機械仕掛けのフェーニクス

永崎カナエ

第1話 出会いは血と砂で汚れた廃墟の中で

  全ての『機械人形マキーナ』の停止を確認し、ボクは走り出した。

  残された時間は十分弱。連れ出したとしても逃げ切れるかわからない。

 それでもこんなに、必死になって頑張っているのは、「諦めない」と彼と約束したからだ。ボク自身が、あの子に自由に生きて欲しいからだ。自由を奪った張本人が何を考えてるんだと、ひきつった笑みが止まらない。

  笑った瞬間、涙が溢れて止まらない。

 もう彼とは二度と会うことが出来ない。再会したとしても、彼はボクのことを覚えていない。思い出した時には、すべては終わった後だろうから。


 目的の部屋に到着したボクは、一度だけ深呼吸をする。

 頑丈でもなく、鍵もない、通い慣れた真っ白な扉を開ける。

 開け放たれた扉の向こうで、なによりも大切な子が、少しだけ驚いたようにこちらを見た。


「や、久しぶり。約束通り、外の世界を見せに来たよ。一緒に行こう」


 叶わない約束をしてしまった罪悪感が胸を裂き続ける。小さな瞳に、ボクの手が大きく、映し出されていた。

 差し出されたこの手を見て、君は何を思っただろう?


 ※※※


  走り続けるうちに、足は鉛のように重くなっていく。体力も限界に近い。あと十分ほどで、走行補助装置も燃料切れになる。

 後ろから追いかけてくる『暴走人形アネーロ』たちは疲れ知らずで、ボクに休む暇などくれるつもりはなさそうだ。


「……なんだよ、運がないなぁまったく!」


  一人暴言を吐いても、酸素を無駄に使っただけで意味を成さない。その分だけボクの命のタイムリミットは減っていく。今ここで、死ぬわけにはいかないのに。


(……なにか、なにか現状を変えるものは、ないのか?あいつらの動きさえ止められれば、なんでも出来るのに!)


「……あっ?!」


  何かに足を取られ、走っていた勢いのままゴロゴロと転がる。

 躓いたそれは人、だったものの残骸だった。

  死んでからそれほど時間が経っていないのか、皮を剥がされたと思われる跡が、まだ生々しく残り、苦悶の表情を浮かべたその顔から、生きたまま全身の骨を砕かれたのだと容易に想像できた。この人は最後に、誰を想って死んでいったのだろう。

 普段だったら吐くところだが、今はそれどころじゃないからか、不思議と吐き気は湧いてこない。

 ふと、腰に吊るされたナイフが目に映る。

  後ろから、『暴走人形アネーロ』たちが騒がしい音を立てて近付いてくる。この人をこんな姿にしたのは、きっとあいつらなのだろう。その証拠に、あいつらの身体の至る箇所にぬらぬらと光る赤色がこびりついている。いや、それ以外にも、渇いた赤色も点々と見受けられた。

 この人と、それ以外の誰か達と同じ結末を迎えないために、ボクはもう少しだけ頑張ることする。

 その前に、一言だけ死体に告げる。


「……悪いけど、これ貰うね。安らかに眠ってほしい。生き残ったらきっと、供養するから」


 腰に吊るされていたナイフを抜き取ると、ボクはまた走り出した。

 太陽の光を受けて、銀色の光が砂漠の中でギラリと光った。


 ※※※


 ようやく見つけた廃墟の中で、ボクは束の間の休息をとっていた。

 『暴走人形アネーロ』たちがあたりを捜索する音がするので、まだ完全に安全になったわけではないが、息を少し整えるぐらいの余裕は生まれた。使い物にならなくなった走行補助装置を取り外しながら、先ほど手に入れたナイフをじっくりと眺める。

 鳥の彫刻が施された美しい銀色のナイフ。なにかの儀式にでも使われそうな繊細で安価なイメージを抱くけど、素材はかなり良いものを使っているらしく、少なくとも二級以上の硬度を持っていそうだ。武器としては十分。ただしこれで『暴走人形アネーロ』を切れるかどうかは、使ってみないとわからない。【ロンズデール】で造られた『自動人形人形オートマティシリーズ』には、どんな武器でも力不足だ。


 これであいつら全部をを倒すことはできないけれど、運が良ければ一体ぐらいは起動不能ぐらいにはできるかもしれない。そうすれば、逃げる隙が……と、廊下から、何かが近づいてくる気配がする。すぐに死角となる柱へ身を潜めた。

