二幕 涙腺黒バット怪散 10
緩やかに右へ曲がっていく通路の両サイドには、店が建ち並び続く。その店はファッション関連の店ばかり、廃墟と呼ぶのに相応しくない新しい品が陳列された店しかない。ショーウィンドウは曇りなく、透き通る。まるで、ここは、ただ今が閉店時間なだけのショッピングモールだ。
奈々は足が少し疲れてきた。「まだおふじ通りは続くのか。このモールはどれだけ広いのか」と、多少愚痴りたくもなる。かなでを掴む手も疲れ、繋ぐ手の間が汗ばんでいて、その汗を乾かすためにも離したくなった。
奈々は足をとめ、かなでの手を振りほどこうとする。かなでから嫌がられた。
「怖いから、手を繋いでいて」
何で怖いのって、奈々は聞く気にもならない。「手が疲れたの。ちょっとの間、離してもいい?」
「じゃあ、そのちょっとの間、服を掴んでいてもいい?」
奈々はため息こぼしつつ、どうぞご勝手にという気持ちで頷いた。かなでから手を離してもらえ、ポロシャツの脇腹あたりを握りしめられる。解放された手をふって、汗を乾かす。
「本当に、みんなここにいるのかな。外にいたりして」かなではいって、携帯電話を取り出し眺める。「ここ、圏外だ」
奈々は横眼で、彼女のいう通り液晶画面に圏外の表示されているのを確認する。自分のでも確認すれば、圏外であった。
(ここが圏外となると、つまりは――もしも彼らがここにいれば、わたしたちからの連絡を受け取ることができなければ、寄越すこともできない。連絡に気が付けない)
服を掴んでくるかなでの手と、奈々は再び手を繋いで歩きだす。かなでの歩みは遅く、奈々が彼女の手を引いているから、何とか歩いていっている感じだ。彼女に煩わしさを感じ、歩みを早めるのを催促しようと彼女を見れば、彼女は目をしっかりと閉じ、泣くのを堪える面をしていた。
本当に、馬鹿みたいに、あれそれの存在を信じて、怖がっているのだ、と奈々は思わせられた。ここまでくると、同情に変わってしまった。
「怖いの?」
うん、とかなでは目を閉じたままで頷く。
「わたしは何にも感じないよ。あれや、それも。目に見えない存在っていうものはさ、信じるから、存在するとわたしは思うのよ」
「わたしは黒く見えちゃっているから」
「信じているから、イマジネーションを作りだしているのかな、なんて、思うけど」と、同情から派生する優しさで、妄想をイマジネーションと、奈々は表現した。
「ありがとう。怖がらないように励ましてくれているのだね。奈々さんは、やっぱり優しいね」
かなでは目を閉じたまま、頬に愛らしい笑みを作る。ちょっとだけ、ちょっとだけだが、彼女のことが可愛いなって、奈々は心臓を擽られ思えた。怖がるのを和らげようという気持ちにさせられ、「バンドで歌っているそうだけど、それは、もちろん歌うの好きなのだよね?」と関心ある風を装って質問してみせた。彼女から目を開けられ、瞬かられた。
「……うん。歌うの大好き。小さい頃から歌うの好きなの」
「へぇ。わたしは歌うの苦手で、下手。だから歌えるってことに、すごいと思うよ」
「ありがとう」かなでは嬉しそうに少し笑った。
「目を閉じていてもいいけど、転ばないようにね」
うん、とかなでから頷かれ、目を閉じられた。それから奈々は歩きながら、かなでからちょこちょこと小さな歌声を聞かされた。その歌はヴィジュアル系バンドの歌い手から外れた、ポップスで優しい感じだが、哀しさもある、英語の歌詞であった。英語の発音は良くない。あなた、霧、池、どこへ行く、のフレーズが頻繁に出てきてくる。
通路の先に開かれた広場が、奈々は見えてきた。この通りはやっと終わるのか。徐々に通りの終わりに差し迫った時、先から「やめてくれっ」と叫びが聞こえた。
