五幕 ぺちゃいせん 怪道 6 

 怪奇に歩いている。

 歩けど歩けども、緩やかに左曲がりの通りに終わりが見えてこない。懐中電灯で照らせど、マップではこの先にあるという『太陽広場』たる円形の大広場は見えずに、お先が暗闇の通りが続く。一生、この怪奇――気味の悪い通りを歩き続けるのではないか、と、ケントに想像が押し寄せられてくる。

 ケントは歩調を速める。両サイドに並ぶ店々を、ざっくりと見比べていく。どの店も曇りのないショーウィンドウに、高級感が漂う。大方が貴金属を取り扱う店といったところ。ショーウィンドウに並ぶ品は、偽物という感じはない。目を凝らして、店内を見ようかとちょっと思い迷い、怖くなってやめる。

 ――凝らし見てしまい、見たくないものを見てしまいそうな気がしたから。

(こんなはずではなかったのに……)

 ケントはため息をつきそうになり、堪える。すると、また後ろのほうから「見られている」という感じ、寒いものを感じた。振り返ろうかと迷うが、「怖くなることない」といい聞かせ、振り返る。アルマが俯きながら、懐中電灯を床へ照らして歩いている。

「俺のことをまた見た?」

 ケントが尋ねると、アルマは顔をあげた。一拍を置いて、アルマから首を横に振られる。

「照れちゃって。恥ずかしがらないの」

 ケントは笑って述べた。アルマから目で笑まれ、また首を横に振られた。

「俺の隣においでよ。ここ、怖くない? さっきから、もう肌がぞくぞくするわ」

 いって、彼は本当に肌がぞくぞくした。冷たいものが首筋を撫でてきたことによって。

「はい。怖いです」と応じ、アルマはケントの隣にやってくる。瞳を左右に動かしながら「――変な感じがする。どこからか誰かに見られているような。ひとりじゃなく、複数いる感じ。誰かが潜んでいるのかも」

「誰かとは、ゴーストだと、日本語でいう幽霊といいたいの?」

「えっ?」

「うん。だから、ゴースト」

 アルマは大きく首を横に振るった。

「ゴースト……幽霊だなんて。幽霊じゃなくて、ひとがいるって感じです」

「ひとじゃなくて、これはゆーれい」

 ケントが断言すると、アルマから少し肩を離された。

「幽霊が、見えるのですか?」

「うん。ちょっとね。さっきも見たよ。ここは閉鎖して、生きたひとが滅多に来ないから、代わりに幽霊が集まってくるのかもね」

「ジョーク?」

「ジョークじゃないよ」

 アルマは苦笑う。

「わたし、大学で先生から、幽霊が見えるひとはみんな精神に病気を抱えていると聞きました。だから、あまりそういうことを他人にいわないほうがいいですよ」

 ケントからして、かなり酷い発言であった。可愛くない女に思える。だが、彼女の表情からして、嫌悪あってのではなく、あくまでブラックジョークとでも受け止めての、親切心からの忠告のよう。

「アルマちゃんは幽霊の存在を信じないの?」

「もちろん。幽霊は信じません。日本では幽霊文化が盛んですよね。幽霊とは、この世界に未練があって、あの世というところに行けない魂ですよね。わたしや、わたしの周りでは、ひとは死んだら、みんな神さまのもとへ行くと考えます。この世界に死んだひとは留まることはない。だから、この世界に死んだひと……幽霊はいません。幽霊ではなく、悪魔なら信じるけれども」

 アルマが真剣な顔で語り、ケントは失笑する。幽霊よりも、悪魔を信じるほうが病気に、彼は思う。

「あの。わたしは何かおかしなことをいいましたか?」

「いいえ。いいえ。育った環境の違いで、考え方は違うと考えさせられたよ」

 アルマは暫し黙ってからで、頷く。ケントは彼女に愛想笑みをしたが、彼女から笑まれずに俯かれ、黙々と歩かれる。

(バスの中では、彼女はおしゃべりで、俺に気がある感じだったのに。……やっぱ、俺が警備員のやつをのしてやったのが、まずかったのかな)

 綺麗な鼻筋の横顔を、ケントはちら見しながら歩く。親しくなっておきたいと思え、距離を置かれてしまったのなら悔しくなる。

 すると、ズボンの後ろポケットにいる携帯電話が、エレキギターの演奏を始めた。アルマから驚かれ、悲鳴をあげられる。すぐに演奏を止めて、彼女に謝り、「アラームだ」と説明をした。

「アラーム?」聞き返し、アルマは左手首に巻かれる皮ベルトの腕時計を眺める。「今、零時ですね。何で零時にアラームなんか?」

「ここ最近ね、零時から始まるラジオの音楽番組をよく聞いているのよ。それを点けると、リラックスできて、ぐっすり寝むれる。だから、番組が始まる時間にアラームをセットしているわけ」