 ギイッと、音を立ててゆっくりと扉が開く。

  暴走人形アネーロ特有の、歯車の高速回転によるキュルキュルという音が、開かれた扉から聞こえてくる。

  逃げ場である窓の位置を把握し、『暴走人形アネーロ』の動きに合わせて柱の陰に潜む。

  ゆっくりと、『暴走人形アネーロ』がこちらへと近づいてくる。チャンスは、一度。後ろを向いた時だけだ。

 

(……焦るな、焦るな焦るな焦るな。ボクならできる、できなきゃいけない。生きて、行かなきゃいけない)


 『暴走人形アネーロ』が、柱の影を通過してこちらは背を向ける。


(……いまっ)


 ナイフを『暴走人形アネーロ』の動力部分へと刺そうと、機体へ触れる寸前―――。

 後ろから、横の壁へと吹き飛ばされた。


「がっ……⁉︎」


 壁がひび割れるほどの勢いで投げられて生きているのは、おそらく手加減されたからだ。ボクを壁に投げつけた『暴走人形アネーロ』は、もう一体の暴走体。首をありえない角度に曲げられた、『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』だった。

 囮に使った『機械人形マキーナ暴走人形アネーロ』を、手に持つ大型機械解体用チェーンソーでバラバラに解体する美しい顔は、機械油と狂気の笑顔に染まっていた。

 

「アい愛会い空イあイ合いあいあい哀藍逢いぃぃぃぃぃ」


 ボクを騙し討ちするために黙っていた反動なのか、同じ言葉を繰り返す。ナイフは吹き飛ばされた時壁に深く刺さってしまい、今のボクでは取れそうもない。

 つまり、できることがなくなってしまった。

 『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』がボクに近づき、首を絞め始める。苦しみを長引かせるように、徐々に徐々に力を強くする。その顔はやっぱり、笑っていた。


「……っぁ、の。な、せ。」


 言葉がうまく出てこない。空気を求めて『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』の手を掴み退かそうとするけど、ビクともしない。苦しくて苦しくて苦しくて、ないはずの助けを求めていた。


(だれか、なにか、ぼくを、たすけてよ。まだしねない、しにたく、ない)


 約束した、迎えにいくと。

 待っていると、彼は答えた。

 ここで死んでしまっては、約束を果たせなくなる。そんなのは嫌だ。でも、何もできない。身体が、重い。意識が、遠のく。頭上で、輝く太陽が、遠くへ、行く。白く、白、く―――。

 薄れていく意識の中、気付く。白い太陽の光の中に、黒い影があることに。それが段々と、大きくなっていることに。


「……みつけた」


 影が告げた時には、ボクの首を絞めていた『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』の左腕が切り落とされ、続いて後ろに吹っ飛んだ。同時に、『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』の左腕を切り落とした存在がボクの前に音もなく着地する。

 感情の読み取れない赤い瞳が、フードの下からボクを見下ろす。瞳が僅かに開かれて、瞳の主が何か言おうとしたところで、腕を切り落とされた『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』が悲鳴をあげる。

 機械と人の声の混じった不協和音が廃墟に響く。機械油の涙を流しながら、それでも笑顔は絶やさない。こちらを見つめる瞳は、敵意と怒りと、狂気で満ちていた。


「……話は、あとだ。君には聞きたいことがあるから、逃げないでくれると、とても助かる」


 それだけ言うと、目の前の『生体人形ムニェーカ暴走機械アネーロ』に向き直る。

 『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』の顔に貼り付けられた人工皮膚が取れかけていた。人工皮膚の笑顔と対照的な、その下にある機械の冷たい瞳ががを見つめ、


「逃ガサナイ」


 呟いた瞬間、右腕の大型チェーンソーの凄まじい駆動音が室内に響く。その切っ先は、ボクの方へ向いている


『《武装アルマダ》――『機関銃アメトラジャドール』展カi』


 大型チェーンソーがガチャガチャと音を立てて姿を変え、戦車搭載用の、巨大な機関銃が出来上がる。

 対してボクを助けた彼は、丸腰のまま『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』と向かい合う。無謀だと思ったけど、彼が先ほど『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』の腕を切り飛ばして後ろへ吹き飛ばしたことを思い出し、そのまま見守ることにする。どうせボクにはもう、逃げる術すら残されていない。


「《武装アルマダ》――『腕刀エスパダブラッゾ』、《防装プロテクトーラ》――『風の鎧アルマドゥラビエント』展開」


 彼の声だけが部屋に響く。

 見た目に変化がなく、不安が募る中、不自然な風が頬を撫ぜた。

 『生体人形ムニェーカ暴走人形アネーロ』はそんなことに構うことなく、容赦なくトリガーを引いた。

 思わず目を瞑るボクに聞こえてくるのは、肉が裂け、血が吹き出す音。機関銃の、うるさい連射音。壁を貫く音速の銃弾。自分が撃たれないように頭を抱えて蹲るので精一杯になる。最後に聞こえてくるのは、悍ましい叫び声。機関銃が、それに数段遅れて止んだ。

