五幕 ぺちゃいせん 怪道 1
声色で例えるなら、若い女だろう。
その甲高い悲鳴に似た音あがって、バスにブレーキがかかった。護は耳穴に音がこびりついた感じがし、目を開けるよりもまず先に、顰ませられ、左右の耳穴を指でほじる。それから、うんざりと目を開け、目を瞑った紫雨が頭を自分の胸に寄りかからせているのを見た。
「みんな、八定ショッピングモールに到着したよ」運転先から、高佐が声をあげた。
護は紫雨の肩を掴み揺らす。紫雨は目を開け、あくびをこぼして、微笑んだ。
「寝ちゃいました。護さんの身体温かいから、気持ちよくなって」
「そう。俺は重たくて、寝れなかった」
護はため息つく。紫雨は明るく笑って、詫びる心が伝わってこない謝りをする。
「八定ショッピングモールに到着した」
「本当に?」訊いて、紫雨は席から腰をあげ、護の肩を掴んで窓を覗く。「あの。到着したのですか?」
護は窓から外を伺う。外は夜であるのに変わりない。だが霧が夜を薄っすらと白濁させている。バスのヘッドライトで照らされた遠く先には、先ほどの交通止めの門よりも遥かに高さがある、無数の槍で編まれてできたような金属の門と、その両サイドから同じ高さの鉄柵が何かを囲うように続いてある。目を凝らすが、霧のやつが上手いこと邪魔してきて、門の奥に何があるのかよく見えない。
高佐が小型のリュックサックを背負い、下車していくのに、護は気がつく。自分も早く後に続かねばと、急いでリュックサックを背負う。すると、紫雨から「わたしも一緒に。待ってください」と頼まれる。紫雨は教科書を入れるのに不便しなさそうな大きさの、黒いハンドバックを肩に掛けた。
「あの。護さん。お塩をかけておきましょう」紫雨はハンドバックから食卓塩と書かれた小瓶を取り出し、微笑んでいった。
思わず、護は額に手を当てる。また、だ。非常に理解に苦しむ発言を受けた。
「塩をかける?」
「お塩は魔除けになります」
やめろ、と護が制する前に、紫雨から小瓶を両肩の上に振られた。そして手を繋がれた。紫雨のあどけない笑みを見て、払い除ける気にはなれず、代わりにため息をこぼした。
護は紫雨を引いてバスから下車した。薄っすら霧が漂う、午後十一時を迎えようとしている夜にいる。何となく見あげれば、霧によってぼやけた上弦の月から見下ろされている。バスのヘッドライトは落とされていて、門の近くにいる高佐が手にする懐中電灯しか灯りがない。リュックサックから懐中電灯を取り出し点け、周囲を見渡した。
護がいる位置からして、バスが停まる場所は、樹々に囲まれた楕円の広場。山中ではなく、都会を彷彿させてくる真っ平ら、凸凹なく整備されたコンクリートの地面。門の右わきには、灯りのない掘立小屋がひっそりとある。
警備員室
警備員 年中24時間待機中!
掘立小屋の扉には、このように報せてくる表札。それを護は知ってから、高佐に歩み寄る。
「この門の向こうに、八定ショッピングモールがあるのですよね?」
護は高佐訊いて、門を懐中電灯で照らす。格子の間からよくよく先を見れば、遠くに四角い建物らしきものが見えはした。
「ああ。そうだとの話だ」と、高佐が答える。
護は門を眺める。先ほどの通行止めの門とは違い、南京錠による施錠はされていない。門には鍵穴がついている。
「高佐さん。お待たせしました」
後ろからケントの通った声がして、つい護は舌を打つ。
ケントは小走りでやってきた。腰に小型のウエストポーチ、右手には懐中電灯がある。その後ろから、ゆっくりとした歩調で、アルマがナップザックを背負って続く。
「はてさて、ここの鍵も合わなさそうだ。その場合は、さて、どうしたらいいのやらだな。門をよじ登るのか」
護はケントを横目に思ったことを、わざとでいってやった。ケントから瞬かれてから、苦笑された。
護は、ケントが鍵を取り出してくると思っていたが、高佐がウエストポーチから鍵を取り出した。高佐によって、その鍵は門の鍵穴に入れられ、回され、施錠が解かれる音を鳴らした。
「ちゃんと開きましたね。俺は事件を解明させたいのですから」
と、ケントは声を大きくしていった。護はちょっとだけ彼から見られたような、自分に対して主張のような感じがしたが、「だから何なんだ」なだけであるのに変わりなく、何も応じてはやらなかった。
