七幕 世怪はあなた様のためにじゃない 1
ぺたりと音がして、またぺたりとした。
さくら通りの奥先へゆくほど窄まり、ものを覆い隠す闇に濃さが増す。三つの懐中電灯の丸い光が重なり集まるも、奥先の闇に隠されたものを暴くことはできない。多少は闇に慣れた目を凝らせど、護は何も見ることができない。聞き心地からして、濃い闇の手前から音がしていて、止まる兆しなく近寄ってくる。
――ひとりの、誰かがいる。
誰かが、靴の踵を鳴らして歩いている。さくら通りから裏エントランスへゆっくりと歩いてくる。
護の耳から脳への伝達では、そう訴えかけてきて、想像を膨らます。なのに、目からは何も伝達がやってこない。確かに、耳では誰かがこちらへとどんどんと歩みをとめることなく、歩いてきているのに。目には、歩いてくる者は誰もいないとする。
――これは、おかしい。感覚に狂いが生じている。
(誰かがやって来ているはずなのに……)
ぺたり、ぺたり、と音が徐々に大きく、近くなってくる。
護は息を飲む。ハンマーを構え持ち、さくら通りのほうを注視する。背中にいる紫雨から服の腰を握り締められ、彼女を背中で押して少し後ずさる。
「誰かいるのか?」さくら通りへ懐中電灯で照らしながら、警棒を高らかにあげる高佐が怒声をあげた。「隠れていないで、堂々と出てこい」
さくら通りを照らす懐中電灯の光がひとつ、右へ逸れた。咄嗟に、護は動かされた起点を見れば、恐怖で強張った顔の男がいる。角井のだ。後ろを気にするように目を動かしながら、後ずさりをしている。
「出てこいっ」
高佐がまた怒声をあげる。と、途端、足音がとまった。
護は目を戻す。やはり、誰も見えてこない。ほんと不思議で、おかしいくらいに、誰もいない通りにしか見えない。
「出てこないなら、俺から出向いてやろう」高佐が護たちを差し置いて、さくら通りへゆっくり歩きだした。アルマから呼びとめられても、振り返らない。「俺がとっ捕まえてやる」
(……俺も行かねば)
護が一歩踏み出そうとすると、紫雨から服を握る手に力を籠められ、後ろへ引かれる。振り向けば、「行っては駄目」と訴えかける涙目で、首を左右に振られた。
ちょっと、だけ。俺を放っておいてくれないかなって、護は叱咤が喉から出かけた時、高佐の足音に加わって、他の足音が始まった。音は、さくら通りのほうから。やつが動いたのか、と思い、さくら通りへ向く。
――たぶん、やつだ。
足音は、誰もいないと見えるさくら通りから。踵を返して駆けだす、逃げるとも受け取れる聞き障り。突然とした、相手の動きの変化に、護は戸惑う。
「逃げるのか?」と、高佐が小声で漏らす。進行をとめる。
足音は応じず、とまらない。どんどんと遠ざかり、あっという間に通りの窄みに飲み込まれ、消えてしまった。どこからも足音がしなくなる。
「追うか?」
無音を、高佐が破る。さくら通りのほうへ身構えたままでいる。誰からの答えを求めていない彼自身への問いかけに、護は聞こえたが、口を開いた。
「もしかしたら、俺たちをおびき寄せたいのかもしれない。相手はひとりじゃない、複数だ。今こちらは複数でいるのに、ひとりでのこのこやってくるのは少々おかしい」。
「うん。そうだね」と、高佐が落ち着いた声で応じた。身構えに少しも油断を見せることなく、護のいるほうへ後ずさりだす。「さくら通りの先にやつらが待ち受けていそうだ」
護の周りにひとが集う。その間、護はさくら通りを一点に目を集中させていた。護たちが一点に固まって、各々に開いたほんの小さな隙間に暫しの無音が流れてから、高佐がまた同じ口ぶりの質問で破った。
「駄目です。危ないですよ」
紫雨が応えて、護は「その通りだ」と口を合わす。
「わたし、その……さくら通りの方で見ました」
躊躇うように、紫雨が続けた。なんとなく、護には、彼女が何故躊躇うのかを察しられ、嫌な予感がする。護以外の者は違うのか、驚きの声をあげる。
「俺は何も見れなかったけどな。何を見たのだい?」と、高佐。
「女のひとです。おさげ髪をした若い女のひとが、こちらを睨みながら歩いてきていました。あの人、さくら通りを抜けようとする前で、高佐さんに怒鳴られ、急に怯えた顔になり、走って引き返していきました。追いかえるなんてしては駄目な……」
おさげ髪――が耳に入り、護は記憶に引っ掛かる。
「幽霊とでもいいたいの?」
黙り込んだ紫雨に、角井が震える声で聞く。紫雨から服の背中を強く掴まれるのを、護は感じ取る。紫雨は唇をしっかりと閉ざす。
「やっぱり、幽霊か」と、角井がぼやく。「幽霊だな。間違いなく、幽霊。あの足音は幽霊の足音。今もこの傍で幽霊っぽいものを感じる」
「あの……角井さん。あまり、その」
