六幕 うぐいす怪答しますね! 2
「今、何かいったかい?」
貴金属が並ぶショーウィンドウを、護は横目で眺めながら歩いていた時だった。高佐からそう尋ねられたのは。
護は前を向く。手を伸ばせば届く距離にいる高佐から振り向かれていて、瞬かれる。
「いいえ。何も」
右にいる紫雨も、左にいる警備員も何もいっていなかったので、護は不思議に思う。高佐から疑われ、否定する。
「一昨日、昨日と仕事で全然眠れていなかったから、やはり疲れているのか」
高佐は首を左右に振るってから、前を向きなおした。
左から息を吐く音が聞こえ、護はその方を見る。警備員は疲れた顔をしていて、肩を落としていた。
「あの。具合は大丈夫ですか?」
護が尋ねれば、警備員から竦みあがられ、驚きの声をあげられる。警備員は護のほうへひきつり笑み、後頭部を掻く。
「ええ。まあ。大丈夫かな? お腹はまだ痛いけれど」
「さっきは失礼な態度して、すみませんでした。苛々していたから」
警備員は首を横に振った。
「謝らなくて、いいよ。高佐さんから話は聞きましたから、何となく苛々しているのを理解します。――その、ご家族の方が失踪して、ここで失踪したとか」いって、警備員は唸る。「何と言葉を選んだらいいのか。同情します」
護はもう一度謝って、前を向く。警備員が、護と紫雨に名前を恐る恐ると尋ねてきた。紫雨から答え、次で護は答えた。紫雨が警備員に名前を優しく尋ね返す。
「俺の名前はツノイ、ユタカといいます」
警備員は小声で答え、ちょっと笑いを零す。紫雨もちょっと笑う。護は笑わないで、懐中電灯で左右にある店を照らし眺める。
「ユタカって、豊富の豊と書くのですか?」
紫雨が護の横から顔を出し、警備員を覗き込んで聞く。すると護の横から警備員が小さな手帳を紫雨へ差し向ける。護の視界に、手帳の表紙に角井由孝と記載されているのが入ってくる。「このように書くのだよ」と、警備員は答える。
紫雨が彼女のことを紹介してから、角井とのこと警備員について関心を寄せる。
「二十九歳で、ここの警備員をして働いていますとしか」と、角井はぼそぼそと紹介する。
「二十九歳に見えませんね。もっと若いのかと思いました」
紫雨の意見に、護も同感であった。二十代前半かと考えていた。
「ありがとう。だけど、若いっていわれて、喜んでいいのやら。あまり嬉しくないような。――この見た目のせいで、年下のひとから年下と見られて、馬鹿にされるから」
護は角井から見られた感じがした。紫雨は苦笑して、尋ねる。
「角井さんは何でここの警備員に?」
「あんまりいいたくないな」と、角井は渋る。「もとは都内で会社員として働いていたのだけど、パワハラで体調を崩して辞めちゃった。働けない期間が続いて、ブランクができて、求職して面接が通ったのがここだったから」
角井が黙ったが、紫雨は何もいわない。暫し沈黙が続いた後で、角井が声をだす。
「時給が良くて、訳ありの仕事と思っていたけど、やっぱりそうだなぁ。廃墟ってされるから、幽霊をよく見るし。ああ、寒いなここ。――また幽霊を見えてしまいそう」
ぼやきに、護には聞こえた。
「大変ですね」
ぼそりと紫雨はいった。角井を覗き込むのをやめ、身をひっこめさせ、護の手を握る手に力をこめ、肩に身を寄せる。
「あの。ちょっといいですか?」
「な何でしょうか?」
護の呼びかけに、角井は声を裏返す。
「気になっていたのですけど、何で今日は警備員として働きに来たのですか? あいつ……あなたに暴行を振るったやつのいうには、今日はそいつの友人だけが警備するとかの話だった」
「俺の上司というのか、警備監督から、『今日警備するやつは、不真面目で、よくさぼるから、注意してくれ。あいつが警備担当のときは警備員室に連絡をして、連絡が取れなかったら確認へ行ってくれ』と頼まれていたの。働いていない人間のために、高い給金を払いたくないからって……。だから、俺はあいつが働く時にこまめに連絡を入れていて、今日の朝にあいつへ連絡したら、『あんまり電話してくるな。うっせぇーよ。ぶっ殺すぞ』と怒鳴られて、なんか嫌な予感がした。それで、また夕刻に連絡を入れ、連絡がとれなかったから、仕方なしに来た」
