三幕 NOBODY NEEDS 不愉怪 2

 湯気立つ珈琲がテーブルの上、目の前に置かれる。ウエイトレスが立ち去ったのを伺ってから、護は対座する男を見直した。この男、高佐聡志は、目を細くさせ、みたいな笑みをしてくる。そう、先ほどまでと変化のない。また、四年前と変わらぬ笑みの仕方だ。

 清潔感のある髪型、質の良い背広、手首に嵌る真新しい高級腕時計――と、護は高佐を眺めていき、ファッションも四年前と変わらないと見定めた。

 ファッションに加えて、このほとけ笑み。護を不愉快にさせるのには、もってこいの条件揃い。だが、四年前と変わって、前髪に随分と目立つ白髪があることにより、多少なり溜飲が下がる。高佐は今年で三十二のはず。護からして、その年の割にしては本当に目立つ白髪で、心労したのだと想像することができるから。

 高佐は笑いを小声で零して、話しだした。

「改めて、お久しぶりだね。四年ぶりだ。あの頃よりも、護君は背が伸びたね。あの頃は、確か高校二年生だったよね」

 護は頷き、膝の上で両手を組み、珈琲の揺れる湯気を見つめる。笑みをあまり眺めたくなくなったから。

「今は大学生?」

 護は頷く。その後、少し沈黙が続いてから、高佐からまた続けられる。

「何を学んでいるの?」

「工学部で電気工学を学んでいます」

 と、護が教えれば、高佐から興味深そうに、どこの大学だとか、電気工学とは具体的にどんなことを学ぶのか、と色々と聞かれた。「あんたには関係のないことなのに」と、かなり鬱陶しく思ったが、簡潔に答えていった。答える毎に、インタビューを受けている気がしてきて、インタビューをキーワードに高佐のことが気になった。

 あの、と、護は湯気を見たままで質問を遮った。

「何かな?」

 高佐は明るい声で返してきた。

「高佐さんは四年前と変わらずに、新聞記者のお仕事をされているのですか?」

「うん。そうだね」

「四年前と同じ新聞会社の?」

「うん」

 ――と、なると、と護は考え込む。

 四年前と同じなら、都内にある大手の新聞会社に勤めているということ。この身なりからして、相変わらずの裕福なのであろう。それは、大手の新聞会社に勤めているからではない。この高佐の家は、そもそも裕福な家である。この高佐の父親は銀行の頭取、母親は茶道の師範だ。

 護は高佐を見る。高佐と目が合えば、高佐は笑顔であるものの、悲しげな影を目に宿された。

「何だろうね。護君は四年前と比べ、随分と変わってしまったね。本当に、四年前に出会ったあの高校生の男の子なのかなぁって。背が高くなっただけじゃなく、顔つき、目つき、声色といって、全然違うなぁって」いって、高佐は悲しさを消し、明るく笑った。「本当に君は遠野護君かい? もしかして護君のお友達で、護君が僕と会いたくないからってことで、代わりに来てくれた感じかなぁ?」

 苛っ、と護はした。苛立ちが膝を揺するのに表れる。「そうじゃない」と感情的に否定したいが、堪える。否定してやるほどの優しさをくれてやるのが、悔しいからだ。彼にそっぽを向いたと理解されるように、顔を素早く窓のほうへやり、珈琲を啜った。珈琲はかなり熱かった。

「冗談だよ。じょーだん。ごめんね。そんな益々怖い顔をしないでよ。君が護君だと分かっているよ。ずっと怖い顔をしているから、ちょっと変えてあげたいなぁ、なんて思ってね」

 高佐が黙る。護はコーヒーカップを片手に、窓を越えたはるか遠く向こうで、薄っすらした白い雲が横へゆっくりと流れていくのを眺めながら、火傷した感じの舌の痛みに浸らせられる。だって、なんにも答える必要ない、浸るのを許されるほどの時間を貰った、なんて思えて。

「今日は嫌なことでもあったの?」

「いいえ」

「そっか。俺に会ったから、俺に会うのが嫌で、不機嫌?」

 答えはイエスである。――護は答えるのが面倒になる。察しろ、であった。察しられたのだろう、高佐は苦笑してきた。

「こうして今日来てくれたこと、ありがとうね。――護君のお母さんは、その、どうしているのかな? もちろん、元気でいるとは決して思っていないよ」

 護は高佐を見た。高佐は護のほうを見ていないで、彼の前に置かれるアイスコーヒーのほうを見下ろし、笑いを消して、物憂げな顔をしていた。護が見つめていても、彼は気がつかないようで続けた。