護は高佐に頼まれ、一緒に門を開ける。こうして、開かれた門を通り越そうとした時、紫雨が声をあげた。
「あの。あそこに『警備員室』とか書かれた小屋があって、二十四時間いるとかですけど、調査しても問題ないのですよね?」
「大丈夫だよ。問題ない」と、ケントが明るい声を答える。
「本当ですか?」
「うん。俺の友人が今日の警備担当で、調査をすることに目を瞑ってくれるとの約束だ」
「そうなのですか。その友人の方はあの小屋にいるのですか?」と、紫雨。
「いいや。友人は来ていないよ。問題になるかもしれないことに、関わりあいたくないからって」
高佐が先陣をきって門を通り抜ける。護は紫雨を引き連れ、高佐を追い、高佐と肩を並べて、コンクリートの路を歩きだす。
「護君。もしかして、怖いのかい?」
高佐が訊いて笑む。護は顰めた。
「俺が怖い? 何を?」
「八定ショッピングモールへ行くのが。そうして、手を繋いでいるから」
護ははっとさせられた。
日頃、他人の目が気にならないのもあって、他人の目を、今の今まで全く考えていなかった。紫雨と繋ぐ手を見て、異性と手を繋いでいるのだと理解する。後ろを見やる。後ろからケントが携帯を弄りながらで、ケントから少し離れた後ろにアルマが俯きながらついてくる。彼らは仲良くべたべたと、肩を並べて歩いているものだと想像していたので、意外であった。
(俺とこの子は目立っているのだろうか。そして、高佐は、要するに……)
護は高佐を睨む。
「怖くなんかない。冷やかしですか?」
高佐が笑った。
「いいえ。分かっているから。護君ではなく、紫雨ちゃんが怖がっているのだよね。冷淡になりきってはいないわけだ」
「怖いから、手を繋いでいるわけじゃないです」
と、紫雨が口を挟んできた。
「へぇ。怖いからかと思った。……ここは、変な、不気味な感じがするから」いって、高佐は目を細くさせ、周囲へ首を動かす。「うん。間違いなく変な感じだ」
護は懐中電灯で周囲を照らし見る。高佐と同意見で、変な、不気味な感じがする。閉鎖されたモールと呼ぶのに相応しくない、ひび割れのないコンクリートの路面。その路面の両サイドには、掠りのない白い線で車の枠を描いた駐車場が広がっている。――間違いなくメンテナンスされている、と確信する。
あの、と紫雨が大きく声をあげる。
「わたしは護さんのことが好きだから、手を繋いでいるのです」
唐突に、護は彼女の手を離したくなる。高佐が紫雨へ瞬いて、驚いた声をあげた。
「護君のことが好きなの?」
「はい。わたしの、お兄ちゃんって感じがして、好き」
もはや悩むも、躊躇いもない、護は彼女の手を振り払った。「高佐さんに相手してもらえ」と彼女にいい捨ててから、彼女と高佐を越して、早歩きする。後ろから二人に「怒ったのか」と、戸惑いたっぷりの声を掛けられたが、無視をして進む。
護は懐中電灯で前を照らす。霧がかって、ここからでも巨大だと分かる建物を見て、ふと、思う。
(奈々もこの道を通り、こうして建物を眺めたりしたのだろうか)
――あんたってさ、男のくせに、全然男らしくないよね。ずっと惨めに泣いていろよ。
頭のどこかから奈々の声がして、思わず護は額に手を当てて、首を横に振った。と、後ろから、誰かに肩を叩かれた。
「ねぇ。ちょっと話そうよ」
右肩からケントがひょっこりと現れ、笑んで覗きこんできた。返事として、護は舌を打ち、顔を背けてやった。鼻につく、パイナップルとココナッツを想像させる香水だろう臭いがしてくる。
「君さ、随分と擦れているね。あんな幼気な女の子の手を乱暴に弾いてさ」
こいつは俺の様子を見ていたのか、と、護は気持ち悪く思う。何も答えず、前を向いて進む。
「あ。別に非難していないよ。俺は擦れているやつのこと、嫌いじゃない。俺も二十くらいまでは、かなり擦れていたから。名前なんていうんだよ? 何をしているの? 大工とか?」
どの質問にも、護は答えてやる気さえ起きない。ケントのほうから、かちゃかちゃと金属を打ち鳴らすような音がしてきて、一瞥する。ケントは右手でジッポの蓋を開け閉めして弄んでいる。ケントの右手首に、「愛」と小さく入れ墨が彫られているのが目に入った。それに向かって、睨んでから前を向く。
