二幕 涙腺黒バット怪散 8

 コンクリートの真っ平らな地面の上に、小石があった。奈々はその小石を力任せに蹴っ飛ばした。小石は勢いよく飛び、警備員室の外壁に当たって弾かれ、鉄柵門のほうへと飛んでいって消えた。

 またすすり泣きが、奈々は聞こえてくる。かなでが車の近くで蹲り、身を丸くさせている。

 苛々しているのか、と奈々は自分のことを考えてみる。――苛々とは違うのか。不安になっているのか。心配になっているのか。

(……決して、あの女の子に対してではない)

 勿論ここの通信状況は悪いと、奈々は踏まえて考えている。

 あの唾吐き男が二十分、四十分過ぎても、かなでからのメッセージを返信しなくても、無視しているのだと想像して終わりだ。だけど、あの唾吐き男からの返信を待つ間、かなでが桃太と哲也にメッセージを送ったり、電話をかけても、二人からの応答は今もない。

 奈々は携帯電話の待ち受け画面を見る。十四日から翌日である十五日と日付が変わり、現在時刻午前零時三十七分。未だに桃太からのメッセージはない。試しにもう一度電話をかけてみるが、応じてこない。電話をかけるのをやめた時、携帯電話が笑い声を起こして、弟が代わりのようにメッセージを送信してきた。

  無視するなよ。無視しているのお見通しだってーの!

  肝試しじゃなく、桃太とラブホテル?

 奈々は弟のメッセージを読み終え、苛ついた。舌打ちがでる。

 『8』がつく廃墟だよ。自分で調べな。

  妄想していないで、寝ろ。

 奈々は思いつくままに打ち込み、返信した。

「桃君から連絡がきたの?」

 かなでが胸に携帯電話を押し当てながら、奈々の傍へ近寄ってきた。目の下と鼻先が赤くなっている。

「いいや。弟からだよ」

「そう。桃君からかと思ったのに」

 さて、と、奈々は息を吐いた。赴くままに車へ、車の中へと向かう。かなでから「どうしたの?」と狼狽えるように聞かれ、追いかけられるも、無視をした。車内から自分のショルダーバックを手にし、肩にかけた。

「ねぇ。どうしたの?」

 車内まで追いかけてきたかなでは、奈々のポロシャツの後ろを掴んできた。奈々は身体を振るって、彼女の手を解かせた。

「見ればわかるでしょう? 三人の様子を見に行ってくる」。

「様子を見に行くって……」

 かなでは口ごもってから、何かを続けていおうとする感じであったが、奈々はかなでを相手にせずに車内から出ていく。「待って」と背から声がするも、相手にしたくない。――泣いてばかりの子の相手は飽き飽きなのだ。

「待って、てば」

 奈々が鉄柵門の目前になったとき、かなでから大きな声をあげられる。駆け寄られ、手を掴まれた。

「ひとりになりたくない。ひとりは怖い。わたしもついていく」

 好きにすればいいよ、と奈々は思い、面倒くさくていいはしなかった。鉄柵門を押し開いて、敷地へ足を踏みいれた。懐中電灯で先を照らす。車道に似るコンクリートで整備された道が、門前から建造物のほうへ続いている。この道を歩いていけば、あの先にある建造物へたどり着く気がする。

 奈々は足元を照らしながら歩きだす。

「三人のことが心配なの?」

 後ろからかなでが質問してきた。

「分からない」

 奈々は正直に答えた後で、あの唾吐き男を含め、三人のことが心配にはなりもするとは思えた。

 美術館に配備されるような警備員の姿を、思い浮かばせる。こんな守られた建造物であるのだ。哲也のいとこである警備員が今日来ない代わりに、ひょっとしたら他の警備員が来ていて、あの三人をとっつかまえ、事情聴取をしていそうだ。あの三人はぺらぺらとわたしのことまでも教え、連絡先さえ教えてしまう。

 奈々はため息がでる。

(――挙句の果てには、警備員は警察へ通報して、ご丁寧にわたしの家にまで連絡を入れる。最高の展開だ)

 ねぇ、とかなでが呼び、奈々は生返事する。

「怖くないの?」

「怖いって?」奈々は失笑する。警察から連絡を受けた母親の憤慨した様子を想像して、怖くはなった。

「奈々さんはあちこちから変な感じがするのを感じない?」

「変な感じ?」

 奈々は歩みをとめずに、懐中電灯で周囲を照らし伺う。周囲を照らせば、道の両サイドとも、地面に白い線で長方形を描いて作られた駐車場が広がっていた。かつては、ショッピングモールの来客者のための駐車場だったのだろうと想像させる。

「変な感じはしないけど」

 かなでは何もいわない。奈々は振り向かずに、ため息つく。

 どうせ、と奈々は思う。幽霊がいる、感じるとでもいいだすのだろう。

「あのね。こういう場所で、あの……あれがいると話すと、あれが近寄ってきたり、ついてきちゃうから、あれを口にはできない。あれをあちこちから感じるの」

 正解であった、と奈々は理解する。あれという表現ではあるが、いいだしてきた。奈々はそれを体感なんかしない。

「怖いから、手を繋ぎたい。お願い」

 背から聞いて分かる程の怯えた懇願であった。鼻をすする音が始まる。無視をしたら、面倒にも大泣きしだし、幽霊だの喚きだしそうと思えて、奈々は承諾した。奈々はかなでと手を繋いで、肩を並べて歩きだす。

