、お兄ちゃんはこんなに頑張って勉強をしないでしょ。」

「い、いや。オレはいつも二番だから、この機会にせっかくだから一番になろうかと思って。」

「本当に?」

「うんうん。」

 優人が、雪奈の眼を見て答えた。

 今言ったことに嘘はなさそうだが、まだ何か隠していそうだと雪奈は感じていた。

 しかし、これ以上追及しても兄が答えない気がしたので、雪奈は解放することにした。


「分かった。勉強を続けて、お兄ちゃん。」

「う、うん。それじゃ勉強しますね。」

 優人が机に向き直った。

 雪奈はその背中を見つめながら考え事をしていた。

 一つだけ気になることがあった。


「あ、お兄ちゃん。最後にもうひとつだけ。その勝負は誰が言い出したの?」

「委員長から言ってきた。」

「そう。ありがとう。」

 優人の答で、雪奈はようやく考えが纏まった。


 彼女は、兄に好意を持っている。

 男女の機微に疎い兄には分からないだろうが、彼女が好意を抱いているのは確実だ。

 普通、女の子は興味のない相手と、二人きりになる約束をしない。

 しかも、彼女のほうから提案している。

 ただ、他に何か、目的を持って近付いている場合も考えられる。

 騙すとか勧誘とかそういうものだ。

 もう少し様子を見た方が良い。

 雪奈は、兄の様子をもっと注意深く観察しなければと思った。


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