第2話
六限目のロングホームルームが終わり、教室内が一気に喧しくなった。カバンを手にした生徒達が早々と教室を出て行く。
「
黒板の前で、角刈り頭の担任が、周囲の喧噪に負けないよう大声を張り上げた。
「何でしょうか。」
「すまんが、これを片付けてくれないか。俺はこれから県庁に行く用事があるんだ。」
教壇に歩み寄った霧沢に、担任が教卓の上に積まれた資料の山を指差した。
「分かりました。これを資料室に片付けてくれば良いのですね。」
「ああそうだ。ただ、霧沢だと一回で運ぶのは無理だな。」
担任が右手で顎を撫でながら思案気な表情をした。教卓には、30センチほどの山が三つあった。
「雨宮くんっ!」
教室を出ようとした優人を、霧沢が大声で呼び止めた。
「な、何でしょうか?」
ドアの所で立ち止まった優人が、少し怯えた顔で振り向いた。逃げ遅れた犠牲者を見るような目つきで優人を見ながら、級友達が足早に立ち去って行く。
「これを運ぶから手伝って頂戴。」
「はい。」
有無を言わさぬ霧沢の口調に、優人は従うほか無かった。
資料室は四階にあった。霧沢は一つの山を、優人は二つの山を積み重ねて持ち運んだ。階段を上る途中で、優人の持った資料の山が崩れそうになった。
「ほら、落ちそうになってるわよ。」
「ああ、ありがとう。」
霧沢が資料を持ったままの肘で、優人の崩れそうな山を横から押し戻す。優人と霧沢の体がぴたりとくっつく格好になった。霧沢の髪から仄かな甘い香りが優人の鼻先に漂う。
「委員長っていい匂いがするな。」
「リンスの香りかしら。それより、ちゃんと前を見て歩きなさい。」
「う、うん。」
優人が目を瞑ったまま、階段を上ろうとしているのを霧沢が窘めた。
「あなたが手伝ってくれたから助かるわ。わたし一人だと三往復しなければいけない量ね。」
「先生も日直に頼めばいいのに。」
二人は寄り添うように階段を上っていく。
「日直だと日替わりだから、頼み事の度に説明するのが面倒なんでしょうね。」
「なるほど。要領を分かってる委員長が一番頼み易いのか。」
「そういうことね。まあ、学級委員なんて先生の下僕みたいなものよ。」
「はは。いろいろと大変そうだね。」
「そう思うなら、これからもずっとわたしの手伝いをしてくれないかしら?」
「えーと。偶にならいいけど、毎回はちょっと・・・。」
「重い物を運ぶこともあるし、二人だと面倒なことでも片付くのも早いわよ。」
「まあ、そうかもね。」
「わたしの下僕になってくれる優しい男の子が、何処かにいればいいのに。ねえ。」
霧沢が甘えた声を出しながら、優人の方をちらちらと見ている。
「そ、そうだね、何処かにいればいいね。」
優人は、霧沢の熱い眼差しから逃れるように顔を背けた。
資料室は仄暗く黴臭かった。資料の日焼けを防ぐため窓が無い所為だ。
「暗いわね。」
霧沢が、部屋の中央にある長テーブルに資料を置き明かりを点けた。
「よいしょっと。これはどこに片付けるの?」
優人も手に持った資料の山をテーブルに載せた。
「あそこね。脚立が必要だわ。」
霧沢が左側の壁際にある本棚の一番上を指差した。天井に近い棚には、二人が運んで来た資料の分の隙間があった。
「じゃあ、オレが脚立の上に乗るから、委員長は下から資料を渡してくれるかな?」
そう言って、優人が側にあった脚立を本棚にくっつける様に置いて足を掛けた。
「ちょっと待って。」
「ん。どうしたの?」
霧沢が脚立と優人を交互に見て何か考えていた。
「わたしが脚立に乗るわ。」
「え、危ないよ。」
「いいから。あなたは脚立が動かないように支えていて。」
「まあ、いいけど。」
仕方なく、優人が横から脚立を押さえた。霧沢が資料を小脇に抱えて脚立を上って行く。優人の眼の前に霧沢の細い足首があった。脚立が古い所為か、霧沢が動く度にギシギシと音が聞こえた。
「倒れないか不安だわ。あなた、屈んで脚立の脚をしっかりと押さえて頂戴。」
「分かった。屈んで倒れないようにっと。」
優人がしゃがみ込み、両手でしっかりと脚立の脚を持つ。そして、霧沢が足を踏み外さないか心配なので顔を上げた。
「あっ!」
「どうしたの?急に大声を上げて。」
「い、いや、えーっと。」
優人の位置からは、霧沢の膝まであるスカートの中が覗けた。薄暗い中に白い太腿と青いものがちらちらと見えている。
「何をそんなに狼狽えているのかしら?」
「そ、その、あははは。」
優人は言葉に詰まり、思わず笑って誤魔化そうとした。
「変な人ね。次の分を持ってきて。」
霧沢が脚立を一段降りて、優人を促す。
