四幕 なに怪うたい踊りたもれ 4

「みなさん、お待たせしました。ごめんなさい」純の妹が運転席の横で、胸の前で両手を組んだまま、後部座席に向かって頭を深々と下げた。

 護は彼女から目から逸らし、腕時計を見る。20:21と表示されている。細かく計算はできないが、高佐がいった出発する十五分後からは遅れていると思う。運転席にいる高佐が彼女に「気にしないの」と励ますのが聞こえ、「そうだ。そうだよ」と、わいわい加担する気は全く起こらずに、目を閉じなおした。

 黒い視界の中、彼女へ声をかける者は高佐だけのように聞こえる。後ろからは、内容は聞き取れない、男女のひそひそ話がする。そのひそひそ話をする男の存在により、ちょっと気になり、耳を凝らしそうになる。

「あの。すみません」

 横から純の妹の声がした。護は目を開けた。

  KILL YOU

 どちらも横並びに、ふたつの大きく盛りあがりがある黒い布地の上、そのようにゴシックの字体で白くプリントされた文が目に飛び込んでくる。すぐに文のほうは、彼女の重ね合わした両手によって隠された。

「隣に座ってもいいですか?」

 恐る恐ると訊ねてきた彼女に、護は顰める。――こっちは寝たい。何で俺の隣になんかに座りたいのか、と、不愉快に思う。

「ひとりで座るの嫌だから」と説明し、彼女は後部座席のほうを見る。「かといって、あの後ろのふたりの邪魔をしてはいけないですし」

 だからといって、俺の邪魔をするのか。そうはさせまい、と、護は運転席のほうを見てから、その斜め後ろすぐにある添乗員用の席を顎で指す。

「あそこ。高佐さんからすごく近いね。寂しい思いをしないで済むお喋りを、俺ができるって期待したら大間違いだ。高佐さんなら、その役を喜んでしてくれるさ」

「わたし、あなたとお話もしたくて。……あなたのことが気になってもいて」

 彼女はやや俯きながら、ぼそぼそといって、上目遣う。護が目を合わせば、ぎこちなく笑む。

「しぐれちゃん」と、高佐が運転席から顔をだしてきて、大きな声をあげる。「出発するから、席につきなさい。――ほらほら、護君、隣に座らせてあげなさい。隣に座りたがっているのに、可哀そうじゃないか」

 押し付けられた感じがして、護は舌打ちがでた。窓際の席に置いてあったリュックサックを前の席に放り投げ、空けてから、窓際の席へ移動する。座りたきゃ、座ればいいさ、と投げやりに、「座りたいなら、どうぞ」と許した。彼女からお礼をいわれ、隣に座られた。彼女からほんのりと酸っぱい、嘔吐を想像させる臭いがする。その間もなくして、バスが発車する。

「遠野護さんというのですよね?」彼女は笑み、小首を傾げた。

「そう。高佐さんから名前を聞いたの?」

 彼女は頷く。

「失踪した遠野奈々さんの弟さんなのですよね。……あまり、遠野奈々さんと顔が似ていませんね」

「俺の姉さんの顔を知っているの?」

「はい。ニュースで見ましたから。失踪したお兄ちゃんの顔写真と一緒に、横に並んでいましたので」

「必然的に知っているか。否応なく」と、護は述べる。姉が失踪した当初のニュース報道で、姉の顔写真が報道されていたことが、薄っすらと白い膜がかかって思いださせる。

 はい、と、彼女は頷いてから、上目遣いのまま笑む。

「わたしの名前は、雨戸しぐれっていいます。紫の雨って書いて、紫雨です。専門学校で裁縫の勉強をしています」

 と、彼女、紫雨が、自らでそう紹介してきた。彼女は高校生かと護は考えていたものだから、顔にはださないけど、ちょっとだけ驚いた。間近で彼女を眺め、ソフトなメイクをしている、「上から中の間で、上に近いくらい」の可愛い顔をした子と思う。

「さっきは、あんな恥ずかしいところをお見せしちゃって、本当に恥ずかしい、です。高佐さんから護さんのことを聞きました。大学の工学部で勉強しているとか。難しいことを学んでいて、かっこいいです。わたしが護さんの前で、恥ずかしいことをしちゃった後、高佐さんからいろいろと聞かせてもらいました」

「いろいろ、と」

 紫雨は頷き、微笑む。

 いろいろとは、どれほどに関する事柄なのか、護は気になった。彼女からの微笑みからして、たぶん彼女はマイナスな評価に思えることを、高佐から聞かされてはいないと思う。いろいろの中に――四年前に失踪者たちの行方を知っていたことは、含まれてはいないはず。

