四幕 なに怪うたい踊りたもれ 8

「いやはや。困ったね。実に困ったよ」

 高佐は明らかに苛立っていた。かなりの大きい声で、バスのヘッドライトに照らされた鉄柵門に向かって発した。

 澄みきった紺色の空で上弦の月が輝き、八定山を覆う樹々の合間から山鳩の寝言がする。そんな夜の中での、見事な三拍子ではあった。だけど、これは『千夜一夜物語』の扉を開けれる魔法の言葉、オープンセサミではない。鉄柵門は応じることない。この両開き型の門でもある口は堅く閉ざされ、開かれぬように太い鎖が何重も巻かれ、二つの南京錠で固定されている。

 まぁ。鉄柵門は応じてはいるかと、護は高佐の背を見ながら、冷ややかに思う。――そう、常に、応じてはいる。

 護は鉄柵門を見る。鉄柵門には大きな縦長四角の、黄色い金属板がワイヤーで留めつけられている。

  お引き取り願います 

   この先 私有地のため 立ち入り禁止です

    許可なく立ち入った場合は 

      法的処置を必ず取らせて頂きます

 金属板に黒文字で縦に並ぶ、毅然とした応じ――又、主張とも受け取れるものを、護は目を通し直してから、ため息をつく。高佐の背をまた見てから、その隣にある男の背を眺める。

 高佐の隣にいる男は、ひょろ長い。白地のTシャツ、腰履きスタイルでのベージュ色の長ズボンに、登山靴に見えなくもない黒い靴。蟹股に開かせた脚で、ズボンのポケットに左手を突っ込み、右手にはジッポがある。無造作にジッポを開けたり、閉めたり繰り返し――と、この後ろ姿は、護からして、実に不快だった。不真面目と印象を受ける。この男こそ、高佐の話通りの、ケントという男で間違いなさそうだ、と考えてしまう。

 護はケントの背に向かって舌打ちを軽くしてから、高佐に声をかけた。高佐とケント、どちらも振り返ってきた。護はケントを視界に入れないようにして、高佐を見据える。

「護君。起きたのだね」

 護は頷く。

「あの。一体何をしているのですか? 紫雨さんから聞きましたけど、通行止めを開けようとしているとのことですよね。だけど、そんな感じじゃないですね」

「ああ」と、高佐は呻くように答え、眉間に皺を作る。「通行止めを開けようとしているのだけど、鍵が合わないのだよ」

「鍵が合わない?」

 高佐は鉄柵門に近寄り、二つの南京錠を指先で触れてみせ、「これを解く鍵が合わない」と説明してきた。その二つの南京錠を解くものであるという二つの鍵も見せ、それで南京錠が解けないことも披露する。護は高佐の傍に寄り、南京錠と鍵が合わないことを確認させてもらった。

「あの。この鍵はどうやって入手したのですか?」と、護は訊く。

 高佐は素早くケントのいるほうへ顔を向けた。

「ケント君からだ。ケント君がここを解くための鍵だと、八定ショッピングモールの警備員として働く友人から貰ったものだ」

「そうですよ」

 後ろから、すかさず男の狼狽える声がした。護は振り返る。ケントがいつの間にか、護の近くまで来ていた。護の目からして、ケントはにやけていた。

「そこを開けるための鍵だっていわれて、渡されたんです。あいつ、鍵を間違えて渡してきたのかもしれません。あいつはそそっかしいところがあるものでして」

「おいっ」

 高佐がケントに吼えた。ケントをびくつかせる。

「ここが開けれなかったら、八定ショッピングモールへ行けない。なんのために俺はこの日まで調査をしてきて、準備までしてきたと思うんだ? 事件解明ができないだろうっ」

「わ、分かっていますから。怒らないでくださいよ。ここからバスに乗らずに、徒歩で八定モールへ行けばいいかと」

「なるほど。わざとか」

 護は思ったことが、そのまま口に出た。同時に見えるタイミングで、高佐とケントの両者から見開かせた目を当てられる。

「事件を解明され、事件を発生させた責任追及され、刑務所へ行くのが嫌だから、八定ショッピングモールへ行かせないために、わざと合わない鍵を渡したのか」

 ケントは目を泳がせ、首を大きく振った。

「な、なんなんだよ、お前は。……高佐さん、そ、そんなことありませんからね。俺がそんなことをするわけないでしょう。俺は高佐さんと同じで、八定ショッピングモールを調査したいのに」

「嘘をつくな」と、護は遮った。ひと差し指をケントに突き付けながら、歩み寄る。「ご丁寧なほど、いやらしく顔に書いてあるぜ。俺はわざと合わない鍵を渡したってな」

 ケントから後ずさりされだし、護は歩調を速める。と、高佐から間に入られ、肩を掴まれた。

「うん。苛ついて、俺らしくなかったね」いって、高佐は笑む。「護君。落ち着こうね。ケント君がそんなわざと合わない鍵を渡すようなことをする訳ないから。ケント君のいう通り、ここから徒歩で八定ショッピングモールへ行けば良い話だ」

 ――覚えていないのかい? 俺はケント君に約束をさせている。だから、わざと合わない鍵を渡すなんてことしないよ。

 と、護は高佐から囁かれた。しかし信じられなく、もどかしい。悔しくもなって、憂さ晴らしに地面へ唾を吹き飛ばす。

「徒歩で行く必要ないですよ。鍵も必要ない」

 護は高佐に教えてやる。リュックサックからチェーンクリッパーを取り出した。高佐が驚き、じろじろとチェーンクリッパーを見てくる。

「護君。そんな大きな工具を持ってきていたのかい?」

「普通ではないですか? 調査をするとなれば、こうして南京錠で塞がれている場所があると想像して、工具を持ってきますよ」

「うーん。そんな想像していなかった」

 呆れた――と、護は心の中で零す。これくらいの工具も持ってきていないのかと呆れる。

 護は南京錠のU字をチェーンクリッパーで切断して、門からひとつ、ふたつと取り外す。高佐の力を借りて、鉄柵門から鎖を取り外し、道を開いた。高佐から礼をいわれたが、何もいわずにバスへ戻ることにする。

「あのさ。君は、四年前の事件の被害者関係者なのだよね?」

 護はケントとすれ違い間際に、ケントから呼びとめられ、聞かれた。答えとして、睨んでやる。

「本当に申し訳ないことをしました。色々と事情があって」

「俺に謝ってくるな。俺に謝りなんかいらない」

 ――俺は謝られる価値なんてない、と、護は続けて教えてやろうとしたが、やめる。こいつに教える価値がないと思うから。

「俺に謝るくらいなら、便所にでも謝っておけ。そのほうが有意義だ」

 護は代わりになる台詞をやり、早歩きでバスの中へ戻る。車内では、外へ行く前まで自分が座っていた席に紫雨が座っていて、右側の列の前から四番目の窓際にアルマが座っていた。

「そこは俺の席だ。どけ」護は紫雨の横に来て、いい放つ。その後で、彼女に乱暴な口調であったと気がついた。苛々していると理解する。紫雨から慌てて謝られ、その隣の席に移られる。護は前の座席にリュックサックを放り、空けられた席に座って、腕を組んで窓を見る。反射して映る自分の顔は、不愉快によって酷過ぎるほど醜く歪んでいる。

「あの。何かあったのですか?」紫雨が恐る恐る聞く。

「いいや。特に何も」

 護は嘘を述べ、苛々から膝を揺すりだしてしまう。苛々を静めさせるため、目を閉じる。左太ももに何かが置かれる感じがし、少し目を開ければ、紫雨から手を置かれていた。気にしないで、目を閉じなおした。


 四幕 終

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