二幕 涙腺黒バット怪散 7
女の子のさめざめとした泣き声に、奈々は頭が痛くなってきた。痛みを和らげる効果はないと分かるも、効果を願って額を摩った。泣いているかなでを懐中電灯で照らす。
かなでは光に応じることなく、地べたに体育座りで、顔を両手で覆い泣いている。三匹の異星人たちが鉄柵門を越えて、遥々と肝試しツアーへ旅立ってから、ずっとこの調子で変化がない。
「あのさ。もう泣くのやめなよ」
奈々はかなでの脇に立ち、また諭す。これでこの台詞を唱えるのは五回目だと覚えていて、半ば泣きやますのに諦めてはいた。けれど、彼女が反応を示し、顔を手で覆うのをやめ、小さく頷かれる。
「うん。そうだね」
かなでは地面のほうへ悲しそうにいって、下唇を噛む。両目から涙がゆっくりと次から次へと溢れて、頬に伝い流れ落ちていく。車内にいる時は色っぽさのある女の面であったのが、今ではそれを作っていた化粧が剥がされ、彼女の幼い素顔が明らかになっていた。かなでは目を瞑って涙を流すのをやめてから、鼻をすすって、微笑んだ。
「ありがとう。さっきは叩かれるのを止めてくれて」
奈々は首を横に振り、かなでを眺める。かなでの蟀谷に薄っすらと紫色の痣があるのを発見した。
「あの男……恋人から暴力を振るわれているの?」
かなでから答えてもらえず、笑顔で首を傾げられたが、奈々は間違いないと判断する。絶対にそうとしか考えられない。あの男への怒りが再び込みあがってくる。
「わたしはあの男と今日……いや、昨夜知り合ったばかりで、ろくに口を聞いていないけど、優しさなんかこれっぽっちも感じさせない。女を見下した酷い男だと思う」
今度のかなでは無表情で奈々を見あげて、また首を傾げる。
「かなでちゃんが好きなのは十分理解しているよ。余計なお世話だともわかる。だけど、あんな男とは別れたほうがいいよ。日頃叩かれていなくても、あんな怒鳴られたり、乱暴な扱いをされているのを、かなでちゃんの親が見たら、悲しむよ」
かなでは視線を地面のほうへやり、暫し黙り込んでから、奈々へ微笑んだ。
「奈々さんって、冷たい人なのかと思っていたけど、優しいね。あの。奈々さんの名前って、数字の七と書いて七さんというの?」
奈々は苦笑した。自分は冷たい人であるとは承知している。それに関しては訂正しない。名前に関して口頭で、「奈良の奈を二つ繋げて、奈々である」と訂正した。しかし、かなでは口頭で理解してくれなかったので、携帯電話に自分の名前である『遠野奈々』とタイプして見せた。
「ふぅん。そう書くのだね。わたしは、ね」
いって、かなでは彼女の携帯電話をいじり、『高佐かなで』と表示された液晶を見せてきた。その後、手招いて、隣に座るのを誘ってきた。
地面に座ると服が汚れるから、奈々は嫌であったが、かなでの隣に座った。かなでから微笑まれ、拳分ほど空いていた距離を縮められ、肩を密着させられた。
慣れ慣れしい、と奈々は不快にさせる。それが顔に出たのだろう、かなでは素早く肩を離した。
「その。怖いから。一緒に身を寄せ合っていれば、怖くないかなぁなんてと思って」
かなではぼそぼそといってから、ちょっと笑って、寂しそうな目をした。
なら、一緒に身を寄せよっか、と自分が明るくいってのければ、この女の子からさらに好感を抱かれるのだろう、奈々は予想する。だけど彼女と仲良しこよしをしたくない。今日の肝試しが終えたら、今後彼女と会うことはないだろう。
そう、とだけ、奈々は返した。かなでから黙りこまれる。
奈々はかける言葉が何もないので、鉄柵門を越えた先にある建造物を眺めだす。両者の沈黙によって、山林から鳥の声、葉が揺られ擦りあう音が際立つ。その音に耳を傾けていると、携帯電話が震えて、弟からのメッセージが届いてきた。
姉ちゃんのけち。どこかくらい教えろよ。
このメッセージは、午後十一時二十三分と発信時間がついていた。今は同日の午後十一時四十六分だ。凡そ二十分後と、かなり遅れての着信と奈々は気がつかせられる。また、携帯電話に表示される通信状況が悪いことにも。
