三幕 NOBODY NEEDS 不愉怪 9

 カフェラテではあるが、自分の定義するカフェラテでないものが、まだ護の前に留まっている。まだまだ大分残ったままなのか、それともカップの口にこびりついた茶色い乾き切った唇の跡からなのか、物寂しい雰囲気を醸しだす。

 護は喉の渇きを感じ、それを飲んでみる。冷たく、甘ったるい。全くもって美味しいと思えない。急いでグラスに入る水を飲んで、その味を口の中に残さないようにする。

 湯気がのぼるブラックコーヒーを高佐は啜ってから、ひと息吐き、護へ笑む。

 護は何となくだが、これは作り笑みに見える。にこにこしてばかりの人間が、ついさっきまでは遣る瀬無い怒りをむきだしにしていたのに、そんな簡単に切り換えなんか無理に思うから。

 ちょっとだけ、護は高佐が怖くなった。やはり彼の意図が図り切れなくて。本心をずっと隠してもいそうで。――自分に負い目があるのが原因だとも分かるが。

「護君は八定ショッピングモールについて調べてはいるよね?」

 と、高佐が明るい声で質問してきた。やはり、護はちょっと怖くなる。

「もちろん。ネットからかなり調べていると思います。あと、図書館で古い新聞から調べたりもしましたね」

「ネットからの情報に、図書館にある新聞からの情報か」いって、高佐は腕を組み、視線を窓のほうにやり、少し唸る。そしてまた視線を戻してきた。「廃墟である八定ショッピングモールについて、どう思う?」

「どう思うって」と、護はいい返し、考えだす。これは調べての感想を与えればいいのか。感想を求めているということで、と答えることにする。

「八定ショッピングモールは、嘘っぽい怪談話がくっついている廃墟という感じですね。そのショッピングモールで行われたショーの最中で死んだ男が出没するとか。その出来事は事実であるから、その男の幽霊が出没するという点は納得がいきます。廃墟のホテル、学校、病院とかでも、誰かが無念の死を遂げて幽霊になって出没するって、よく耳にする話。そして、その男の幽霊は、『出会えば、三日以内に不幸な死に方をする』という呪いの力があるとかと、ほんと嘘っぽい怪談話がくっついている」

 高佐は頷く。

「そうだね。ネット上では、『出会えば、三日以内に不幸な死に方をする』という呪いの力がある悪霊が出没するという話があるよね。俺がね、菊野財閥に『何故、廃墟が立ち入り禁止になっているのか』を聞いた時、その悪霊が原因ではなく、『八定ショッピングモールが呪われているから』との答えを貰った」

「……呪われているから、立ち入り禁止?」

 護は耳を疑った。高佐をまじまじと見れば、高佐から目笑された。

「冗談ですか?」

「冗談じゃないよ。菊野財閥は、八定ショッピングモールとは、関わることで不幸になる『呪われた負の産物』と教えてきた。財閥の話によれば、八定ショッピングモール建設中に、モールと深く関わった菊野三郎は、恋人に事故死され、近親者二名にも事故死される不幸に遭っている。そして、菊野三郎自身は襲撃される。八定ショッピングモールが閉鎖された後、モールを取り壊そうとした菊野三郎の近親者のひとりもまた、事故で亡くなる。その人物から取り壊しの依頼を受けた何人もの業者たちが、取り壊し作業中に事故に遭う。その彼らの中には、亡くなった者もいる。――モールに関わった者たちは、こんなに次々と不幸になったとのこと。菊野財閥は、八定ショッピングモールを取り壊したくても、呪いによって妨害され、取り壊せないでいるそうだ」

 理解に悩まされる出来事を、護は聞かされた。聞きだしてからすぐに、理解に悩まされだしていたが。悩みによって頭に痛みが一瞬だけ走り、額を手の平で覆う。

「本当に、事故で死ぬ出来事が起こったのですか?」

「うん。俺はちゃんと調査した。財閥から教えられた事故死したという人間たちは、本当に事故で亡くなっている」

「そんなまさか……」詰まって、護は息をのむ。

「廃墟を取り壊しの依頼を受けた業者とも話をしたら、これもまた財閥から教えられた通り、取り壊し作業中に事故が起こったそうだ。……また、もっと不可解な出来事も教えられた」

「も、もっと不可解?」

「うん。取り壊し作業員たちがモールへ立ち入ると、次々と体調不良を訴えた。作業員の多くが、幽霊が見えると怖がりだす。急に泣きだしたり、笑いだしたりする者も出てきた。作業どころではなくなって、大金が舞い込む仕事であったのを断念せざるおえなくなったそうだ」いって、高佐は鼻で笑った。「八定ショッピングモールって、本当に呪われているのではないの、って思えてくるでしょう?」

 思えてくるのではない。呪われているのでは、と護は惑わせられそうだ。ちょっと躊躇いつつ、頷いてみせた。

「だけどね、ここまで沢山の不可解な出来事が起こると、俺からすれば『呪い』によってではなく、誰かによって引き起こされた出来事と思ってしまう。業者は菊野財閥に金を渡されて、そういわされているのではと疑ってしまう。そもそも、俺は呪いを信じてもいないけど」

