三幕 NOBODY NEEDS 不愉怪 4

「すまなかった」

 高佐が謝ってきた。もう一度また謝ってから、テーブルに両手を付けて、頭まで下げてきた。これは、もう護には不可思議で、首を捻らせる他ない。

「今日、俺は護君とこうして会って、理解させられた。君は事件が原因だけではない、俺のせいでも、この四年間苦しむことになったのだとね。四年前の事情聴取のために被害者関係者が、五回目に集められた際、俺は護君に酷いことをした。だけど、俺はあの時、両親のために自分らしさを保つので、一杯いっぱいだった。突き放してしまって、すまなかった。申し訳なかった」

「あの。頭をあげてください。顔が見たいです」

 こいつは一体何を考えているのだ、と護は高佐を理解できなく、彼の考えを読み取りたい。やはりあの出来事に関して謝りたいのだとは分かるが、何で今になってなのかが、ずばり謎過ぎる。

 少しの間、高佐は身体を小刻みに震わせ、顔を見せるのではなく、逆により頭を下げた。それから手で両目を擦ってから、頭をあげてきた。充血した両目は、表面を潤ませていた。震える手でテーブルの上にある煙草が詰まる紙箱から一本抜き、親指と人差し指で吸い口を持つ。そしてまた謝ってきた、消え入りそうな声で、氷が解けきってしまっているアイスコーヒーのほうを見ながらで。

「自分らしさを保つ。……その、自分らしさって何ですか? すごく気になりました」

 護は高佐の目へ視線を注ぎながら、尋ねた。

「どんな時でも、誰に対しても気さくで、優しい……じゃないのかなぁ」どんな時でもの部分をやや強調して、己を皮肉る感じで、高佐は答えてきた。

 へぇ、と護は相槌をやる。高佐がちょっと笑いを零した。

「また君から対等にするなと怒られそうだ。いい訳するなともね。だけどね、あの時の俺だって、あの時の君と同じだよ。あの時の君はこどもだから、正直に、素直に、心の状態を表にだせた。だけど、俺にはそれができなかった。あの時、俺がもしも君のように泣いたり、蹲ったりしていたら、俺の両親はもっと苦しむ。――俺は、俺の両親の心を支えなければならなかった」

 護は嫌味に聞き違えそうだった。「あの頃の俺のほうが君よりもずっと大人で、強いのだ」と主張されたとも受け取れる。そしてまた、改めて不可思議に思いだす。

(こいつはこんなことを語って、何を俺にいいたいのだ……)

 さらに高佐は続けた。

「あの場にいた被害者の親族の誰が、自分の身内が失踪したことに喜ぶと思う? 護君のお姉さんとは違い、たとえどんなに素行が悪かったといえども」

 さぁ。どうなのだろう、と護は疑問である。失踪したひとりである弓中哲也の父親は、「悪餓鬼がいなくなって清々した。親不孝ばかりかけるから、神さんが怒った。だから神隠しにあったに違いない」と周囲に豪語し、「お役所の人の手を煩わせるのは悪いから、捜索しなくていい」と警察関係者に捜査の断りをしたのを覚えている。その哲也の父親の他にも、事情聴取に集められた関係者の中に、悲しんでいる様子を見せない者は何人もいた。そのことを語ろうとしたが、高佐に先を越された。

「こちらは、常に、正直だよ。護君に、俺を知ってもらいたいからね。俺は、稚恵があの事件で失踪する前は、稚恵のことが嫌いで堪らなかった。稚恵を自分の妹と思うのが嫌で堪らなかった。両親のいうことを碌に聞きやしない。好き勝手に生きて。歌手になるというものの、ちゃんとした方向性ない。どうしようもない男とばかりと付き合い、そんなやつらにばかりに影響されて……金を得るために、いかがわしい行為もした」

 高佐は顰め、煙草を持たない手の平を護に向けてきた。まだいいたいことが終わっていないから、何もいわないで欲しいと表すように。息を長く吐いてから、再開する。

「俺は稚恵が失踪する前は、あんなやついなくなってしまえと何度も思い、常日頃から願っていた。稚恵がいなくなったら、俺の両親は困ることなくなるだろうって。なのに、本当にいなくなってしまってどうだ。……この四年間、俺は自分を憎んでいる。俺がそんな願いをしたから、いなくなってしまったのだと後悔している。この四年間、俺の両親は稚恵がいた時以上に、泣いてばかりだ。稚恵は決して全てが悪くなく、良いところもあったと思い出させられる。稚恵が恋しい」