「只今持って参ります!」
優人が溌溂とした声で返事をし、長机の資料をサッと取ってくる。優人の体に何かしらの力が漲っているような、力強い動きだった。
「何だかやけに張り切っているわね。」
「そんなことはありません。さっ、どうぞ続きを。」
「はいはい。」
霧沢が再び脚立の一番上に立った。心なしか先程よりも足を広げている。そのお陰で霧沢のスカートの中が良く見えそうだった。妹の下着は直視出来ないが、霧沢の下着だと落ち着いて見ることが出来る。何故だろうか、と優人は頭の中で一瞬思い悩んだ。しかし、今はそんな悠長な事を考えている場合では無かった。男子にとって素晴らしき光景が、眼前に待ち受けているのだ。優人が期待に胸を膨らませて、スカートの中を覗き込む。
「あっ!」
「今度は何?」
「だ、騙された。」
霧沢の白い太腿の先にあったのは下着では無く、見慣れた青い体操着だった。霧沢は、ハーフパンツの裾をわざわざ短く折り畳んで履いていた。
「騙されたって、何のことかしら?」
「だって体操着じゃないか。くそっ。騙された。」
「あら。あなた、わたしのスカートの中を覗いたのね。」
霧沢が妖艶な笑みを浮かべて脚立を降りた。
「覗いたけど、下着じゃないからこんなのは無効だ。」
「見えたのが体操着だとしても、あなたが覗いた事実は覆らないわよ。」
「くっ。純真な男心を弄ぶなんて、委員長は酷い。」
「純真な男心って何かしら?」
「スカートの中の下着が見えることで、男子は心躍るのだ。それが、例え委員長のババ臭いパンツだったとしても、あっ、い、いたいっ、痛いですっ。やめて。」
霧沢は微笑みを浮かべたまま、優人の頬を右の指で軽くつねっていた。
「誰がババ臭いのかしら?」
「い、いえ。委員長様は綺麗でお美しいです。だからつねるのをやめて下さい。」
優人の懇願を受け入れて、霧沢が指を離した。
「あなた、失礼なことを言うわね。わたしだって下着には気を使っているわよ。」
「そ、そうでしたか。失言を放って申し訳ございません。ちなみに今日の下着はどんなのでしょうか?」
「ピンク色の可愛い下着よ。」
「それは是非とも拝見したいですな。」
「わたしが自分から見せるわけがないでしょう。」
霧沢が呆れた表情で、優人の願いを退けた。
「うう。確かに。でも、どうして体操着を履いてるの?」
「体育のあとに用事を言いつけられたせいで、着替える時間がほとんど無かったのよ。」
「そうだったのか。」
優人が残念そうに肩を落とした。
「上もブラウスの下は体操着なのよ。見る?」
「いえ、もう十分です。」
「でも、これからはこんなことも無くなるわね。あなたがずっと手伝ってくれるから。」
霧沢は嬉しそうに微笑んでいた。
「えっ?オレは、そんな約束をしてないんだけど。」
「あら。あなたはわたしのスカートを覗いたでしょう。」
「い、いや、だからそれは無効だって。」
「無効かどうか、これから放送室に行って、マイクで校内中に説明して貰えるかしら。」
「そんなこと恥ずかしくて出来ない。」
「それじゃ、今度のホームルームで、あなたの行為の是非について討論会をしましょうか。」
「ど、どうしてそんな衆目に晒される必要が?」
「あなたが無効だと言い張るからよ。いい?これは誰が見ても歴とした犯罪なのよ。」
「えっ。オレ、警察に捕まっちゃうの?」
優人は怯えたように体を縮こませる。
「そうよ。あなたは、女子高生のスカートを脱がして押し倒した罪で捕まるのよ。」
「ちょ、ちょっと待って。そこまで酷いことはやってないよ。」
「こんな誰もいない密室で、わたしのパンツが剥ぎ取られたと言えば、どちらの言い分が通ると思う?」
「な、なんでどんどんエスカレートしていくの?」
「つまり、あなたの生殺与奪の権利はわたしが握っているのよ。」
霧沢の口端が僅かに吊り上がる。端正な顔立ちだけに変な迫力があった。
「くっ。オレは委員長の言いなりになるしかないのか。」
「そういうことね。わたしの手伝いをしてくれるなら、あなたの破廉恥行為を誰にも言わないでおくわ。」
「それって脅迫じゃないか。」
「あら。クラスメイトにそんな酷いことはしないわ。あくまでもお願いしているのよ。低姿勢でね。」
「ちっとも低姿勢じゃないけど。」
「とにかく、あなたはこれからわたしの下僕よ。分かったわね。」
「うう。オレには選択肢がそれしかないのね。」
「ふふ。それじゃ、契約の証に握手をしましょうか。」
そう言って、霧沢が右手を差し出した。
「まるで悪魔の契約だ。」