 アルマは笑む。

「なるほど。わたしも音楽を点けながら、寝たりします」

 まったく、本当なら今頃家でラジオ聞けていたはずなのに――と、ケントは口が滑りそうになった。彼女へ嬉しそうに、「音楽を聞きながら寝るのはいいよね」と共感してやる。

(あいつ……)

 舌打ちばかりに、唾ばかり吐く、態度の悪い男が、ケントは頭の中に浮かぶ。苛々してくる。

 あいつめ、とケントは憎み思いだす。

 あいつさえ、邪魔しなければ、きっとこんな場所に調査をすることにならなかった。わざわざ通行止めにする車道の偽物の鍵を用意して、高佐に渡したのに、あいつが全部おじゃんにした。あいつがいなかったら、俺は高佐に徒歩でここではない、発電所へ案内したかったのに。もしも、ここで失踪事件が生じたという証拠が見つかったら、俺はおしまいだ。

 つい、ケントは懐中電灯で辺りを照らし見る。光沢のあるフロアから光を眩く返される。ここは清掃が行き届いている。

(不安になることない。……四年も前に起こった事件だ)

 ここで起こったとしても、清掃によって証拠なんかないだろう、とケントは思え、安心させられる。ちょっと笑いがでかけそうになる。

「あの。辺りを見たりして、どうかしましたか?」

 アルマが狼狽え、怯えるような目になる。そんな彼女に、ケントは堪らなく可愛いと思え、からかいたくなる。

「幽霊を見えちゃった。どうしよう、怖いなぁ」

 ケントは嘘をふざけていって、アルマに抱きついた。秒を置くことも許されずに、彼女から強烈な平手を頬にくらわされ、突き放された。

「しゃいせん」

 アルマが目を尖らせ、怒鳴った。外国語で罵ってきた、とケントは察する。

「どうしちゃったの?」ケントはじんじんと痛む頬を摩りながら、訊いた。「バスの中では、俺に興味がある感じで、君から近寄ってきたくせにさぁ」

「あなたは、酷いひと」

 アルマは目を尖らせたまま、ケントの顔のほうへひと差し指を突き立てる。

「うん? 警備員のことで、やっぱり気にしているのね。警備員をああしちゃったのはさ、仕方のないことだよ」

 アルマは首を横に振った。

「暴力は許されることじゃない。暴力は犯罪。……あなたが元犯罪者だということを聞いて、嘘かと疑っていたけど、やはり元犯罪者だから暴力を平気で振るえるのですね」

 とんでもない侮辱と、ケントは受け取った。怒りで、顔が歪みそうになる。――高佐が教えたのか、と容易に閃く。

「俺が元犯罪者っていう酷いことは、誰から聞いたの?」

 ケントは平然を装って、明るく聞いた。怒りを紛らわすために、ジッポの蓋を弄りだす。

 アルマは黙りこむ。ケントは教えてほしいと頼みこんで、口を開かせた。

「紫雨さんからです。あなたは本当に酷い。あの子の話によれば、あなたは、四年前に集団の失踪事件がここで起こったということを知っておきながら、逮捕されたくないからという自分勝手で、わざと黙っていたとか。これも嘘じゃなく、本当だと理解する。わざと突然抱きついてきて、セクハラするひとでもあるから」

(あの女の子が、そんな……自分勝手とか、わざと、と教えたのか?)

 ケントは予想外過ぎて、眩暈がちょっとした。アルマから躊躇いなく、バスの中で結ってやった髪を解かれ、顔を背けられた。

「あまり、わたしに近寄ってこないで。あなたのようなひと、嫌いだから」と、アルマははっきりと述べた。左のほうへ顔をやる。「あの店の中から、さっきから見られている感じがする。わたし、見てきます」

 ケントは彼女が向いた先を見る。真珠のジュエリーだけを飾るショーウィンドウの店がある。確かに、そこから何かを感じる。

「ひとりは良くないから、俺もついていくよ」

「やめてっ。ついてこないで」

 アルマが嫌悪を露わに、叫んで断ってきた。ケントは閉口させられる。

「他の店を調べてきたらどうですか? 高佐さんのために、四年前の事件を明かすために」

 アルマは、店へ闊歩しだす。

 店へ入っていく彼女の背を、ケントは睨む。身体が勝手に動いて、彼女を足音立てずに追いかける。店内に入れば、彼女は店の奥にいてこちらに背を向けて、懐中電灯を振り照らしている。一気に彼女へ駆けた。彼女の直前となり、彼女から振り返られ、目を大きく開かせられる。そんな彼女の側頭部へ懐中電灯を振るった。彼女は声をあげずに、横倒れになる。