「へぇ。どうやって、ここまで来たのですか?」
「スクーターで来たの」
「スクーター? 近くに住んでいるのですか?」
「もちろんだよ。八定山の近くにあるアパートにね」述べて、角井は唸って、顔を顰めた。「ほんと、嫌な予感したのだよ。ここへ来る途中にある車道を通行止めにされてある門を見れば、南京錠が壊されてもいたから。あの南京錠を壊したのは、俺を殴ったあの彼?」
「あいつのせいで、ですね」
と、護は正直に答えた。
「とんでもないやつ。やっぱり、この後財閥に報せるべきだよな」
「君ね。俺の四年間を台無しにするのはやめてくれるかな?」
高佐が声をあげ、角井を睨む。角井は慌てて、頭を下げて謝る。
「角井さんは警備員の仕事として、来客が来たら、来客に財閥へ一報を入れさせないといけないとか?」
護が聞けば、角井から頷かれる。それで質問を続けた。
「具体的に、財閥の誰に連絡を入れているのですか?」
「一報を入れないといけないという相手は、ミズノツルコというひとになっているよ。だけど、連絡をしてもそのひとが応じることはなく、代理人が応じてくる」
(――ミズノ?)
護は胸にひっかかる。その姓に妙なひっかかる。菊野の姓ではないというだけでない、何か別のひっかかりだ。
「そのミズノツルコとは、何者ですか?」
「俺の上司から聞いた話だと、このモールの設立者の親戚で、その設立者のひとから実の娘として可愛がられていたそう。もとは菊野という苗字だったけど、結婚をしてミズノという苗字になった。設立者のひとが死んで、遺産配分の時に、彼女へこのモールの所有権を与えられたのだそうだ」
「なるほど。つまり、このモールを管理しているのは、その彼女ということですか?」
警備員は首を横に振る。
「彼女は所有権があるってだけで、ここを管理しているのは菊野財閥グループとのことだよ」
腑に落ちなくて、護は顰める。
「でも、連絡をいれないといけない相手は彼女だ。そんな来客へ一報の指示をだしているのだから、管理しているのは彼女では?」
「うん。なんか複雑みたいでね。上司の話では、その彼女が所有者だから、肩書き上、彼女へ一報を入れないといけないってことになっていて、そうすることを決めたのは菊野財閥グループだとか。彼女は所有者ではあるけど、菊野財閥グループに管理を全て任せているとか」
護は高佐に声をかけ、ミズノツルコについて知っているかを聞いた。高佐から、知っていると背を向かれたままで返された。
「俺は一度だけ遠目で彼女を見たことがある。年齢は確か七十後半。俺はここのモールの所有者が彼女になっていると知って、彼女に会いに行ったら、彼女と住まう家族から『会わせたくない』と追い返された。彼女がジャーナリストを怖がるからの理由でね。その時に、彼女を見たのさ。――彼女の家族の話だと、設立者の菊野三郎との約束でもあるから、彼女は肩書き上で所有者になってあげたもので、別に所有したくなかった。だから、彼女はモールのことは全て財閥に任せていて、モールがどのようになっているのか、管理されているのか知らないのだと。財閥にも確認したら、彼女は所有者だから肩書きを使わせて貰っているけど、呪いに巻き込まれないために関わらせていない――無関係者のようなものだと説明してきた」
はたして無関係者といえるのか、と護は信じがたい。また「呪い」という口実も出てきたから。彼女について携帯電話を使ってネットから調べてみようかと考えだした時、高佐の背中とぶつかりそうになった。
「あれは、なんだ」
足をとめた高佐がいった。護は高佐の照らす先を、肩越しから覗く。高佐からの光で暗闇が薄暗くなって見えるほど離れ、通路の真ん中で極小の灯りが床の上で揺れている。
