六幕 うぐいす怪答しますね! 7

 長ベンチ、花瓶、回転椅子、長ベンチと続き、そしてまた長ベンチが回転扉に敗北し、原型を崩壊させた。回転扉は透明な表面に薄っすら引っ掻かれたような傷をついてはいるが、なんてことないと強固に平然としている。

 護は回転扉を睨みつける。これほどまで扉が憎たらしいと思ったのは、生まれて初めてだ。

 あまりの憎たらしさに、思わずリュックサックから鉄製のペンチを抜き出し、殺してやるくらいの勢いで投じてみたが、回転扉から弾き返される。ペンチを拾い上げてみれば、ペンチの先に小さな凹みができたのを発見する。――相手が普通のガラス板ではない。自分の想定を上回る強度のある防弾ガラスと推測させる。

「くそったれ」

 無意味にも、護は回転扉へ罵り、唾を吹きかけた。後ろのほうからの喧しさが耳に入ってきて、苛々してくる。未だに、パニック状態の角井が携帯電話で警察に通報を試みようとしている。「ちょっと黙っていろ」と発しかけ、察した高佐から肩に掴まれ、「やめなさい」とでもいう風に首を左右に振られた。

「あの。護さん、高佐さん」紫雨が声をあげ、両手でマップを広げて駆け寄ってきた。「この案内図によれば、このメインエントランス以外にも出入口がいくつもありますよ。いくつもの非常口があります。この入り口ほどの大きな出入口の裏エントランスがあります」

 護は高佐と共に、紫雨が広げたマップを覗く。彼女からそこにある建物に散らばって存在している非常口を指さされていき、この例えるなら歪ではあるが8の字の形――下部の丸の部分の真下にメインエントランスがあるなら、交差の点が太陽広場、交差した上部にある丸の部分の真上に裏エントランスたるものがあると指される。つい、護は首を傾げさせられた。

「非常口。――おふじ通りや、ひのき通りに何か所もある。そんなもの見かけていない」と、護はぼやき、高佐を見る。「非常口を見かけましたか?」

「いいや。見かけていないね」

 高佐は顰めて答えた。

「あの。裏エントランスへ行って見ましょうよ。もしかしたら、開いているかも」

 紫雨が提案すると、角井がすぐに提案に乗っかってきて、「行きましょう」と急き立ててくる。

(まさか――開いているわけないだろう)

 護は冷ややかに紫雨に、角井を見る。可能性を打ち砕いてやろうとした時、高佐が「試しに」との前置きをして、紫雨の提案に乗る。息を潜めるようにしていたアルマが提案に、「行ってみる価値あるのでは」として賛成する。高佐とアルマの意見に、護は「確かに」と共感できて、提案に承諾した。

 護たちはメインエントランスから、またおふじ通りを通り、太陽広場まで来た。この間に、マップ内ではある非常口はひとつも見つからなかった。太陽広場にもあるとされる非常口を探してみても、見つからない。

「非常口がないね。消されてしまったのか」非常口があるとされている場所――ただの白塗りの壁に向かって、高佐が述べた。

 だろうな、と護は思う。

 それから太陽広場にて、ここから裏エントランスへ行くにどちらの道――さくら通りか、ケヤキ通りを選ぶかで迷う。マップの案内では、さくら通りは男性ファッション関連の店を中心とし、ケヤキ通りはこども服と玩具関連の店を中心とした通りであると謳う。

「こどもとか、玩具とか、なんか怖くないですか。いかにも幽霊が出そうって感じがするし」

 皆で迷う中でこのように主張したのは、角井だった。「あ。そういえばそうだよな」って、護も思えて頷く。他の者たちも、角井に頷く。それで、さくら通りに決まり、足を進める。

 もう、困惑。

 先は暗闇、緩やかに左曲がりの通りを護は歩きながら、やはり案内通りに男性ファッション関連の店が建ち並んでいるのに、もう困惑しかない。だが逆に案内とは違って、あるはずの非常口が見つからないことには、困惑しない。当然だとしか思えないから。

 さくら通りを抜け、メインエントランスと同じほどの大きさの円形広場に出た。そこを『裏エントランス』と名づけるもの――出入口は真っ新な白い壁になっていた。大体予想できてはいたので、護はほっと安心させられる。逆に出入口があって、通り抜けられたのなら、怖いと思った。

 消失した出入口に向かって、護は安堵の息をだしてから開口した。

「分かり切っていた。ここはやつらの城。やつらが好き勝手できるように改装されているな。あのメインエントランス以外に抜け道はないだろう。マップにあるとされる他の出入り口は全て潰されていると思える。俺たちを閉じ込めて、袋のネズミにしたい訳だ」

「だろうね」

 独り言であったのだが、高佐が極めて冷静な面で相槌をくれた。角井には恐怖を与えたようで、絶望の前に置かされていると悲観させ、泣き崩される。紫雨からは身を寄せられ、薄ら闇の中でひとの温もりを感じた。

「あのさ。アルマさん」

 皆からひとり距離を置いて、俯き立ち尽くすアルマに、高佐が声をかけた。護の瞳に入ってきた顔をあげたアルマは、思いつめているとも、悩んでいるとも受け取れた。彼女は応じて、瞬く。高佐はぎこちなく笑み、火のついていない煙草を指で弄ぶ。