「四年前、俺たちの家族の一員が欠如した『V系バンド五人組失踪事件』が起こって、関係者全員が警視庁に初めて集められた時、護君のお母さんが一番取り乱していたのを覚えているよ。あの当時、俺の両親も、護君のお母さんをすごく心配していた。それ以降、俺は護君のお母さんを見かければ、心配させられた。……君のお母さんは女手ひとつで、護君と奈々さんを育ててきたのだよね。大事に育ててきた娘さんがいなくなった苦しみは計り知れない、と理解するよ。俺の両親も同じく理解している。だけど、俺のところだってね、護君のお母さんくらいに、俺の妹の稚恵ちえがいなくなったことに苦しみ、悲しんでいるよ」

 高佐が護のほうを見てきて、目元を笑ました。

「誤解されたくないから。俺たちの一家だって、護君のお母さんくらいに苦しんでいるのだよって、知ってもらいたくて。その面構えからして、何だか君の一家だけが苦しんでいるって思っている感じだから」

 護は鼻で笑った。

「要は、対等な被害者一家だ、と考えろと主張したいのですか。対等にしないでください」

 丁寧語を使ったが、「対等にするなよな」と一掃してやりたいのが、護の本音。馬鹿にされているとも受け取れる。

「対等にしないで……か、何で?」

「俺の姉さんは真面目な学生だった。他の失踪した者たちと違い、真面目に生きていた。姉さんは巻き添えだ。……姉さんは不真面目に生きるバンド員ではないのに、世間ではその一員とされ、偽りの醜聞にまみれた。失踪に同情されるべきなのに、同情されなかった。不真面目に生きていた人間たちが山奥へ肝試しに行き、自業自得で行方不明になったとされた」いって、護は高佐を睨みつける。「もしも行方不明になった全員が姉さんのような真面目な学生であったら、世間はもっと同情して、姉さんたちを探すのに協力的であったと思う。真面目な学生が、学生時代の思い出を作ろうと肝試しへ行って、不運なことに山奥で遭難した、とせめて考えてくれたはずだ」

 ――本当は山奥で遭難なんかではないけれど、とまで護はいうのはよした。なんせ、この目の前にいる男は、かつて聞いてくれなかった。胸の奥で眠っていた怒りが目覚める。高佐から何かをいわれる前に、断言してやることにする。

「姉さんは、高佐さんの妹さんとは違い、お金のためにいかがわしい行為をしていない。どこが対等でしょうかね」

 高佐から口をしっかりと閉められ、腕を組んでから、見据えてられる。ひとによれば、怒ったとも見えなくもない。自分よりも年上の者にこの態度をされれば、めげる者はいるだろう、と護は思うが、ちっとも怖くない。反論するなら、いくらでも受けてたつ、だ。

 確かにそうだ、と高佐は長い間を置いてから、静かに認めた。

「俺の妹は、護君のお姉さんと対等でないね。だけど、行方不明になった護君のお姉さん以外の被害者である皆を、不真面目に生きる呼ばわりして良いものなのかね」

「はい。良いです。俺の姉さん以外、皆不真面目です」

 反論できまい、と護は自信があり、勝ち誇りたくなる。高佐が額に手を当てて、顔を左右に振られた。

「あのね、せめて、俺らの家族も、本当に苦しんでいると分かろう。二年前から、俺の母さんは稚恵の喪失で気を病み、通院している。俺の父さんはそれが原因で仕事を退職し、母さんの看病をしている」

 護からしたら、「だから、何なんだ」である。過去を懐かしむため、同情し合うために、呼び出したのなら、一刻も早くここから退席だ。懐かしめる過去などない。同情によって、自分は何も変わりはしない。くだらないとしか思えない会話をすることに、時間を費やしたくないのだ。――思わず、護は舌を打った。

 高佐は、冷ややかな笑いを零した。

「君は事件によって、四年間の内に、心がかなり荒んでしまったのだろうね。冷淡だ。そうなってしまうのを理解するよ。責めはしない。ただ只管に可哀そうだと思う。俺は君よりもずっと大人だから、そう思ってあげるよ」

「俺の何を分かって、そういえるのやらですよ」

「うん。確かに、何も分からないね。四年間の内に、君がどう過ごしてきたかを見てきてはいないから。だけど、察しはつくよ」

 護は失笑した。

「俺はね、恵まれた高佐さんとは違います。姉さんを失った後で、また家族を失いましたから。高佐さんの気を病んだお母さんとは違い、俺の母さんはもうこの世にはおりません」

 高佐は目を見開かした。護の予想通りの反応で、狼狽してきて、「どういうことだ」と、「何があったのだ」とか、母について知るための質問責めをしてきた。

 護は教えてやる気がしない。意地でも教えたくない。教えたところで、自分は何を得られるのか。何も得られないに決まっている、と知っている。非常に不愉快な気分になりながら、母が玄関先で足先を床から離れ、宙に浮いている奇妙な光景が思い浮かんではいた。



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