 目を、開ける。

 そこに立っているのは、彼だけだった。

 彼は夥しい量の、血によく似た色をした機械油を全身に浴びていた、満足げに笑うことも、悲しげに顔を曇らせることも、気持ち悪さに顔をしかめることも、安心して息を吐くこともしなかった。ただ、当然のようにそこに立っているだけだった。


「……全装備解除。索敵装置起動。範囲、五キロに設定。検索開始――異常なし。周囲十キロの警戒を継続。……これでしばらくは、安心だ」

 

 彼がこちらを向く。機械油で濡れたフードが、乾いた風でめくれる。純白の髪が、太陽を反射してキラキラと輝いていた。

 彼はボクに向き直って膝をつくと、壁に突き刺さったナイフにちらりと視線を向け、宣言通りにボクに問いかける。


「そのナイフは、どこで拾ったんだろうか。そのナイフは、商人ギルドの依頼人に保険として預けていた僕のものだ。なぜ、君が持っている」

「……これは、この廃墟に来る前に拾ったんだ。持ち主は、かわをっ、はが、されて、」


 さっきは逃げるのに必死だったからか、気持ち悪くなかったあの死体も、落ち着いてしまった今、思い返してしまうと吐き気が込み上げて来た。一安心して気が緩んだのか、疲れと眠気ががドッと押し寄せてきた。

 言葉を途切らせ、フラフラしだしたボクは、目の前の彼に倒れこむ。ボクの名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけど、それはすぐに、微睡みの中に消えていった。


 ※※※


「アルティ」


 はずの少女の名を呼ぶ。

 理由は分からない、けれどこの子の名前はアルティなのだと、らしくもない不確かな認識に、思わず首を振った。

 心細く、感じているのかもしれない。

 本当にそんなことを自分が感じているかも分からない。この子と出会うまで、自分に心があることすら疑問に思っていたのだから。

 現に依頼人が、記憶喪失の自分を拾ってくれて、何年も世話をしてくれた恩人と呼べる人が死んだことを確認しても、なんの感情も動かなかった。

 なのにこの少女を見たとき、時が止まったように思えた。いや、止まってしまえばいいと、そう思っていた。ずっと、この血に濡れたような赤髪と翠玉の瞳をみつめていたいと。


 また、同じことを考えている。さっきからずっとこの調子だ。

 時など止まるはずがないのに。

 それに、ずっとみていたいなどと。


「……とにかく今は、落ち着かなければ」


 とりあえず、持っていた布を枕がわりに少女の頭の下に差し込み、野営の準備を始める。些細な音でも、少女を起こしてしまいそうで、慎重に作業を進めていく。

 火を熾したところで一呼吸置き、少女が安らかに眠っていることを確認する。

 起きたらすぐに、何か食べれるようなものを。しかし、先ほど吐きそうになっていたし、固形物はマズイだろうか。そういえば、固形型の食料の中にスープになるものもあったような。少し濃いぐらいの味付けだったので、水を多めに入れればこの子にはちょうどいいはずだ。いや、そもそもこの子の好みを知らない。もしかしたら濃い味付けの方が好きなのかもしれない。いやむしろ、起きたら回復して固形物も食べられるかもしれない。

 

 いや、いや、いや。

 落ち着くどころか、思考することが多過ぎて熱を帯びていくような気がする。誰かのことを考える、ということは、こんなにも嬉しいことだっただろうか。そもそも、これは嬉しいのか?

 ここにあの、騒がしい知人がいれば、笑いながら説明してくれただろうに。彼は今、ここにはいない。ないものを考えても無駄だ、と思考を切り捨てる。

 とりあえずは、ここで夜を明かすことにする。自分には睡眠はあまり必要ない。一週間に一時間程度寝れれば、それで十分だ。

 とりあえずは、そう。

 目覚めるまでなら、みつめることぐらいは、許されるだろう。そう考えながら、さらに取り出した布を布団がわりに少女へと掛けた。

 一定のリズムで呼吸が繰り返される。時折それに、むにゃりと寝言が加わる。

 それが、彼にとってはたまらなく―――。

 

 日が沈み始め、徐々に周りは薄暗くなっていく。

 普段なら忌避するはずの不確定要素を、居心地の良い感情それを、静かに受け入れた。

 この感情をいつか、恋と呼べる日が来ることを、今の彼は、知らない。

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