 高佐は滑らかに説明し終えると、珈琲を美味しそうに飲みだす。

 呪いではないとすれば――、と護は疑問が起こる。

 八定ショッピングモールと関わって生じた不幸な出来事が、全て、誰かによって引き起こされたことになる。つまり、全ては人為的によるものとできるのか。事故ならば、人為的に可能だ。けれども、モールを取り壊し中に起こった出来事はどうであろうか。高佐のいった通りに、金を渡して、作り話をさせているとすれば、片づけられる話ではあるが。――気分が悪くなる。幽霊が見える。泣く、笑う、とかを人為的に引き起こすなんてできるのだろうか。

(だけど……)

 疑問に切れ目が入って、護は腕を組む。――財閥から作り話をさせられている以外にも、作業員たちが自らでおかしくなる芝居を打ったとしても、人為的として片づけられる。

(――と、なると、何でそんな芝居をする必要があったのか、と考えさせられることになるが)

 護は顰めさせられ、悶々と悩ませられる。

「絶対に、呪いは存在しない」

 高佐から断言され、護は高佐に目を戻す。何とも自信に満ちた面で、笑まれていた。

「八定ショッピングモールはおかしい。『呪われているから』を理由に、取り壊さないでいて、立ち入り禁止にしている。この時点でおかしい。……八定ショッピングモールには隠し事があるから、『呪い』を理由にして、取り壊さず、立ち入り禁止にしているのでは、と疑わしい。――そう。隠し事があるのだよ」

「隠し事?」

「ケント君もね、八定ショッピングモールは普通の廃墟ではなく、隠し事が必ずあると教えてくれた。警備員として働いていた時、建物をメンテナンスする業者に、食品や商品を積み込んだトラックが廃墟に出入りしていたのを目撃している。俺も調査をして、それが事実だと知る」

 もう、驚愕と困惑だ。

 どでかいこの二つ感情で形成された衝撃が、護は全身に襲い掛かってきて、駆け廻った。「メンテナンスする業者に、食品を運ぶトラックが出入りする」とまでいって、聞き返したいのに声が出てこない。

「何故、廃墟に、そんなメンテナンスをしたり、商品を運んだりするのかを、俺はもちろん菊野財閥に聞いたよ。菊野財閥のいうには、『呪われている八定ショッピングモールの扱いを疎かにすれば、我が一族に不幸がまた訪れる。不幸が訪れないためにも奉っている』だそうだ。不幸が起こらないように奉るためなら、建物が壊れないための修復保存を依頼とか、年に一度くらい奉納品として商品や食べ物を運び込むのも、理解できなくもないよね?」

 うん、と護は同意して頷く。

「――しかし、だ。ケント君が見てきた限りでは、奉るにしては多いくらいの頻度でメンテナンスの業者が出入りし、大量の食品と商品が運びこまれていた。なんと、トイレの修理士も、立ち入ったことがあったそうだ」

 トイレまで出てくるなんて、護は想像もしていなかった。高佐から真剣な目をされて、超えてはいけない何かを超えられてしまった。

「とっ、トイレ?」

 思いも寄らず、護は声が裏返った。

「ああ。トイレだよ」

「廃墟であるのに、トイレの修理って。トイレ修理するとは、トイレが壊れたからってことですよね。誰も使うはずがないのに、それを修理するって」

 高佐は大きく頷く。

「その通り。トイレを修理するなんて、おかしな話だ。また、財閥は業者へ内密に依頼。奉るなら、堂々と依頼すればいいものを内密に、だ。頼む業者には、『依頼した内容は口外するな。もしも依頼した内容を漏らしたら、裁判を起こす』と厳しい口止めをしている。呪われているとはいえ、ここまでするものだろうかね。つい最近、財閥は八定ショッピングモールに最新型の自動扉設置の依頼をした、と、俺は情報を得られた」

 トイレを修復、最新型の自動扉を設置する。それらは、不幸が訪れないためになのであろうか。――と、おかしな疑りだと思うが、護は疑ってしまう。聞かされてきたことに、把握するのが追いつけない、混乱させられてくる。

「八定ショッピングモールはただの廃墟ではない。八定ショッピングモールへ入り、稚恵たちは失踪した。そこで知ってはいけないことを知ったからかもしれない」

 知ってはいけないこと――。

 と、護は反芻する。だがそれが何であるのか、ちっとも分からない。混乱が思考回路を妨害してくる。

「だから、俺は決めた。自らで八定ショッピングモールを調査して、失踪事件の手がかりを見つける。稚恵たちを見つけだしてみせる。――二年かけて、やっと、八定ショッピングモールを調査する下準備が整ったのだよ。それで、俺は護君に今日会う決心がついた。もうすぐで、償いができるからね」

 高佐は目を閉じ、そして口も閉じた。なんとも落ち着いた顔になる。店内に流れる曲に耳を傾けだしたのか、メディテーションを行いだしたのか、どうなのであろうかなんて、思考回路の巡らない護には、「知るよしもない」と考える回路に触れることさえない。

 あまりに混乱させられて、護は高佐を不愉快に思えてはきた。



 三幕 終

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