10 荷馬車
パウエルがやってきたのは、夕食を準備し始めた頃合いである。
荷物をごちゃごちゃと詰め込んだ馬車が、森の静寂を盛大に壊しながら駆けてきて、家の前の道に停まった。近づいてくる騒音で既に馬車が来るのがわかっていたので、ネルは外で待っていた。
降りてきたパウエルは老齢の男性で、頭髪は一本残らず真っ白であった。ネルを見てもさして驚かず、逆にネルが驚くほどだった。パウエルは驚く代わりに、細い褐色の目で僅かな間、じっとネルを見据えた。
ネルと一緒に出迎えに来ていたアレクが言う。
「なあパウエル、こいつを街まで送るだけだ。大した仕事じゃないだろ?」
パウエルはしばらく黙っていた。そして彼はアレクに視線を移して、こう言ったのである。
「悪いが、わしには出来んよ」
「はあ?」
信じられない、といった風にアレクが声を上げる。ネル自身も、意外な答えに耳を疑った。
「何だよ、ちょっと乗せていくだけだろ! 別に騒いだりしねえよ、もう十一歳だぞ!」
それは前に私が言った事だと口を挟みたかったが、アレクは真剣そのものだったので黙っていた。
「もし見つかったらどうする気だ?」
パウエルの口調は落ち着いているが、堅牢な城壁のように揺るがない空気があった。
「わしは、ここへ来る時も帰る時も、番兵のわんさといる街を通らないといけない。馬車だって、そもそもわしのものじゃない。街のものだ。毎回、中に何があるかを確認される。わしは操縦するだけだ。面倒は、起こさない方が良いんじゃないか。わしも、お前らにとっても」
「それなら、街の外でおろせば良いんだよ! 森のそばとか……」
必死で食い下がるアレク。しかしパウエルはゆっくり首を横に振るばかりであった。
「わしの仕事にはな、『決まり』があるんだよ。決して手を抜いちゃいけない、破っちゃいけない決まりが。お前らの仕事と同じようにな」
それに、とパウエルは続けたが、どことなく言いづらい様子で、ちらりとネルを見た。
「……『病気』が何を原因に広がるか、わからないだろう。それも含めた『決まり』なんだとわかってくれないか、穴埋め人や」
『病気』とは、穴が開いていく奇妙な現象の事。原因のわからないそれが街に広まらないために、森が障壁となり、その向こうでは巨人が穴を埋める。
仕方が無いんだと、ネルは認めた。
パウエル自身がそう言わざるを得ない立場である事と、もし自分も彼のその立場だったら言うであろうと予想出来たのだ。
ただ、その理屈はわかっていても、病気を媒介するおぞましいモノのように扱われて、ネルは確かに傷ついていた。自分がまるで人では無い何かになりつつあるような気がした。
淡々とパウエルが言った言葉は、もう何の反論も許さず、アレクはいらつきながらも引き下がるしかなかった。
話が終わって、荷下ろしに取り掛かった。時間は大してかからなかった。食糧がほとんどなので、もともと荷物の量がそこまで多くないのも原因であるが、皆が黙々と作業するためにはかどるという理由も大きかった。
おおかたの作業が済んで、最後にパウエルは一つの木箱を下ろした。ネル一人でもどうにか持ち上げられそうな大きさの箱。ネルはその箱に違和感を覚えた。
「これだけ、他のと違うね」
気まずい空気をつい忘れたネルが呟くと、パウエルがそれに答えた。彼にはもう先ほどの冷淡さは面影もない。普通の老人と同じような、穏やかな雰囲気だった。
「ああ、それはルードのものだ」
「ルードの?」
「……お嬢ちゃん、ルードがここに居る理由を知らんのか?」
ネルはどきりとした。パウエルの口からそのような話が出るとは思っていなかったのである。
「パウエルさんは知ってるの? 知っているなら教えて!」
「ああ、しまったな。知らないのなら言わなければ良かったか……。知らなくても生きていける事はな、なるべく知らない方がいい」
「良いわ」
間を置かずにネルは答える。
「だって私、ルードの事好きだよ。どうしてここにいるのかも知りたい」
「知れば嫌いになってしまうかもしれないぞ」
「今だって本当の事は知らないけれど、何か罪を犯したんだって事はわかっているんだから、同じ事だわ」
パウエルは何か考えるようにうつむいた後、こう言った。
「ルードは、人を殺したんだよ」
「おい、パウエル」
話を聞きつけたアレクが割って入る。しかしパウエルはやんわりと言った。
「わしが話さなくてもな、この子は結局誰かに聞くだろうよ」
アレクはまだ何か言いたそうだったが、何も言えずにしかめ面をして口を閉じた。俺は知らないぞというような態度で二人からそっぽを向いてしまう。
「でも、ルードは凄く優しいよ。何でそんな事……」
「確かにそうだろうな。……ルードが殺したのは、泥棒なんだ」
泥棒。罪人。
ネルははっとした。
「ルードが教父だって事は知っているだろう、あいつは小さな村に礼拝堂を持っていたんだ。そこに泥棒が入った。確か二人組だったはずだ。それで運の悪い事に、泥棒は礼拝堂に来ていた子どもと鉢合わせしたらしい。気が動転した泥棒が子どもを殺そうとした。そこをルードが止めて、その末に泥棒の方を殺してしまったんだ。両方ともな……。まあ、その先はこの通りだ。聖職者だったという事も、大きかったようじゃな」
森から言葉が消えた。誰も喋らない。
パウエルは目を細めて空を見上げている。アレクは知らんぷりを決め込んでいる。ネルもまた、何を言えば良いか解らなかった。
優しいルード、何かと手を貸してくれる、厳しいけれど暖かな人。
しかし、自分の頭の上に置かれるその手は、人の命を直接に奪い取ったもの。
ネルは、今日ルードから聞いた、罪と灰の話を思い出した。あの時、話しながらルードが何を思っていたのか、ほんの僅かだけわかったような気がした。
「……だからな。これはルードに渡すもんだ。お前、勝手に漁るなよ」
アレクが沈黙を破ってそう言った。
「え?」
「だから、俺達が使っちゃいけねえんだよ」
「そう、それはルード宛てなんだよ」
言いながらパウエルは馬車に乗り込んだ。帰り支度は済んでいるようだった。
「ルードの礼拝堂があった村の人間だ。畑のものやら何やらを送ってくれとな、こっそり頼みに頼み込んでくるんで、仕方なくさ。見つかったら村ごとどうなるかわからないのにな。だから、この事は絶対に口外するんじゃないぞ」
「うん……」
「……どっちなんだか、わしにはわからん。それほど人望厚かったのか、それとも哀れんでいるのか……。じゃあな。運んでやれなかったのは、悪いと思っている」
そうしてパウエルは鞭をふるった。少し軽くなった荷馬車は森の道を走り出す。次の穴埋め人の家へと向かうのだ。がらがらと車輪の回る音が遠ざかる。
「……泥棒ってのがさ。近くの村に住んでる奴だったらしいぜ。金がなくてどうしても、ってな。何で正面から堂々と借りに行かねえんだよ。ルードが貸してくれねえ訳無いだろうがよ。俺は死んだら一発殴りに行こうと思うぜ。……おい、何ぼけっとしてんだ、お前も家まで運べ。俺に全部運ばせるつもりか!」
アレクにせかされてネルはルード宛ての木箱を持ち上げた。木箱は野菜と土の匂いがして、重かった。
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