「じゅん君っ」
あの唾吐き野郎の声、と奈々が判断しきる前に、かなでから声を張り上げられた。かなでが自ら手を解いて、前へ向かって走りだす。
「何故、そう単純に行動へ移すんだ? これは、わざとかもしれないっ」
奈々はかなでに大きな声をあげて、引き留めようとしたが、かなでから相手にされない。舌打ちをし、かなでの後を追いかける。かなでは狂ったように、じゅんを繰り返しに呼ぶ。
かなでが通りを抜けようかとした時、こちらへ懐中電灯を手にした者が走ってくる。その者がかなでの近くへ差し迫り、奈々はその者がじゅんだと判別できた。かなでは彼を呼び、足をとめ、彼が近くにくると、彼のほうへ手を伸ばす。彼はかなでの手を乱暴に叩いた。
「どいつも、こいつも、俺にこれ以上触れるなっ。来るな。寄るな」
じゅんは左右を見ながら声をあげ、まるで周囲に何かがあって、それを振り払うかのように手を動かし、走り続けようとする。かなでが走るのを阻止するように、彼の手を掴む。
「じゅん君。ねぇ、どうしたの?」
はっと目を覚ましたように、じゅんは目を開かせ、かなでのほうを見た。
「ここから逃げろ。お前は多少見えるのだろう? ここがやばいって」
いって、じゅんは前髪を鷲掴み、金切り声をあげた。かなでの手を振り払い、走りだす。奈々のほうへ走ってくる。
彼が常軌を逸した状態に、その状態を表す明らかな目つきにしか、奈々には見えない。思わず、迫ってくる彼を懐中電灯で撃退しようと、懐中電灯を剣道のように胸前で両手で構え持つ。しかし、彼は自分を気にも留めずに横を通り過ぎる。すれ違いざまに、彼の顔と衣服全体が、黒い液体の飛沫を浴びたように汚れているのに見えた。
(……あの汚れは一体?)
奈々は彼を呼びとめようと、後ろへ振り返りざまに、後ろから機関車の軽快な汽笛が聞こえた。
完全に振り返った時、遠くに彼がいて、彼の前にはミニ機関車が。奈々の経験から、あのミニ機関車は、主に幼児たちを乗せて楽しませるためにのんびり走る。が、あれは、奈々のその経験にない、スポーツカー並みの猛スピードで走ってくる。彼はこちらへ引き返そうとし、機関車は速度を落とさないで、彼に容赦なく衝突した。彼の身体が宙に浮かび、床に落ちてから、機関車がブレーキの音を立てて停止した。――ここまでの出来事は、奈々の感覚からして十秒も経たなかった。
機関車の運転席から、大きな身体をしたものが、のっそりと下車してきた。奈々はそのものに懐中電灯を当てる。そのものの側面からして、鳥と思われる着ぐるみを着ていた。着ぐるみは頭にモヒカン刈りに似た黄色い鶏冠、背には虹色の翼、こどもっぽい雰囲気がある衣服――白い半そでブラウス、赤と白のチェック柄のカボチャパンツ――そして黒い手袋をした手に金属バットを握りしめる。金属バットの先は黒く汚れている。
着ぐるみは、奈々を気にする様子なく、床に転がるじゅんへ軽やかな足取りで近寄る。大きな赤い靴が嵌る足を勢いつけて後ろへ振るいあげてから、じゅんの横腹へ蹴りを一発入れた。じゅんは微動もしない。着ぐるみのものは、じゅんの横で暫し佇んでから、奈々のほうへ素早く顔を向けてきた。口角を引き上げて笑った蛙の顔をしていた。
逃げろっ。
身体から指令を下され、奈々は頭の中は空白であったが、操られる。広場がある方へ走りだす。口を開けて、茫然とするかなでとすれ違いざまに、彼女の手を掴み、彼女を引き連れて走りだした。
二幕 終
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