「いろいろ――と、高佐さんから俺に関することを聞いたんだ」

「はい」

「それで、俺のことが気になるの?」

 紫雨はちょっと瞬いてから、頷く。

「何で気になるの?」

「どう答えたらいいのだろう」と紫雨は小声でいって、口に手を当ててやや俯く。「気になる人、だからとしか。同じ事件の被害者の家族同士としても。年が一個しか離れていないことも」

 彼女から生まれた年を聞かれ、護は教えてやり、お互いの生まれた年について語りあう。それによって、同級生にはなれない、彼女のほうが一才年下、現在彼女が二十である、と護は知れた。四年前の事件があった時は、彼女は高校一年だった、と考えさせられる。

「君は、どうして調査に参加することになったの?」

「高佐さんから、お兄ちゃんが八定ショッピングモールで失踪したって……聞いたからです。お兄ちゃんがいなくなってしまった場所を見たいと思って」

 紫雨はそう教え、視線を落とす。見るからに憂鬱だ、としかいえない顔になる。

「詳しく知りたいな。どうして君が高佐さんから、事件が八定ショッピングモールで起こったかもしれないって知ることになったのか」

 護の目からして、紫雨は教えることに躊躇うとか、悩むといった仕草をすることなく、口を開いた。ぼそぼそと小声で語りだす。

「どこから、どう話せばいいのだろう。わたしのお兄ちゃんと高佐さんの妹さんは交際していたのですよ。あの事件が起こった時も、わたしのお兄ちゃんは、高佐さんの妹さんと交際していました。事件が起こるまで、ふたりは半年くらい交際していたのです。付き合ってすぐに、二人で暮らしていた。お兄ちゃんはもとからひとり暮らしをしていたのだけど、高佐さんの妹さんが恋人だからと住みだした感じで。それで、お兄ちゃんとあの人はふたりで暮らしだしてから、本当にすぐ後、『結婚する』っていいだして。わたしのお父さんとお母さんは、お兄ちゃんに『もう少し時間を掛けてからが、良いのじゃないの』って勧めていたのですよ。だけど、お兄ちゃんは聞かないで、高佐さんの両親に『結婚します』っていいに行ってしまったのでして。わたしは、お兄ちゃんは高佐さんの両親とトラブルになるだろうって考えていたのだけど、本当にトラブルになって。――その、何をいいたいかっていうと、わたしの家と高佐さんの家は、事件が起こる前から良いといえる関係じゃないのです」

「ふぅん」

 護の相槌に、紫雨は頷いてから続ける。

「わたしや、わたしのお父さんとお母さんは、高佐さんの一家を嫌いではないです。高佐さんの両親が怖いなって思うだけ。わたしの家族みんな、高佐さんのことは良い人と思っていますよ。で。話を戻しますと、お兄ちゃんが結婚するっていいに行ったら、その日の内に高佐さんの両親はわたしの家に怒鳴り込んできて。――お兄ちゃんのことを、『屑』だの、『世を乱す悪党』だの酷いことを散々いって。わたしのお父さんとお母さんのことも『馬鹿で、どうしようもない親』だって」

「へぇ」と、護はいった。俺からしたら、どっちの両親も、ちゃんとこどもを育てあげてこなかった、「馬鹿で、どうしようもない親」って、あの事件当時思ったけど――と、思ったことをいいはしなかった。

「『嫁入り前の娘を傷ものにされた。警察へ行く。訴えてやる』っていって、本当に警察へも通報しました。そして、あの失踪事件が起こったら、高佐さんの両親は『娘がいなくなったのは、お前の息子のせいだ』って決めつけて、慰謝料請求の訴訟を起こしたのです。その訴訟は今も取り下げられていなくて。――そして、先月に高佐さんがわたしの家に来て、『事件が起こったのは火弥山ではない。八定ショッピングモールだ』って教えてきたのです」

 先月となると、護が行方を知っていたことを、高佐へ既に認めてしまっている。高佐はどのような経緯で八定ショッピングモールのことを知ったのかを、紫雨の家族に教えたのかが、護は本当に気になるところ。――また、「へぇ」と、相槌をやる。

「ショックでした」と、紫雨はいって、身を小さくさせる。さらに、声も小さくさせ、「あの後ろの席にいる男の人が、お兄ちゃんたちの肝試しへ行った場所を知っていたのに、警察が嫌だからとかで黙っていたのですよね。本当に酷い」

