四幕 なに怪うたい踊りたもれ 6
「あれはね、八定ショッピングモール設立の際に作られたCMだ」
運転席から高佐がこちらに顔を覗かしてくることなく、大きな声で教えてきた。ちょっと笑いを零してから、さらに続ける。
「護君は起きているものかと思っていたよ。寝ていたのか。気が付かなかったなぁ。――あのCMは、半年くらい前に、広告会社で働いている俺の友人がこっそり入手したものだ。あのCMは、菊野三郎によって制作されたもの。あのCMを発表する前に、審査機構に通したところ、内容に問題があるとの指摘を受け、世間に公開されることなく、お蔵入りになったそうだ」
「なるほど」と、護は相槌を打つ。そして斜め左下を見やる。紫雨から手を繋がれたままである。
「これから八定ショッピングモールを調査するにあたって、良い資料になると思ったから、みんなに見せることにしたのだよ。あのCMを点けるすぐ前に、俺はちゃんと話したのだけど、本当に聞いていなかったの?」
「はい。寝ていて、聞いていませんでした。だから、聞いたのですよ」
「そっか、そっか。寝ていたのに、俺が起こしちゃったのかな。起きているって、思っていたのになぁ。CMを始めから見れていないかもしれないし、また再生する?」
「はい。お願いします」
車内に取り付けてあるテレビが再び点き、黒い世界が現れ、麦わら帽――と、護は眺めていく。自分は始めから終わりまでCMを見ることができていたと確認できた。
高佐に礼をやってから、護は少々待つ。そして、ゆっくりと顔を紫雨へ向ける。紫雨はやや俯き、目を瞑り、繋いでいない手で服胸を掴んでいる。護が声を掛ければ、紫雨から見られた。
「あのさ、何で起こしてきた?」
護は彼女を見据え、トーンを落として聞いた。繋がれた手を少し持ち上げる。しかし彼女から離されない。
その、と紫雨はいって、即座に視線を落とした。怯えた顔になる。こんな彼女に、「なるほど、俺が怒っていると誤解しているのだ」と、護は考えさせられる。
「俺は起こされたことに、怒ってはいない。寝起きが悪いんだ」
護はそう教えてやる。ちょっとは、むかついてはいるけどね、とまでは、相手が女の子であるのを考慮して秘密にした。
「あのCMを見ることに、すごく怖くなっちゃったのです」
紫雨は声を潜ませた。
「怖い?」
「はい。八定ショッピングモールは、おかめっぐ君という悪霊がでる廃墟、とネットで知りました。護さんは、おかめっぐ君を知っていますか?」
「うん。俺もネットで調べて、知っている」
「そうですか。悪霊のおかめっぐ君の話は作り話だと思っていますよ。だけど、高佐さんから、その場所の、その悪霊によるCMを見せると教えられ、見るのが急に怖くなってしまって」
「なるほど。幽霊を怖がる、女の子っぽい感受性が働いたのか」
護は思ったことをさらりと述べた。紫雨から、無表情で見つめられた。
「何?」
「護さんって、何か不思議。こんな不思議な感覚、初めて」
握りしめられる手の感覚に、護は意識を傾けて、それから紫雨の瞳に意識を戻す。彼女の発した発言を頭の中でリピートしてみて、彼女は異性として意識させたいのかと誤解しかねない。この相手が憎たらしい失踪者のひとりと繋がると踏まえてはいて、手を離したくはややなる。
(こちらこそ、何か不思議といいたいものだ)
護は首を傾げてみせる。
「不思議とは、どういうこと?」
「ちょっと説明が難しいです」
紫雨は唸る。悩み考えている様子となり、なかなかに長いこと唸った。それで携帯電話をいじりだし、その画面を護へ向けてきた。
護さんは幽霊を見たことがある?
横に並ぶ質問文が画面に表示されていた。護は文に目を通し、「なんなんだ、この子は?」との文が脳内で左から右へ流れ、彼女の行動に理解を苦しみ、唸らせる。
「ないね」と、護は正直に答える。
「そうですよね」
護は紫雨から目を逸らし、特に理由もなく右手の爪を見る。何となく手を離したくなる。
「CMはもう終わっている。手を繋いだままの必要ある?」
「できることなら、手を繋いでいたいです。怖いから。……あと、護さんの手を握っていると安心します」
護は紫雨を見直す。護からして、彼女は顔といい、身体といい、悪くない。この彼女からもらった最後の言葉には、不快とは思えない。「俺は嬉しいと思うのか」と考えて、それが不快に感じて、彼女には見せぬよう、彼女から顔を背けて顰めた。
「さっきは作り話だと思うっていっていたけど、悪霊が出るという廃墟へ行くと考えるから、怖いの?」
護は窓を見ながらで質問した。窓は反射により鏡となって、紫雨を見ることができる。そこにある彼女は見るからにか弱そうな女の子で、何かを悩んでいる。
「高佐さんから、八定ショッピングモールについていろいろと聞いていると思うけど。俺は、八定ショッピングモールは、幽霊が出るおどろおどろしい廃墟ではないと思う。メンテナンスをしているとの話だし」
「はい。分かっていますよ。高佐さんから八定ショッピングモールについて聞いていて。そこには出ることないのだろうって、思っています。ただ……」
「ただ?」
紫雨が黙りこむ。窓に映る彼女は、また携帯電話を弄りだす。そんな彼女によって、護は顰めたくなる。
(やっぱり、なんなんだ、この子は?……まさか)
そのまさか、と護が予想しようとした時、紫雨から肩を叩かれ、携帯電話を差し出された。まさか、から予想しようとしたことで、正解であった。画面にまた文が表示されていた。
ここにいるのです。
高佐さんがいる運転席からすぐ斜め後ろにある、あの席にずっといる。
護は文を読み切り、メントールの香りを感じたくなり、鼻から息を吸い込む。鼻腔がすーすー冷える。男心もすーすーと冷えた感じがした。
「俺の読解能力に問題がないとするなら、その、君はあの高佐さんの近くの席にゆ」
――幽霊、と護がいう前に、紫雨が慌てて、「いっては駄目」とでも伝えたいのか、唇にひとさし指を当てる。彼女から携帯電話を取り上げられ、早打ちし、新たな文と共に返される。
ごめんなさい。これ以上、彼女に勘づかせることを言ってはだめ。あの女の人は呼ばれているのだって思って、こっちに近寄ってくる。あの人が近寄ってこないために、こうして携帯電話で教えているのです。
護は読み切って、紫雨を見据える。紫雨から怯えた顔で、大真面目な目で見つめられる。――信じてほしい、と訴えかけてくる感じがする。
(俺に、『信じてほしい』……というのか)
護は、彼女が指定してきた――発車前に、自分が彼女に座ることを勧めた――添乗員用の席を見る。ただの空席にしか見えない。今まで自分は幽霊を見たことないのだから、見えないで当然だと思う。彼女を改めて見据え、嘘をついていると思えない。どんな風にあの席が彼女の目には見えているのかが、興味を抱かせられる。
護は紫雨と向き合い、自分の携帯電話にあるノート機能を開く。
君は幽霊が見えるの?
