七幕 世怪はあなた様のためにじゃない 2

 皆が足音を殺している。

 不安なのだ、と護は思う。目の前にある高佐の背を越えた先を懐中電灯で照らせば、この階段の終わりであろう小さな四角い穴は見える。太陽広場にある螺旋階段とは違い、視界が開けた作りでないゆえ、この裏エントランスからあがる階段の行く先が二階なのかは分からない。この先にやつらが待ち受けていたらと心配になり、やつらに気がつかれないようにと靴底を床につけるのに注意を払う。

 左手で引く、紫雨がさらに重たくなった。気が進まないのだと伝わってくる。

「あの。先に歩いてもいいかな?」

 角井の潜めた声を、後ろから護は捉えた。最後尾で歩く彼は、その前で歩くアルマに尋ねた様子だ。

「いや」

 アルマはきっぱり断る。

「頼むよ。なんかね、怖い。後ろから突然とばっと誰かに襲い掛かられそうで……それに」

「それに?」

「いや、何でも」

「ちょっと失礼」

「えっ?」と、紫雨が驚く声をあげた。手の感覚で紫雨が右へ寄り、護の肩がアルマから押し退けられ、見向きもされずに先を越される。

「あの。先に歩いてもいい?」

 後ろから角井の声がし、紫雨が「えっと」いって応えに口ごもる。護は苛々させられ、舌打ちがでた。

「黙って歩いていろ」

 護は角井を睨み、叱り飛ばした。泣きそうな顔をしていた角井から、素早く俯かれる。

「護君。そういう口の聞き方は良くないよ。いい加減にしようね」

 と、高佐から叱ったことへ注意を受け、護はさらに苛々させられる。

 ――苛々する。

 苛々しながら、黙って階段をあがっていく。歩調を速めそうになるのを堪える。

 高佐が階段をのぼりきって、足を止めた。懐中電灯の左右へ振ってから、護たちへ無言で「大丈夫だ」と報せるように手招いてくる。

 階段をあがり切った先に、裏エントランスと同じ広さほどの円形広場が広がっていた。薄明るい。出た右半円の壁はガラスのように透き通った壁。そこから白くぼやけた夜が見え、月光が差す。

 護はひとわたり見回す。透き通った壁に沿って望遠鏡が並び、軽食を売るスタンド店が散らばる。裏エントランスと同様の方角から二本の通りの始まりがあるようだ。――マップに標されてある『展望広場』に辿り着いたので間違いないと考える。

「ぱっと見た感じ、ここに放送室や、警備員室はなさそうだと思うけど、見て廻ろう」

 高佐の提案に、護は頷く。

「そんなの嫌です。見て廻るの御免ですよ。ここには、ないでいいじゃないですか」

 と、角井がごねだす。

 ――ああ。俺はお前のことがこの中で一番嫌いになりそうだ。

 この思いつきを声にだすのを堪え、護は鼻から息にしてだした。

「非常口を探しましょうよ」角井は縋る目を高佐にやる。危険だから、放送室、警備員室を探すのをやめようと両手を合わせて頼み込みだす。

 高佐は角井にほとけ笑む。ただ、それだけ。何事もなかったかのように、他の者たちに「探そう」と促し、角井にくるりと背を向け歩きだす。護もまたくるりと角井に背を向け、紫雨の手を引いて広間を巡りだす。

「綺麗な眺め」

 月光に右半分を照らされ、護が歩いていた時、紫雨が感嘆する小声をもらした。右には、白くぼやけた夜のもとで豊かに生い茂る山林の一面に広がり。どこまでも自然がつづいてる。瞳から幻想的に、又神秘的に美しく、護は通して思え、相槌をやる。

「綺麗だな」

「はい」

「ここが運営していた頃は、きっと多くのひとが集まり、この風景を眺めていたのだろうな。家族、友達、恋人とわいわい楽しく」

 紫雨が返さないので、護は続けた。

「その過去を想像すれば、なんとなく切なく、哀しいな。おかめっぐ君事件なんてものがなければ、ここはきっと今も運営されていたかもしれない」

 紫雨は何も答えない。護は引く手に重みがかかり、彼女に歩みを速めることを急かした。それには彼女は応じてきた。

 広場をひと通り見終わって、広場中央に集って護たち各々、ここには探し求める場所はないと判断する意見を述べた。目がこの広場から二つ開かれた通りの始まりへ意識しだす。

「ここにはないなら」と、護はふたつ開かれた通りを見据え、口開いた。「ここから見て、マップに従えば、右は『もくれん通り』、左は『イチョウ通り』がある。このどちらかへ進んで見ていく他ないだろう」

 誰も反対せずに、賛成した。

「『もくれん通り』には、家具、生活用品を取り扱う店が揃っております。また通りの途中にございます、巨大映画館『たまむし映画館』にご注目ください。……で、『イチョウ通り』は、スポーツ関連の店が集っております。ジム、屋内プールがございます」

