一幕 怪幕 4
結局、鶴子からの問いかけを三郎は無視できなかった。
脳味噌が勝手に働きだし、春日正成について仕入れた情報を整理し始める。そのお陰で、三郎は不快と怒りが頭からだけでなく、胸からも、胃からさえもこみあげてくる。
警察の検分によれば、と三郎は情報を整えていく。
春日という俳優且つ、おかめっぐ君の着ぐるみスタッフは、彼自身の不手際で事故を起こし、なんとも惨たらしい遺体へと変わり果てた。この三郎が設立させたショッピングモールで、だ。しかも自分が考案したこどもたちへのショーで。
さらには、と、三郎は整えることをやめず、口が歪みそうになる。
稼ぎどきである夏休み、人が賑わう休日で事故を起こした。不快にさせるのに充分過ぎる。けれども、それだけであったのなら、事故があった翌日には「なんて不幸な男なのだろう」と春日を同情できる。
事故発生後、警察が春日という男について調査してみたら、春日の化けの皮が剥がされた。春日はうら若い婦女子たちに暴行を加えていた、との証拠がでてきたのだ。春日による被害者の数は正確には分からないが、多数であるに間違いない。被害者の何人かは三定ショッピングモールに勤める者、勤めていた者もいた。被害者たちは春日に弱味を握られ、脅迫まがいなことをされ、黙認させられた。被害者の中には自死した者もいる、と警察から情報を仕入れている。
――春日は婦女子を暴行だけじゃなく、殺害容疑もかけられる、とも。
ここまで、三郎は情報を整えている間、鶴子は苦しそうな顔をし、胸の前で両手を重ね当てて、押し黙っていた。彼女は質問の答えを聞けるまで、どうも開口する気配がなさそうであった。
三郎は微笑みを作った。
「鶴ちゃんは、春日が人殺しだと思うの?」
「分かりません」
「なるほど。分からないから、僕に聞くの?」
「分からないから、不安になり聞くのです。また、おじさんなら真実を知っているのじゃないかなとも思えまして」
鶴子が作業机のほうを一瞥したのを、三郎は見逃さなかった。作業机を陣取るおかめっぐ君事件関係の資料を見たに違いないと考える。
「本当に、テレビのニュースでいうように、人殺しだったら大ごとですから。とても不安になります。先行きのこととか」
(先行きか。八定モールや、僕たちのことの先行きか……)
なるほどね、と三郎は納得した。
「よく理解できたよ。鶴ちゃんは不安になるのね、不安になることないよ」
「本当に? なら人殺しじゃないのですね」
三郎はわざと大袈裟に首を大きく傾げさせた。
「いいや。どうなのだろうね。僕には春日君が人殺しじゃないか、そうじゃないのか、分からないや」
鶴子は目を瞬く。
「考えてごらんよ。春日君は死んじゃったのよ。人殺しかそうでないのか、判定なんかできません。春日君が生きていないとね、殺しというのは容疑というだけよ。彼にかけられた容疑の被害者は死んでいて、春日君に殺されたといえない且つ、春日君も死んでいて、殺したといえないから。もしかしたら、誰かが工作をして、証拠を捏造したりして、春日君に容疑をかけていると考えられる。証拠なんてもんはさぁ、僕からしたら作れるものだから、証拠だけで殺しを事実上で起こったと認められるものじゃないからね」
「なるほど」
「今、世間がしていることは、不毛なことをしているの。毛の生えてくる穴さえない皮膚での、不毛なこと」
鶴子は頷く。
「不毛ってだけじゃない。世間はひどいことをしているよね。いつだって死人をいいように利用しているんだ。人殺しをしていないひとがさ、殺しなんかしていないのに、死んじゃった後で人殺しだと呼ばれたら、ほんと可哀想だ」
「はい。その通りですね」
「あ。だけど別にね、僕は春日君を可哀想だなんて思わないよ。婦女暴行は事実だから。証拠あり、被害者が訴えているからね」
うん、と鶴子は頷いてから、苦しげに胸を摩った。三郎は彼女から何かいわれるのを少し待ってから、再び続けることにした。
「ほんと、僕は良いこと、社会に貢献することをしたと思うんだ。もしも僕があのショーを考案しなかったら、春日は生きていて、今でも女性を傷つけていた。僕は、神様にあの悪党へ天罰を下す舞台を提供したのだね」
「はい」
「まぁ、僕が一生懸命に想像して、創りあげたおかめっぐ君を、滅茶苦茶にされることになってしまったけど」
三郎はいいたいことをいって、すっきりした気分になった。けれど不快と怒りは完全には消えることがなかった。鶴子から沈黙され、様子を伺う。彼女は視線を床のほうへやり、陰鬱な表情をし、やたらと胸元を摩る。数分その様子を見てから、三郎は胸の奥底に沈んでいた不安がふと浮きあがってきた。
「あのさ、鶴ちゃん」
鶴子は三郎のほうへ目をくれてきて、はい、と頷く。
「改めてまた聞いちゃうけどさ、鶴子ちゃんは春日と出会ったことないよね?」
「ないです」
「本当に? 春日のことをやたら気にしてくるからさ」
鶴子は大きく首を横に振って、明らかに顔を顰めさせた。
「もう何度もいっていますけど、ないです」
「そっか。また質問しちゃってごめんね」不機嫌にさせてしまったか、また自分のせいで、彼女との距離が広がったようだ、と三郎は後悔する。顔前で両手を合わせ、頭を下げた。
いいえ、と鶴子は不貞腐れた感じに、小声で答えた。
「だってさぁ、鶴ちゃんはとっても可愛くて、美人さんだから、不安になっちゃうのよ。心配になっちゃうの。鶴ちゃんは僕が出会ってきた女の子たちの中で、上位五位の中に入るくらい美人さんだよ」
鶴子は目をぱちくりさせる。三郎は笑みを作る。
「そこらのタレントよりも、鶴ちゃんのほうが可愛いよ。本当だから。その証拠に、鶴ちゃんが街へ行けば、芸能スカウトをよくされちゃうのだしね」
「そんなことないです」
「ほんとだから」
鶴子ははにかみ、身体をもじつかせてから、やっと微笑みをみせてきた。
続
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