 高佐から澱みなく語られ、見られた。醜い人間と全く思えない、真っ直ぐな正しさある眼光と、ひとは感じ取るのだろう、と護は考えた。けれども、疑ってしまう。高佐から見据えられ、共感か、同情を求めているように思えはし、疑りはあれ、さすがに頷かずにはいられなかった。

 この今を、この流れを、護には、やはりどこか不可思議だ。

「高佐さんが俺にいいたいのは、妹さんのことでしょうか? 謝りたいことから、ずれていると思いました」

 高佐は頷いた。

「そうだね。話が逸れた」

「そうだと思いました」

「四年前のあの時、護君は突然に俺の胸にしがみついてきて、君は上手く喋れないながらに、『8がつく』と、『モール』と、『信じてほしい』と何とか伝えてきてくれた。あの時の俺は、護君は気が動転して、おかしなことをいっているって思った。……本当に悪いことをした。あの時の君はあの状態が普通で、精いっぱいだったのにね」

 護は舌打ちを打ってやりたくなった。過去の弱さを露見してきたから。思い出したくもない、忘れてしまいたい弱い自分を思い起こさせられ、この上極まりない不快が全身に走った。が――。

(8がつく……モール……何とか伝えてきた)

 まさか、と護は驚いて考えだす前に、高佐が教えてきた。

「護君は、『稚恵たちは、廃墟の八定ショッピングモールに肝試しへ行った』と伝えたかったのだよね。8がつく、モールとは、八定ショッピングモールのことをいいたかったのだよね」

 四年過ぎた今になって解き導かれ、護は閉口させられる。導かれる時が訪れるなんて、考えてもいなかった。そんな時など一生来ないと思っていた。「そうなのだろう?」と高佐から追究がきてから、頷いた。

 何で、と高佐は優しい声でいった。

「稚恵たちが、八定ショッピングモールに肝試しへ行ったと知っているの?」

 まるで、大人が悪いことをした小さなこども相手に質問してきているように、護には聞こえた。不愉快ながらも、そう聞こえてしまう。リュックサックの中にある携帯電話を考えだそうとして、護は考えまいとする。腕を組み、組んだ腕を眺める。

「姉さんが肝試しへ行く前に、『8がつくモールに肝試しへ行く』って教えてきたのです」

 護は嘘をついた。重要な事柄に関する嘘をついたことで後ろめたくなり、苦しくなるかと思っていたが、苦しくならなかった。昔から、日頃から嘘をつくことに慣れていて、感覚が麻痺している。最初は「いない父親」について周囲に嘘をつくことから、次は姉について加わり、その次は母についても加わって、と、ステップアップで、嘘への抵抗感が鍛えられているのだ。

「8がつくモールとだけ、お姉さんは教えてくれたの?」

「はい。八定ショッピングモールへ行くと、はっきりと教えてくれませんでしたね。姉さんは、俺が母にどこへ行くのを教えてしまうのが嫌だったのだと思います。母は異性交際に厳しい考えの持主だったので。俺が教えてくれるように頼みに頼んで、やっとそう教えてくれた」

「なるほどね。気になるのだけど、何でそのお姉さんの発言から、護君は八定ショッピングモールと分かったの?」

「8がつくモールは何だろう、とネットで調べていって、それは八定ショッピングモールだと思いました」

 高佐から黙られ、護は高佐を見る。高佐はこちらに真面目な顔を向けながら、火のついていない煙草を指で弄んでいる。まるで考えこんでいる様であった。

「……何で、そのことを警察へいわなかったの?」

 高佐が声のトーンを落として聞いてきた。俺に対して非難しているのだろう、と護は思う。

「だって、姉さんがそこへ行ったという証拠になるものが、何もなかったので。ただ、聞いただけだったから」

  『8』がつく廃墟だよ。自分で調べな。

  妄想していないで、寝ろ

 携帯電話の画面に表示される奈々が送ってきたメッセージ、そのままが頭の中で浮かびあがりだして、護は言葉に詰まった。こんなメッセージは届いてなんかいないのだ、と自分にいい聞かせ、これ以上浮かんでこなくさせる。

「……また、もしかしたら予定変更して、心霊スポットとして有名な火弥山へ行ったのかもしれないと思えもしたからです」

 さすがにこの嘘には、護は胸が苦しくなった。



 続

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