 倒れる彼女を見下ろして、彼は爽快である。顔が笑いで崩壊させられた。


 ***


「しゃいせんって、いってこないのかよ?」ケントは倒れているアルマに尋ね、腹を靴先でつつく。彼女から何も応じられない、微動ともされない。

 経験から、あれくらいでひとが死ぬことはない、と彼は思う。だが殺してしまったのかと、ちょっと不安になり、彼女の首筋に手を当てる。脈がある。ただ気絶しているだけであろうと判断した。

 彼女の紫色になった額の左端を眺めてから、ワンピースが捲れて露わになった白い太ももを眺める。顔のいたるところがにやけてきて、歪んでくる。笑いがまた起こりそうで、喉や腹がうずうずしてくる。

 アルマがうわ言を漏らし、「死んでいない」と安心させられる。嬉しくもなり、歪みを抑えきれない。

(死んでいないなら……)

 ケントは店の入り口を懐中電灯で照らす。誰かがやってくることが不安になる。あの態度の悪いやつと紫雨は来ることがないと思う。彼らはこのひのき通りと左右対称にある、おふじ通りにいるはず。ここへやってこれる可能性があるのは、ずばり高佐だ。

 ドリーム広場から高佐がここへやってくることを恐れて、ケントは店の外へ出た。ドリーム広場がある方向へ懐中電灯で照らし、気配を伺い感覚を研ぎ澄ます。

 ――困ったことに、感覚を研ぎ澄ませば、何かいる気配をそこらから感じてしまう。

 不安を解消させるために、ケントはトランシーバーを使って、高佐に連絡を入れる。高佐にどこへいるかと質問をした。

 ――ケント。お前のせいで、俺は困っている。警備員の方がまだ目を覚まそうとしない。もしも彼が昏睡状態だったら、一体どうしてくれる?

 トランシーバー越しで答えの代わりに、文句をいわれた。ドリーム広場にいるのだと察して、平謝りをしてから、すぐにトランシーバーを切った。

 高佐に弱みを握られている故に、強く出られないことが悔しくなる。弱みを握られていなくても、高佐には強く出られないとも思えはする。

 ケントからして、高佐は「とても良いひと」と評価できる態度と振る舞いをするが、憤慨した時は言力と腕力でもって恐怖へ陥れてくる。――哲也に鍵を渡した経緯を高佐に教えるのに、ちょっと躊躇いが生じた時、高佐から貰った鉄拳を思い出して、思わず鼻をいじり、身震いした。

 ケントはため息をつき、店の中へ戻る。アルマは先ほどと変化ない。アルマに近寄ろうとすると、横から見られている感覚に襲われ、咄嗟にそこへ懐中電灯を向ける。

 真珠のジュエリーが詰まったケースを並べて作られたカウンターがあり、その後ろには店員が接客するために控えられるスペースに、さらに後ろには格別に高価そうな真珠のジュエリーが陳列された棚がある――と、ケントは目を凝らす。それ以上に何も見えてこない。

「誰かいるのか?」

 ケントは呼びかけてみた。しかし無反応だ。「本当に気持ちの悪い場所だ」と思え、むかついてきて、近くにあった大粒の真珠のネックレスがひとつ納まった展示ケースを押し倒した。展示ケースは大きな音を立てて倒れ、ひびが入る。少しだけ、良い気分になる。

 アルマに近寄り、傍でしゃがみこむ。彼女の肩を揺すり、呼びかける。彼女もまた無反応だ。この無反応は、とても良い気分になる。

 アルマの身体に覆いかぶさり、赤いピアスのつく耳たぶに舌先を近寄らせ――微かに鼻腔を刺激してくる、ミントの臭いがした。

(ミント……)

 ケントは首を傾げ、アルマを嗅ぐ。アルマからは石鹸の臭いがする。このミントの臭いが妙に気になって、どこからかと首を動かし、後ろで停止させられる。

 背後に、真っ黒い人間の形ではない、ずんぐりむっくりしたものが立っていた。光で照らされていないから、そう見える。その形は例えるなら、鶏冠と広げた翼を備えた鳥人間――着ぐるみを着た人間だ。

 ――この形は、おかめっぐ君か?

 脳が形からそう連想しだし、懐中電灯でそれを暴こうと動く。しかし、そのものが先に動き、腕を高らかに振り上げる。振りあがった手には、先の尖った金属製の園芸用こて(※)が握られているのを視覚できた。



 ※ 関東では「シャベル」。関西では「スコップ」と呼ばれる道具。




 続

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