「アルマさんにね、聞きたい、聞きたいと思っていたことがあった。だけど、聞くに躊躇わせてしまってね。聞いても、気分を害さないかい?」

「はぁ?」と、アルマは返し、また瞬く。「――わたしに、聞きたいことがあるなら、その、どうぞ」

 高佐は目をアルマから逸らし、重たそうに口を開かせる。

「いつ頃、ケント君に襲われたか覚えているかな?」

 途端にアルマは眉に険を表し、高佐へ大きく口を開かせる。デリカシーのない質問を責めたいに見えたが、しなかった。口を一度閉めてから、小さく動かしだす。

「深夜の零時をちょっと過ぎた頃」

「ん?」と、高佐は返して、首を傾げる。「ひのき通りを歩きだしてから、どのくらいとの答えではなく、時刻で答えるの。どうして零時をちょっと過ぎた頃といえるのかな?」

「……それは、あの人の携帯電話のアラームが零時にセットされていて、鳴ったからです。その後に、あの人がいちゃついてこようとしてきて、払いのけて、いろいろあって」

 までいって、アルマは口を閉ざす。高佐から「これ以上語らなくていい」と制され、頷く。

 ――神さまに感謝しないと。あいつ、死んでよかった。

 なんとも恨み籠った、耳障り悪いアルマの小声を、護は聞き逃さなかった。

 高佐が唸って、護を呼ぶ。

「零時ちょっと過ぎといったら、俺や、護君たちがあいつらに出会った頃じゃないかな?」

「ええ。そうですね」

「その時刻に、ケント君はひのき通りで、ここに潜むやつらのひとりに襲われたわけだ。ここは小さい建物ではない。この巨大な建物内の、離れ離れの三点で似たような時刻で、俺たち各々、あいつらに遭遇した。――これは、すなわち、ここに潜むやつらは三人はいるってことは確定だな」

「はい」と、その通りだと、護は答えた。「俺は考えるに、そいつらは三人以上とは疑えます」

 高佐は腕を組み、「それはどうして?」と問う。

「あのケントはアルマさんを襲った後で、あいつらの一味に恐らくひのき通りで殺された。そして太陽広場にある迷子センターにその遺体が運ばれた。あの放送があって、俺たちが迷子センターに戻ってくるまでの間に。――その運んだタイミングは、俺と雨戸さんが太陽広場に到着する前か、俺たちがアルマさんを探しにひのき通りへ向かった後だ」

「なるほど。それで?」

「この八の字の形をした巨大なモールは三層合わせて、おふじ通り、ひのき通りとかと名前の付けられた通りは、全てで十二の通りがある。どのようにしてケントの遺体を運んだかは、十二の通りと上下の階層を使いこなせば無限の通りで可能だ。もしも俺と雨戸さんが太陽広場に到着する前であるなら、ひのき通りから真っ直ぐに太陽広場まで運んだとは思える。

 後者の場合であるなら、この無限の可能性のある通りによって様々な行き方でもって、太陽広場までに運んだ。例えばひのき通りから下り、メインエントランスから上の階へ行き、大回りして太陽広場へ下り運ぶ。他にはどこかに遺体を運んで隠れて、俺たちの様子を伺ってから、こっそりと太陽広場まで運んだとも考えられる。

 前者にしても、後者にしても、男の遺体を運ぶには、ひとりだと手際がかかる作業だと思う。

 俺と雨戸さんの前に現れたやつが一名に、高佐さんの前に現れたやつが一名を合わせ、二名は確定している。そしてケントを殺害して、迷子センターに運んだやつは、複数いるとして――

「なるほど。確かにそう考えれば、三名以上だ」

 繰り返しに高佐は小さく頷き、「なるほど」と述べる。瞳は壁になった出入口を映し、何かを考えている。息を長く口から吐いてから、煙草に火を点け、一服した。

「なるほど。と、なると、俺たちの命を狙っている者。――稚恵の仇はここにては三名以上か」

 口から白い煙と共に、その煙で隠されて登って消えていきそうなぼやきが流れ出た。煙が天井へ広がり消えてゆく。

「今、あのおかしなものたちはどこにいるのか」と、護は思いのまま、静かに声とする。

「この近くで見張っているか。――あいつらは俺たちを呼びだすために、館内放送をしてきた。この魔宮のどこかにある放送室にでもいるのか」

「ああ。放送室にいるのかもしれない。見張っているには間違いないね」

 高佐が相槌を寄越す。

(放送……)

 護は見あげさせられ、懐中電灯で見る先を照らす。縁起の良さそうな筆どりの、赤と白、黄金の無数の鯉たちが円形の天井に描かれている。その中央で鯉たちに囲まれ、スピーカーが吊るされている。

 あれが繋がっている場所は、このどこにあるのだろうか――と、護は見あげたまま、ぼんやりと考えだした時、極小の黄緑色の光が見えた気がした。スピーカーがあるほうへ歩み寄って、懐中電灯で照らして目を凝らす。

 スピーカーに隠れるようにして、黄緑色の光を点滅させる小型のカメラが設置されている。護の目に間違いないのなら、それは監視カメラだ。

「護君。どうしたのだい?」

 後ろから高佐の尋ねられ、足音がする。護は高佐へ振り向き、別のほうから小さな足音が聞こえてきて、違和感がする。

 薄闇の視界で捉える歩く者は、高佐だけ。それ以外の三人は立ち止まっている。

 護の視覚では、歩くものはひとり。なのに、聴覚では二人が歩いている。

 ――矛盾だ。

 視覚と聴覚で矛盾が起こり、奇妙な感覚に襲われる。と、高佐が立ち止まり、護から顔を背け、さくら通りのあるほうへやる。

 視覚では、歩いている者が誰もいなくなる。だが、小さな足音が続く。――聴覚では、確かにまだ誰かが歩いている。


 六幕 終

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