紫雨が小声で語りかけを聞こうともせず、「幽霊だ。幽霊」と、角井が幽霊と恐怖に憑かれたように連呼しだす。
「馬鹿っ。幽霊なわけない」
アルマが叱咤した。護は助かった心地がした。
アルマによって、角井を閉口させられ、護は耳障りが軽減した。ただ、代わりとして、護には分からない外国語、間違いなく文句であろう言葉がぶつぶつと始まる。「しゃいせん」との言葉が多く使われるのを、聞き取れる。
「幽霊なんて、ご冗談を」いって、高佐が苦笑する。「なんか、少し冷静になれたね。追わないのが、良策だね。追った先に罠が待ち受けていそうだ」
「そうですよ」
まだ記憶のどこかに引っ掛かりがありながら、護は相槌をやる。脳内で違和感があり、顰める。
「そういえば、護君はあいつらのひとりがやってくる前に、怖い顔して何かを見ていたけど、どうかしたの?」
護は高佐から聞かれ、なんとなくだが警戒を緩めても良い気がし、身構えるのをやめる。高佐を見れば、身構えを解いている高佐から正面やられている。護は上、広場の中央部あたりへ指をさす。
「作動されている監視カメラを見つけました」
「何だって?」と、高佐が声を裏返す。駆けて、さした下の辺りへ行き見上げる。「本当だ。点滅する監視カメラがあるね」
「ここにいるやつらは、俺たちの行動を監視カメラで見ていそうだ」
「確かに。考えられるね」
高佐は唸りながらで、護たちのもとへゆっくり戻ってくる。護たちの前に立ち止まってから、ひとり考え巡らしていたことに対して納得するように、「うんっ」と声をあげた。
「ここから出るためには、一番てっとり早いのは、やつらをとっ捕まえて、閉ざされた回転扉を開けさせることだ。やつらは、ここにあるであろう館内放送する放送室か、監視カメラのある警備員室にでもいるだろう。放送室か、警備員室を探さないか?」
「確かに。それがてっとり早いですね」
護は同意する。少し遅れてで、アルマも「そうね」と同意する。
「あなたたち、何でそんな危ないことをしようとするの?」喧しく、角井が口を挟む。声を潜めて、「あなたたち皆、やはりどこか変」
最後のいち語で、まず高佐、次にアルマと角井を睨み、そして護も睨む。角井は黒目を泳がせ、身を縮め込ませ、震える唇を動かしだす。
「他の出口を探しましょう。この意見は、すごく一般的な意見だと思います。案内図によれば、二階にも非常口があるとの」
「いい加減にしろっ。非常口なんか、ここにはないっ」
護はいい退けてやる。角井は首を左右にふる。
「きっと、ありますよ。それで、隅々探して、非常口を見つけられなかったら、あの回転扉を壊して、ここからでましょう」
「わたしも角井さんの意見に賛成です」
紫雨が小さな声で角井の肩を持つ。角井は嬉しそうに紫雨へ笑む。
さて、と護は高佐を見て、声をあげる。馬鹿馬鹿しくて、もう角井を見る気が失せた。
「俺が見てきた限りでは、見落としがなければの話、俺たちが通ったメインエントランス、おふじ通り、ひのき通り、太陽広場、さくら通り――そしてここには放送室、警備員室らしきものはないですね」
「そうだね」高佐が述べて、マップを広げ持ち。視線を落とす。「さすがに客向けの案内図には、放送室や、警備員室がどこにあるかは書かれていないな」
「この一階で見ていない場所は、ケヤキ通り。そこに放送室か、警備員室がある可能性はなくもないけど、今その通りへ行くのは気が進みませんね」
「どうして?」と、アルマ。
「あの俺たちから逃げ出したものは、太陽広場のほうへ行った。ここからケヤキ通りへ行くのは、やつが向かった太陽広場へあるほうへ行くのと同じだ。――もしやつらが俺ら五人やって来ても、太刀打ちできる罠が太陽広場で用意されていたらと考えたら、近寄るのを不安にさせる」
「なるほど。大体理解する」
アルマが応え、すぐ顔横で人さし指を上へ立てた。
「はい。ケヤキ通りに行かないなら、二階で探し行きましょう」
「二階?」と、護は訊き返す。
「そう。太陽広場のあるほうへ行けないなら、ここから行けるのは、二階か地下しか行けない。わたし、地下へ行くの怖い。地下へ行ったら、そのまま閉じ込められ、埋められてしまいそう」
なるほど、と護は頷く。地下へ行き、出入口を塞がれるのを想像できる。地下に閉じ込められたら、地中から外へ出ようとしなければならなくなる。地中から外へ出るとは、もぐらのようなことをしないということ、それは極めて困難か、不可能だ。――二階のほうがまだましだ。
「俺は二階よりも地下のほうに、放送室や、警備員室がありそうなイメージなのだけどなぁ」
高佐は首を傾げさせ、唸った。
続
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