「そうだね」

「はい」

「不思議なのだけど、何で高佐さんは君の家に来て、教えてくれたのかな。互いの家が良い間柄じゃないのに」

「ああ。高佐さんは、高佐さんの両親が訴訟を起こしていることに、仲裁してくれているのです。『事件が起こったのは、自分のせいだから』って、高佐さんはわたしたちや、自分の両親にもいっていて。高佐さんは本当に良い人です。――先月にわたしの家に来て、『もうすぐで事件を解明させてみせる。だから、それによって、自分の両親は訴訟を取り下げるだろう』って教えに来たのです。また、自分の両親が一方的に訴訟を起こしていることに改めて謝りたいから、ともで、来て。そして、『自分の両親のことを悪く思わないで欲しい』って、わたしのお父さんとお母さんに頼んでもきました」

「なるほどね。俺との時のように、贖罪を披露しに来たわけか」

 高佐が紫雨の家でどのように振舞ったのかが、護は自然と頭に浮かぶ。きっと先々月に護へ振舞ってきたのと大して変わらないだろう。贖罪、贖罪と、『俺が贖罪をしなければならない』と、あらゆる受難を快諾する聖人ばりの台詞を出していそうだ

「贖罪?」と、紫雨が聞き、目をぱちくり。「高佐さんは、あの時、わたしの家にお茶菓子を持ってきていませんよ」

 贖罪を食材と聞き捉えたのか。どこか抜けている子なのかなと、護は判断した。訂正はしないで、ただ首を傾げてみせた。

 紫雨はちょっと唸り、胸に両手を重ね置く。

「心配です。八定ショッピングモールへ行くこと、お父さんとお母さんにばれないといいけれど。わたしは今日両親に内緒で来たのです。わたしのお父さんとお母さんは、わたしが行くのを絶対に許してくれないって分かるから。……お父さんとお母さんに嘘をついちゃって、嫌な気分もする。高佐さんから調査を秘密にしてほしいとも頼まれているから、学校の友達にも嘘ついちゃいました。『彼氏と旅行へ行きたいから、今夜一緒に勉強するってことにして』って頼んで……」いって、紫雨は目を大きく開かせ、護を見る。口をもどつかせ、「あ、あの。わたしは彼氏いませんから」

「へぇ。そう」

 護は相槌を打ち、鼻の下を指でなぞる。軟膏が薄れてきていて、ラベンダーの臭いを感じだしている。

「護さんも、両親に内緒で来ているのですよね?」

 その質問により、護は眉間に皺を作らせ、紫雨を見やる。「なかなか無神経な質問だな」って、文句をやりたくなる。が、紫雨の微笑みを眺め、高佐から自分の家族について何も聞いていないのかと思え、生返事で受け流してやることにした。

「あの。護さんは、どうして今日この調査に一緒にお供することにしたのですか?」

 護は運転席にいる高佐のほうを一瞥する。高佐は黙々と運転している様子だ。紫雨に肩をちょっと近寄らせる。

「俺も、君と似たような感じ」と、護は声を潜めて、半ば嘘をつく。

 うん、と紫雨が小声で返す。

「高佐さんと俺は、四年前に事件の被害者関係者たちが集められての事情聴取の際に出会って、その時から知り合い同士のようなものだ。だけど、ずっと会わないでいた。先々月に高佐さんは俺の近況を知りたいからと呼び出してきて、その時に調査へ行くことを教えてくれた。俺も、後ろの人のことを聞いた。ひどい話だ。あの後ろのやつ、頭がどうかしている」

 上手くいえた、と護は評価する。なるべく嘘のない、尤もらしくて、疑われない説明だ、と。しかも、何故声を潜めたのかは、ケントに関する内容とその存在で隠せている。

「ま。それはともあれで、君のように姉さんの失踪した場所を見たいとも思ったから」と、護は嘘なく続けて述べた。

 うん、と、紫雨は頷く。

「四年前から、護さんと高佐さんは知り合いなのですね。四年前にお父さんとお母さんが、そのような関係者たちが集められた事情聴取に行ったのを覚えています。わたしは、四年前、事情聴取には行けなかった。お兄ちゃんがいなくなってしまったショックで、わたしは家から外に出るのが怖くて堪らなくなってしまったから」

 紫雨は俯き、胸の前で両手を摩りだす。

「外に出るのが怖い?」

「はい。外へ出たら、わたしもお兄ちゃんのように」いって、紫雨は黙り込んでしまう。

 間違った質問をした、と護は思った。悪いことを聞いてしまい、可哀そうなことをしたと申し訳ない。

「ごめん。答えなくていいから」

 紫雨は俯いたままで、少しだけ頷いた。そして、左手首に何重も巻かれる、無数の珠で連なったブレスレットを撫でだした。


 続

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