「俺はさ、現在美容師として働いているの。今、二十七なのよ。十八の時に、こどもができちゃってさ。十八で初婚、二十二で再婚。二回結婚したことがある。今はバツニ。結婚したことある? 感じからして、結婚したことないと予想。――はぁ、この山の美味しい空気は懐かしいな。ここの警備員の仕事はさ、アルバイトで、時給がすごく良かったのよ。時給はなんと九千円。楽だと思えば、楽な仕事だった。門の近くに小屋があったじゃない? ひとりであの小屋にいれば、給料を貰えた。怒ってくる上司が傍にいない。ひとりでの仕事さ」
「ひとりでの仕事?」
護は胸にひっかかり、つい質問をしてしまった。
「あ。喋ったね」
見事にひっかけられたとでもいう口ぶりであった。ケントは嬉しげに笑う。護は舌を打つが、さらに笑われた。
「うん。そう。ひとりでの、交代制の仕事。ひとりで警備員として、小屋に待機すればいいの。別に敷地の周り、廃墟へ行って、見回りする必要なし。俺がさぼって、見回りをしないわけじゃない。雇い主の菊野財閥からは、『警備員として、ただ廃墟を囲う敷地内へ入ろうとする者がいないように警備してほしい。敷地内には、無許可で入った者を発見した時を除いて、許可なく入るな。廃墟に関われば、呪われ、不幸になるから』というお達しだった。働いていた時も、本当に変なお達しだとは思ったね。――呪われ、不幸だのからって入るなって、ふざけているじゃん。警備員を雇うのに、警備したい肝心の場所であるところへは行かせないのは、隠し事をしているのではと考えたりしたね。だけども働きだして、何となく呪われているのではって思いはした」
呪われているのでは――との発言で、咄嗟に護はケントを見やる。ケントは無表情な面を建物のほうへやっていて、さらに喋り続けだす。
「その警備員の仕事、みんな長く続かないのよ。幽霊が出るから、見えるからって怖くなって、やめちゃうのさ。俺も幽霊を何度も見たのよ。例えば、昼間の時刻なのに、小さなこどもの手を引いた中年の女がさ、さっきの門をすり抜けて通り過ぎるのを見たりした。……だから、半年くらい働き続けて、俺もそろそろこの仕事を辞めておいたほうがいいなぁって考えていた。そんな時に、俺のいとこの哲也ちゃんがさ、あそこに興味を抱いてさ」
ケントが閉口して、首の裏を掻く。
それで、と、護は相槌をやった。ケントがまだ何かをいいたそうに思え、だとしたら何をいいたいのかが気になって。
「要はさ、悪かったね、といいたいのだよ。俺は馬鹿だから、その話を短くできなくてさ。……俺は、思いもしていなかったのよ。哲也ちゃんたちがさ、失踪しちゃうなんてさ。予定を変更して、神隠しで有名な火弥山へ行ったのだと本当に思ったのだよ」
護はケントから振り向かれた。「申し訳ない」と謝罪を書いた顔され、頭を下げて謝られた。――だからといって、ケントに対する心情に変化はない。ぴくりともしなかった。
護はケントから顔を背けた。
「高佐さんから前科があると聞いた。何をした?」
ケントが微かに笑った。
「君のように擦れていた頃にさ……えっと十九の時だね。友達に誘われて、何度も盗みを働いちゃったのよ。馬鹿なことをしてしまった。反省している」いって、ケントが護の肩に腕を回してきた。「あんまり擦れてないで、みんなと仲良くしなよ。擦れているとね、年を取るとともに明るく生きていけないぞ」
自然と、護は立ち止まった。ケントを肩で振り払って、睨みつける。ケントから狼狽えられ、もっと睨んでやり、ケントへ拳を振るいあげた。
「いいか。俺にこれ以上近寄ってくるな。次の近寄ってきたら、俺からぶっ飛ばされるのだと理解しろ」
護はケントの胸を手のひらで思いっきり突き、遠ざけさせる。ケントから苦笑される。すると、後ろから高佐が自分たちに向けてであろう、「何があったのか」と戸惑い尋ねる声があがる。
護はケントから顔を背け、先ほどよりも速い歩調で進みだした。
続
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