打ち込んだものを護は紫雨に見せると、紫雨から頷かれた。なので、その打ち込んだものから一段下げて、打ち込みだす。
どんな風に、その高佐さんの近くに座る幽霊が見えるの?
護が新たな質問文を見せれば、紫雨は自分の携帯電話を弄りだす。護の目からして、彼女は悩み考えながら指を動かしていない、迷いなく滑らかに動かしている。
はっきりと、護さんを見ているように見える。たまに、ぼやけて、消えたりする。
長い髪の、たぶんバスガイドの服を着た、若い女の人が見える。怒っているのか、叫んだりしている。ずっと席に座っていないで、時々席を離れて、後部座席へ歩いたりする。
質問に対する答えが表示された携帯電話を、護は紫雨から渡され、見つめられる。
「本当です。嘘じゃないです」
「そうか。よく見えるの?」
「はい。わたしの家では見たことないけど、外へ出れば必ず見えます。よくというより、毎日見えます」
「本当に興味深い」と、護は正直に述べた。紫雨から携帯電話の返却を求められ、返せば、また彼女は携帯電話を滑らかに弄ってから、渡してきた。
わたしが吐いてしまったのは、彼女がいたからです。彼女のような怖い幽霊の近くにいると、わたしは気分が悪くなってしまうのです。
護は読み切ってから、「なるほど」と述べた。
「この車内のラベンダーの臭いにやられて、吐いたのかと思った」
紫雨はちょっとだけ笑い、首を横にふる。
「ここは、あそこからそれほど離れていない。今は気分悪くないの?」
はい、と答えて、紫雨は視線を落とす。護と繋いでいない手を持ち上げ、胸の辺りで止める。
「八定ショッピングモールに悪霊がいるとの話から用心して、気分が悪くならないために、魔除けのブレスレットをいっぱい身に着けてきたのです」
彼女の右手首、左と何重も巻かれたブレスレットを見比べ、護は苦笑した。
「どれもこれも、効果のない代物ってことか」
紫雨は首を横に振る。また携帯電話を使って、彼女のいいたいことを護へ表してきた。
わたしはバスの中で一人ぼっちで、寂しがっていたから。幽霊は一人でいたり、寂しがる、悲しがる、怒るとかいったマイナス感情でいると、近寄ってくるのです。あと、あの女の人は怖いだけでもなく、そこそこに強い霊力のある幽霊だから。わたしは魔除けを身に着けていなかったら、もっと体調を崩しています。
「うん。興味深いね」
護は読み終えて、思ったままの感想を述べた。紫雨から瞬かれ、しげしげと見られた。
「護さんは、わたしを否定してきませんね。信じてくれるのですか?」
「これは信じる、信じないかを述べることではない。君が見えるというのだから、見えるのでいいのではないかと思う。なんせ、誰にも君の見える世界を確認することができないのだから。否定するなんてできないことだ。それとも、俺は否定しなければならない?」
「いいえ」
「信じてほしいのに、信じてもらえないのはつらい」
と、護はぼやいた。紫雨にではなく、頭の中で孤独に住まう、後ろ姿しか見せない高校二年生の自分に向かってで。
紫雨はちょっと黙りこんでから、「ありがとうございます」と小声でいった。両の頬に笑みを宿す。
「何で礼なんかいうの?」
「いいたくなったから、です」
何となく、護は天井を見上げる。「何故、彼女は礼を述べる必要があったのか」と考え、理解できないでいると、紫雨から握られる手に力を込められた。彼女に目を戻せば、彼女から見られている。目が合えば、彼女から素早く一瞬だけ目を逸らされ、また目を合わされる。それで、護の視覚からして、彼女がはにかんだ。
「あのさ。俺に気がある?」
護は小声で尋ねた。紫雨は頷く。
「わたしと連絡先を交換してくれませんか?」
「構わないけど」
護は紫雨と手を繋いだままで、互いの携帯電話の連絡先を交換した。彼女の連絡先をアドレス帳に登録している最中、彼女から身を寄せられた。斜め左下を見れば、彼女の顔はすぐそこにあって、彼女の目はあどけなく瞬いてくる。
――何を求めているのか。
護がそう訊く前に、紫雨から下唇に柔らかい唇を軽く押し当てられた。
「ミント臭いですね」
紫雨は声を潜ませていって、小声で笑った。
続
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