自然と、護は身体が動きだす。高佐を追いぬいて、灯りへ歩む。高佐たちから呼びとめられたが、動きは止まらない。
ジッポが蓋を開けたまま床に置かれ、火を揺らしていた。その前で護が動きをとめ、火を見下ろしていると、高佐たちが駆け寄られる。
高佐がしゃがみこみ、ジッポを拾いあげ、顔を顰めた。ジッポを手から離して、床に落とす。
「な、なんて、き、汚いっ」
「汚い?」と、護は顰め返す。
「ガムがくっついていた。誰かが噛んだ、唾液つきのガムを触ってしまった」
護はしゃがみこんで、落とした拍子に火が消えたジッポを眺める。ジッポの底にガムが付着していた。ジッポを摘みあげれば、ミントの臭いがする。ミント味のガムかと判断する。
「このジッポは一体何なんでしょうかね?」
紫雨が恐る恐ると護へ訊く。
「ずばり、誰かが俺たちをここへ呼び寄せるために置いたのだろうな。ジッポが倒れて呼び寄せる火が消えないよう、ガムで床に固定させた」
護は答え、息を長く吐いてから、ジッポを床へ放り捨てる。腰に差していたハンマーを抜き、手にした。
「あれ、好都合。自らで招いてきて、これ幸いだ。今、あのおかしなやつが近くにいて、俺たちを様子見ているわけだ。道を逸らされたと思いきや、こうして流れ着くように道へ戻される。俺たちにあいつを捕まえろとの天からの思し召しだ」
紫雨と角井は狼狽え、周囲を見だす。
「あのさ。みんな」と、高佐が捨てられたジッポを手にして声をあげる。「このジッポは、ケント君のものじゃないかな?」
「そんなこと知らない」
護は即答して、左に右と見る。左には女子トイレがあり、右には『貴金属GOROU』との看板を掲げた店がある。感覚を研ぎ澄ます。しかし、悔しいことに何も感じとれない。
「えっと、たぶんあの弓中さんのものだと思います」
紫雨が高佐に自信なさそうに応える。
「これがケント君のものだとしたら、ケント君とアルマさんに何かあったのではないのかな。だから彼らと連絡も取れないのだ」
高佐の動揺する発言を耳にした時、護は既に身体が右へいざなわれていた。確かに、と思える発言ではあったが、何かあっても仕方がない場所と考えている故か、動揺はしなかった。右へ行こうとすると、高佐に腕を掴まれ引き留められた。
「護君のいった通り、これはあの着ぐるみからの呼び寄せで、そいつがこの近くで潜んでいるかもしれない。ひとり行動は危険だ」
護は高佐の手を振りほどこうとするが、角井からは肩を掴まれ引き留められ、さらに紫雨からは手を掴まれ引き留めらる。角井、紫雨どちらからも高佐と同じことを説きだす。その間、高佐がケントとアルマを呼び、トランシーバーで彼らに応答を求める。――喧しくて、護は頭が痛くなってくる。
黙れ、と護が喝破しようとした時、紫雨が唐突に黙って、女子トイレのあるほうへ顔をやる。彼女は身体を震わせ、怯えた目となる。
「どうした? 紫雨ちゃん」
察したのだろう高佐が声をあげ、彼女を案じる。彼女は高佐へ一瞥してから、重たそうに口を開いた。
「い、今……あっち、女子トイレのほうから、女のひとの声が聞こえました」
「何?」と返して、高佐は目を開かせる。「俺は何も聞こえなかったが、トイレにアルマさんがいるのかもしれない」
「俺も何も聞こえなかったけど、そうかもしれない」
護は思ったまま述べた。高佐と目が合い、目だけで意思疎通した感じがする。高佐が頷き、ベルトの間に差していた警棒を手にする。意思疎通をしていたと、護は理解し、ハンマーを振りあげ、高佐と肩を並べて女子トイレのほうへ歩きだす。
「あ、アルマさんの声じゃないかもしれない。……二人とも行かないほうがいいです」
護は紫雨から服の背を掴まれ、引き留まらせようとされる。彼女を振り払い、先へゆきだす高佐へ遅れを取るまいと続いた。
続
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