 紫雨がマップを広げ、読みあげた。護は覗き込む。そのマップには、彼女が語った通りの説明が記載され、『もくれん通り』の下には『さくら通り』が同じ長さと形で、また同様に『イチョウ通り』の下には『ケヤキ通り』が位置されているのが見て取れる。

 あの、と角井が声を大きくあげた。護は無視することにして、紫雨の開いたマップを眺めつづける。

「俺が思いますに、映画館には非常口が必ずあるのではないかと思うのです。火災や震災が起こった時、観客が逃げだせるように備わっていないとおかしいかと」

 ――確かに。

 無視はすれど、両耳の穴を塞いでいる訳ではないので、護は角井の意見を聞いて納得させられる。確かに、とは思える。

(確かに。……だが、けれども、くだらない)

 護は大きなため息がでた。その息で紫雨の髪が揺れ、紫雨から瞬かれた。

「なるほどね。映画館に行ってみる価値はあるね」

 高佐が述べ、もくれん通りへ行くことを決定する。護はどっちの通りでも構わなかったので、何も反対意見は出さなかった。他の者も誰も反対しない。

 高佐を先頭にもくれん通りとする――開かれた右へ目指しだした時、最後尾にいた角井が進行をとめるよう訴えてくる。やれやれ、次は何なんだとうんざりしながら、護は角井を睨む。

 角井は今にも泣きそうな顔を高佐へ向けていた。

「今度は何でしょうかな。角井さんの意見を尊重して、これからもくれん通りへ行こうとしていますけど」

 高佐がほとけ笑みで、冷ややかな口ぶりで述べた。

「俺、最後に歩くのが嫌です。怖いです」

「なるほど。だけどね、俺は警備員である角井さんに最後に歩くのを任せたい。最後を任せられるのは、あなたですから」

「な、何で俺なのですか?」

「それは、警備員をしていて、男ですから。最後を女の子に任せるのは、心配だ。後ろから突然とやつらから襲われたら、女の子は抵抗できない。下手すると、人質にされるかもしれない」

「男なら、彼もいるじゃないですかっ」角井が声を張りあげて、主張する。護はひとさし指で示されてきて、実に不愉快だ。

「見ての通り、護君は紫雨ちゃんを手で引きながら歩いている。手が塞がっているのに、後ろを任せられない」

 途端、角井がしゃがみ込む。哀しみを全面にあらわに泣きだし、駄々をこねるこどもになる。「ここから出たい。命が狙われている。殺されたくない」と訴え騒ぎだす。

「困ったひとだな」高佐ひとり角井の傍に寄り、慰めだす。角井を泣くのをやめるように促してから、「なら、俺が最後に歩こう。きっと角井さんは先頭も嫌だろうから、先頭は護君に任せられるかな?」

 護はため息つく。

「ほんと、めんどうですね。めんどうだ。――もうこの際、俺ひとりで放送室に、警備員室を探しに行ってきますよ。高佐さんたちは裏エントランスにでも集まって、俺を待っていればいい」

「突然と、なんと滅茶苦茶な」

 高佐から眉をひそめられ、護はまたため息がでた。

「だって、めんどうだから」

「わたしは、護さんと行動します」

 すぐ紫雨が主張してきて、握る手に力を籠めてくる。護はため息つこうか迷い、検討するために紫雨を一瞥する。不安で、潤んだ瞳でいる女の子としか見えず、ため息がでない。苛々はしていて、苛々をちょっとは晴らすため、角井へため息をやってから、黙って紫雨を引いて先陣きって歩きだす。

「あの。わたしのせいで、手が塞がっているのは良くないですよね」

 開かれた右の通りへ入ろうとした時、護は紫雨からそういわれ、手を解かれ、服の背を掴まれる。彼女と手を繋いでいないならばと、その空いた手で用心としてハンマーを握った。

 通りのはじまりから木材の匂いがし、並ぶ店はショーウィンドウに箪笥、ベッド、食器を展示する――もくれんの名をつけるには、護からして、相応しくないと少し思える。だけど、これはもくれん通りで確かだと思えてくる。

「待ってくれ」

 低い音量で、高佐が声をあげた。

 妙に感じ、護は足をとめ、振り返る。護も含め皆足をとめていた。後ろにつづく、紫雨、アルマ、角井が皆足をとめ、高佐のほうへ顔を振り向けている。高佐は展望広場のあるほうへ顔を少しだけやり、警棒を身構えて睨んでいる。

「どうしたの、ですか?」震える声、高佐よりも低い音量でアルマが訊く。

「誰かがついてきている気がする」

 声を殺して教えてきた高佐の声の後、護は感覚を研ぎ澄ます。ここ、静かである。展望広場ある月光溢れる薄闇のほうから、誰かがついてきているという気はしてこない。


 続

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