「あのさ、廃墟に、おかめっぐ君が現れるとでも思っているの?」

 幽霊の存在を信じているのであろう彼女に、また車内での彼女の呟きも思い出して、奈々は質問した。かなでは間を置いてから、小さく頷いた。

「あれの話をするとき、調べたりするとね。ぞわって、体が寒くなるの。あれが来ちゃったとういことなのだけどね。――わたし、その」

 かなでは口を噤んでから、奈々に「おかめっぐ君」と耳打ち、続ける。

「それについての話を聞いたあと、それを見たの」

(おかめっぐ君を……)

「見た?」奈々は信じがたく、馬鹿らしくて笑いがでかけた。「具体的に知りたいわ」

「七月の中頃にね、ゆっくんがここへ肝試しに行こうと誘ってきたの。それは郊外にあるライブハウスでコンサートをするためのリハーサルをした時、午前中だったな。それで、わたしはその誘いを聞いている最中でも、体が寒くなってね、もう何かをいるって感じたの」

 うん、と奈々は相槌をやる。

「でね、その後から、わたしは肝試しやら、その」といって、かなでは口パクでおかめっぐ君と表現し「についてね、考えたくないのに、考えちゃいけないのに、考えてばかりいて。そんなことをしたら、来ちゃうと分かっているのに。ねぇ?」

 奈々は共感できないので、共感せずに、「続けて」と促した。

「そしたら、今月の始めに同じ郊外にあるライブハウスで、見たの。コンサートを終えた後、夜遅い時間に、わたしがひとりで舞台の片づけをしていた時に、幕袖にいたのよ」

「いた、とはね。はっきりと見たの?」

 かなでは眉根を落とし、黙りこんだ。少ししてから、頷く。

「わたしは霊感強くないから、あれの色彩は見えない。強い霊力のあれは黒い形で見えるの。だから、それのはっきりとした黒いのを見たの」

「それは、どんな形だったの?」

「人型の、オスの鶏のような鶏冠があって、翼を生やした形をしていた。それって、カエルとオカメインコが融合した人型の妖精って話だし。オスの鶏の鶏冠のようなっていったけど、オスの鶏の鶏冠とオカメインコの鶏冠って似ているから」

「なるほど、見えた形に聞いた話を繋げて連想し、それをおかめっぐ君であると判断したのね」

 かなでが目を見開かせ、唇に人差し指を当てる。それで、奈々はうっかり発言したことに気がつくも、だからといって怖くなりはしない。あれ、それ、で会話させられるのが馬鹿らしく、面倒だ。

「黒くてはっきりと見えた。黒くてはっきり見えるもの――影を見たのよ」

 かなでの話を聞き終えてから、思いついたままの意見を奈々は述べた。ステージの袖幕にあった何かの物体の影を、幽霊と見間違えたとしか想像できない。

 かなでは首を横に振る。

「ゆっくんだって、じゅん君だって、それを見たもの。ゆっくんは自宅で。じゅん君はわたしと同じでライブハウスで。だから、影なんかじゃないよ」

「その二人も見たの?」

「うん。ゆっくんとじゅん君はわたしと違って、色があるそれをしっかり目撃した」

「二人からそう聞いたの?」

 うん、とかなでは大きな声で答えた。

 この子と話していると、幼いこどもとお話ししている気分がする、と奈々は冷ややかに思う。――この子も桃太に似ている。

 その二人は本当に見たの、と奈々は聞こうかとしたが、答えは目に見えているのでやめた。イエスと返してきて、嘘じゃない、幽霊はいると主張してくるのだろう。

(嘘……)

 奈々は胸に引っ掛かってきて、かなでを横眼で見る。かなでから気がつかれ、「どうしたの?」と聞かれた。首を横に振り、前を向いて黙々と歩く。

 彼女の顔を見れば判断できるか、と奈々は思ったのだが、判断できないに行き着く。顔だけで嘘かは判断できない。自分はこの女の子と出会ってから一日も経過していない。要は、この子を判断できるほども知らないのだ。だから、この子が幽霊を見たと嘘をついているのかは判断できない。

 ――あの唾吐き男や、哲也が見たのが、嘘なのか、どうかも。

「……寒い」と、かなでが呟くようにいった。

 奈々は額に汗が沸いてくる。真夏の気温だと感じ、寒いと感じない。

「ついてきちゃっているのかな」

 かなでからまた呟くようにいわれる。幽霊の存在によってと主張しているのだろう、と奈々は察する。返す言葉は何も思い浮かばない。ただの彼女の独り言ということにして、足元を懐中電灯で照らし、足元に注意しながら、只管道を歩み進めた。


 続

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