こんな山中だから通信状況が悪いのだろう、と奈々はひとりで納得し、弟への返信を悩みだす。
「どうしたの? そんな難しい顔をして」かなでが恐る恐ると聞いてきた。
「弟への返信を悩んでいてね」
かなでは興味津々といった顔になり、白い歯を見せる。
「弟がいるんだ。何か喧嘩でもしたの?」
「弟がいるのよ。別に喧嘩していないよ。ただ弟がどこへ肝試しに行くのかしつこく聞いてきてね」
かなでは目をぱちくりさせる。
「えっと。普通に、八定ショッピングモールと教えればいいのじゃないの?」
奈々はため息がでた。
「普通に、ができたら、そうしているわよ。わたしの弟は餓鬼だから、すぐにお母さんにいいたくなるのよ。マザコンとでもいうのかな。――本当は肝試しへ行くとも教えたくなかったのよ。だけど、わたしと桃太が電話しているのをあの子は聞いちゃって、桃太と二人で外泊するのだと決めつけてきたから、仕方なしに肝試しへ行くことは教えたの。だけどこれ以上、あの子に面白いと思わせる情報を与えたら、絶対にお母さんにいうからね」
困ったやつだ、と愚痴って、奈々はまたため息がでた。桃太とは幼馴染ではあるが、恋愛感情の欠片も生じたことがない。なのに、弟は昔っから、桃太と付き合っているとか、桃太のことが好きだのと決めつける。
「弟君は幼いの?」
「ううん。高校二年だよ」
「幼くないね。……その、お母さんに肝試しへ行くと知られるまずいの?」
「うん。わたしのお母さんは異性交際に関して厳しい思想の持主なのよ。夜に男と会う、遊ぶなんて聞いたら、すぐに怒りだしちゃうような人なの」
「男の子と二人っきりじゃなく、複数で遊ぶとか、相手は友達だとか説明しても怒るの?」
うん、と奈々は頷くと、かなでが小声で笑った。
「やっかいだね」
「そうだね」
「わたしのお父さんとお母さんもそんな感じなの。異性交際にすっごく厳しいの」
「へぇ」
「彼氏を作るたびに怒ってくるの。じゅん君と付き合いだした時なんか、お父さんだけからじゃなく、お母さんからも頬に平手された」
あんなのと付き合いだしたら、そりゃあそうなるわ、と奈々は納得して思う。自分が母親だったら、同じように怒るだろう。
あのね、と、かなではいって上目遣いをした。「今日のじゅん君はいらいらが酷い日なの。いらいらしていない時は優しいんだよ」
「そうは思えない」
奈々は断言した。かなでは笑った。
「ほんと、ずばっというね。わたし、奈々ちゃんのようなクールな人好きだよ」
「そう」
「怖いから、傍に寄っちゃえ」
かなでは茶目っ気たっぷりにいって、肩をまた密着させてきた。奈々は先ほどよりは不快に感じなかった。
奈々は弟への返信を思い出し、携帯画面と見つめ、悩みだす。自分の隣からロックな雰囲気の曲が起こり、すぐに止まる。隣を見れば、かなでが眉の間に困惑を作って、携帯電話と向き合っている。
「どうかしたの?」
「じゅん君からメッセージ。肝試しに参加しないなら、別れるって……」
かなでから奈々は携帯電話を見せられる。彼女から教えられた通りの要件のメッセージが表示されていて、また発信時間が二十分ほど前の時刻であるとも。
「やっぱり、ここって電波が悪いのね。二十分も遅れてメッセージが届くなんて。そのメッセージはきっとあいつら……桃太たちがあの門をくぐってから間もない時に、送られたものなのだね」
えっ、とかなでは声をあげ、狼狽える。
「メッセージが二十分も遅れて届いたってことは、その二十分の間、じゅん君はわたしが返信を無視しているって、思っちゃっていそう。どうしようっ」
かなでは携帯電話を両手で持ち、泣きそうな顔で画面と対面し、黙り込んでしまう。
返信に悩みだしたのか、と奈々は察する。自分も弟への返信に悩もうかとしたが、時間を置くことにあっさり決めた。
続
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