優人は、嫌々ながらも差し出された手を握る。霧沢の手は、柔らかく温かった。
「悪魔じゃなくて天使よ。」
霧沢が優しく微笑んだ。
「というかさ、今になって気付いたんだけど、委員長はわざとオレにスカートを覗かせたのでは?」
「わたしが、そんなはしたないことをする女に見えるのかしら?」
「する。委員長なら絶対する。自分の目的を達成させるためには手段を選ばない人だ。」
「わたしのことをそんな風に思っていたのね。」
霧沢が握っている手に力を込めた。
「うっ。だ、だって。」
「あなたは嫌がっているけど、これは楽園への誘いかも知れないわよ。」
「それはどういう。」
握ったままの手を急に引っ張られて、優人は最後まで言葉を発せられなかった。よろけた優人の右肩が、霧沢の体に触れた。
「今度はわたしの下着が見えるといいわね。」
霧沢が顔を寄せて、優人の耳元で妖しく囁いた。
「な、なるほど。」
頭の中でピンク色の下着が浮かび上がり、優人の顔が赤く染まる。
「さっ、残りを早く片付けて一緒に帰るわよ。」
優人を納得させることが出来たためか、霧沢は嬉しそうだった。
雪奈とその友達は、学校が終わると
「ね、ね。中間テストが終わったらさ、みんなで打ち上げしない?」
「やってもいいけど、場所によるな。」
「どこでやっても一緒だって。雪奈はどう?」
「あたしはどこでもいいよ。」
雪奈は、右の手の平を突き上げニコニコしている。
「わたしもいいけど、なるべく静かなところがいいな。」
咲良も注文をつける。
「もう、注文が多いな。まあ、まだ先だから何か考えておこう。」
秋名が腕を組んだまま言った。
「で、咲良は、今日は何買うんだ?」
「ちょっとね、夏に着るブラウスでも作ろうかと思って、生地を見たいの。」
「咲良すごいね。あたしには出来ないな。」
「咲良、わたしにも何か作って。」
「お金取るよ。しかも時給換算で。」
「じゃ、止めておきます。」
「それじゃあ咲良。今度、あたしに編み物を教えてもらってもいいかな?」
「それぐらいなら、いつでもいいよ。」
手芸店では咲良が何枚か生地を買った。
「ね、あれ、絵にならない?」
公衆トイレから出て、秋名が噴水のほうを見て言った。
「何が?」
一緒に公衆トイレに行っていた春香が、秋名が指差すほうを見つめる。
秋名と春香がいるのは、駅前の商店街の中央にある、いわゆる噴水広場という場所だ。噴水といっても、円形の中央の部分から、時折、一メートル程水がせり上がるだけだ。その周りに10センチ程の深さの水が溜まっていて、その外側をレンガで円形状に囲ってある。そのレンガが丁度ベンチの高さぐらいに積み上げっていて、何人かが座って、会話したり、スマホを眺めていた。
その中に、雪奈と咲良がいた。秋名は二人を指差していた。
「ほら、雪奈を見ていて。わたしの意味が分かるから。」
秋名が、何か大切なものを見つけた表情で言った。
「ふーん。」
そう言われて春香が、公衆トイレの前にある背の高い植込みの間から、雪奈を観察する。
咲良がレンガの上に座り、雪奈がその前に立ったまま話し込んでいる。
低い位置にいる咲良を見る度に、雪奈の髪が揺れる。
広がった髪を、何度も雪奈が耳の後ろにかき上げている。
その仕草が、女性らしい素敵な感じがした。
両手を胸の前で合わせたまま口を開けて笑っている。
何だか、子どものようでとても可愛い。
長い手足としなやかそうな体がよく動く。
それに合わせて、滑らかな長い髪と膝まであるスカートが揺れていた。
まるでダンスでも披露しているような錯覚に陥る。
「ああ、あんたが言いたいことが分かった。ありゃ、お姫様だね。」
「でしょ、でしょ。ほら、みんなちらちら見てるよ。」
確かに、道行く人が時折雪奈に目を向けている。身長も高いため、周りに人がいても目立ち易い。
「しっかし、雪奈ってほんと楽しそうに笑うねえ。」
「きっと、毎日が楽しいんだと思うよ。目なんかキラキラしてるし。」
「あたしなんか、あんな風にお星さまみたいにはなれないな。」
「なれるよ。わたし知ってる。」
「えっ、マジで?どんな方法なの?」
「それはねえ。ふふ。」
「焦らさないで、教えなって。」
「恋する少女になればいいのよ。」
「は?」
「雪奈はね、きっと恋をしてる。多分、ずっとずっと恋をしてるんだよ。だから、あんなにも輝いてるのよ。」
「そんなもんかねえ。あたしには分からないな。」
「春香もそのうち分かるから。さ、二人のとこに行こっか。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます