7

 飛空艇の旅も後半に差し掛かると、転送システムも使えず、巨大でヤバそうな生物がウヨウヨいる未開の島も散見できるようになってきた。

 ナナキとグランは、朝食をとりに食堂に来ていた。ナナキはレイネ誘拐事件後の風邪もすっかり治り、今は何事もなかったかのようにピンピンしている。

「このグレーのシチュー、いやカレーか?何入ってんの?すげー臭いんだけど。」

 ナナキは、キツイ香辛料と腐った何かが混じったような臭いと、黄味がかった灰色のドロっとした食べ物(?)を前に表情を引きつらせた。ドロドロの中には崩れかかった固形物がゴロゴロ入っている。

「魚の保存用発酵食品だ。」

 グランが冷静に答える。

「嘘だろ?どう見ても金曜の夜の繁華街に落ちてるアレだろ。それか何かの映画で見た人間の脳味噌が丸ごと入ったシチュー。」

 ナナキは具体的に文句を言う。

「食う前に言うな!」

「会社は何でこんなの用意したんだ。他ので良いのに……。まぁ、これが食い物だってんなら一応食うけど。」

「………。」

 グランは黙って自分のとナナキのグレーシチューとのニオイをフンフンと嗅ぎ比べた。

「なんだよ、やっぱ脳味噌入ってたか?」

「………。」

 グランは黙ってナナキと自分の皿を取り替えた。

「……マジで?違うよね?」

「うるせぇ。」

 グランは皿を持ち上げてスプーンで口に流し込むようにグレーカレーを掻き込む。

「うっわ、よく食えんな〜。鼻が良すぎて麻痺してんのか?あとその食い方、お前絶対カレーと杏仁豆腐は飲み物だと思ってるタイプだろ。」

 七旗丈助はほとんど同じものばかり食べてるグルメとは程遠い人間だったが、この時ばかりは記憶の中にしかない料理たちが恋しくなった。

「ビーッビーッ」

 ナナキが罰ゲーム料理を無理して食べていると、突然、艇内に警告音が鳴った。

 ナナキはこれ幸いと、隣で黙っているグランを連れて急いでブリッジに向かう。

「グラン、やっぱ腹下したんじゃないか?トイレ行ったらどうだ?」

「…………。」

 グランは黙ってナナキについてブリッジへ向かった。

「テレちゃん、どした?」

 ナナキはブリッジの中央に向かって歩きながら、飛空艇のAI・テレトルツーに話しかけた。

「進路上ニ、“ジャイアントスバッダー”ノ ワイヤーヲ検知シマシタ。」

「ジャイヤンのスパッツ??」

 ナナキの頭にクエスチョンマークがピョンピョンと跳ねる。

「ジャイアントスバッダーは、島と島の間に巨大な網を張るトラッパータイプの巨大な節足動物です。」

 警告音を聞きつけて先にクーと一緒にブリッジに来ていたマァヤが、ナナキの隣で教えてくれる。

「腹部の先端から分泌液を吐き出して獲物を捕らえるための罠を張るんです。分泌液は、吐き出された瞬間は粘度が非常に高い透明な液体なのですが、すぐに乾いて強靭なワイヤーになるんです。ワイヤーは光を反射しないのでほとんど視認できず、空を飛ぶ生物がワイヤーに引っ掛かったり、ぶつかったりして動きが鈍ったところにジャイアントスバッダーが素早くやってきて獲物を捕らえるんです。飛空艇も引っ掛かると傷や部品の故障に繋がるので危険なんです。因みに、ガラス製品はこのワイヤーの性質を応用して作られてるそうですよ。」

 マァヤが詳しく説明してくれた。まるで歩く辞書だ。

「どうにかして通れないかな。マァヤは炎出す魔法とか使えないの?」

「そーゆう魔法はないですぅ…。魔法でできるのは、人体の潜在能力を引き出して一時的に身体能力をあげたり、免疫機能を高めると同時に自律神経を整えて怪我の治りを早くしたり、あとは逆に脳機能を低下させて対象の動きを鈍らせたり、眠らせたり……。」

「なるほど、バフ・デバフ系か。」

 なんか思ってたような攻撃系魔法はないようだ。

「特定の波長を当てる事でワイヤーは液体に戻せるはずです。ガラスを変形させるのも波長を使った技術が使われています。」

 クーもマァヤに劣らぬ博識っぷりを披露する。

 この二人は、今では特別仲を深めていた。高い知識レベルやお互いの気持ちを察知する能力など、性格的な相性がピッタリだったというのもある。しかし、ここまで仲良くなったのは、サダさん横暴事件の後にみんなが集まった艦長室でのことがキッカケだろう。

 あの時、クーはサダさんの暴言に深く傷ついていた。気を利かせたレイネはナナキが男風呂でしてた創り話をクーにもするようさり気なく誘導し、困ったナナキは頭がボーッとしてることを理由に『恨み神』話にグランを巻き込んだ。ダメな男二人の馬鹿なやり取りにクーも若干笑顔を取り戻し、それからグランが逃げてレイネがいなくなった後も、クーとマァヤは艦長室に居座り続けた。マァヤは最初から最後まで真剣にクーと向き合って気持ちの整理を助け、ナナキはその横で寝たり起きたりしながら、二人して深刻な空気をかもしそうになった時にナナキなりのアバウトな助言を添えた。

 そうやってカウンセリングっぽく始まった二人の対話は、夜も更けナナキの熱がだいぶ下がった頃にはお互いのプライベートトークに発展し、最後は二人して談笑しながら艦長室を後にした。

 それからというもの、二人は互いの部屋に寝泊まりしたり、クーはマァヤと仲良くなったことで、レイネは元よりサンとも話すようになってきたようだ。また、ナナキもクーの要望で“さん付け”で呼ぶのをやめた。

 ナナキがそんな二人の話を感心しながら聞いていると、後ろから突然「グェッ、」と低い音が聞こえた。

 ナナキは嫌な予感がして、すぐに後ろを振り返った。

 ブリッジの入り口から少し離れたところで、グランがしゃがんで床に手をついてうつむき、涎をダラダラと垂らしていた。その状態で時折腹を痙攣させたり、口を開けたまま喉を膨らませたりしている。グランの呼吸は早く荒く、焦点の合わない目が小刻みに震え、耳はピンと立って音のする方向へ注意を向けているようだ。

 ナナキが走ってグランに近づこうとすると、グランの目と耳がナナキの方へクッと向き、段々とその表情が険しくなり、耳が座って牙を出して警戒音を出し始めた。

「マァヤとクーはここにいて。」

 ナナキはグランを刺激しないようにゆっくり動き、若干外回りにグランに近づく。

「さっきの音は何だ!!」

 クソタイミングで、警告音を聴いたサダさんがドカドカとブリッジに怒鳴り込んで来た。その後ろにはサンとショーゴもいる。

 その声に反応したグランの顔がグイッとサダさんに向けられる。

 グランの目が入り口にいる人間にロックオンされ、鋭い怒りの表情と唸り声とともに、噛み締めた牙をギリリと剥き出す。そして四つ足で耳と姿勢を低くしたまま、ゆっくりとターゲットとの距離を詰める。

 それを見たサダさんはギョッとし、血の気を失って後退した。

「な、なにするっすか!?」

 サダさんは、すぐ後ろにいたサンの腕を掴むと、自分の前にグイッと押し出した。

 ナナキは足速に前進しながら素早く上着を脱ぐと、それを右腕にキツく巻く。

 グランはサンとサダさんの目前まで来ると、体勢を更に沈め、大きく唸って口を開いた。

「グラン、すまん!」

 ナナキはグランの目と鼻の間を左手で掴むと、一気に右腕をグランの口の中へ突っ込んだ。後ろではサダさんが「ヒィッ」と情けない悲鳴を上げ、腰を抜かして尻をしこたま強打した。

「ジョー艦長!!」

 マァヤが叫ぶ。

 グランはナナキの腕に巻いた服の上から容赦なく牙を食い込ませ、そのまま強く振り回そうとする。

 ナナキはグランの後頭部に左腕を回してヘッドロックし、その手で下顎を掴むと、そのままグランの頭の付け根に全体重をかけ、グランの顔が水平になるよう姿勢を低くさせる。

「ジョー艦長!いまグランさんにデバフをかけます!腕を離してください!そのままだとお二人にかかってしまいます!」

 マァヤがグランに向かってステッキを構える。

「ダメだ!グランが保たなくなる!テレトルツー!ゴーレムを何人かここに!」

 ナナキは叫びながら、噛まれて流血している右腕を更に力任せにグランの喉奥に捻じ込み、指先で内側から喉を押す。

 グランは嫌がって立ち上がろうとしたり、ナナキの左腕に爪を立てたが、その分強く喉を押さえられてうまく力が入らない。

 グランはナナキの腕を吐き出そうと首を捻りながら口の力を緩めたが、ナナキはガッチリ頭をロックし、更に喉の奥へ指を押し込んだ。

 ついにグランの吐き気はピークに達し、腹から胸、喉へと大きく体表を波立たせ、ナナキの指先に熱い息がかかった。

 ナナキはその瞬間、素早く口から腕を引き抜き、グランの呼吸に合わせて彼の肩甲骨の間を強く手の平部分で前方に向かって叩いた。グランは両腕をついて背中を丸めて前傾姿勢になり、思いっきり腹の中の物を吐き出した。

「グラン、俺がわかるか?」

「…………。」

 グランはその後も吐き続けたが、凶暴性は明らかに失せて大人しくなった。

「マァヤ、グランに回復魔法を。グラン、歩けそうか?」

 グランはまだ吐き気があるもののグッタリし、動けなくなっている。

 マァヤは言われた通りグランに回復魔法をかけた。

「ゴーレム1号2号、グランを医務室へ運んで。ゴーレム3号は吐瀉物の回収と解析をお願い。」

 マァヤはナナキの傷を気にしながらも、「グランの方が危険だから」というナナキの言葉に従って、グランに付き添って医務室へ向かった。クーはこっそりサンを引いて安全な所に避難し、恐怖から解放されて泣き出したサンを安心させるよう優しく声をかけている。警告音と騒ぎを聞きつけてブリッジ入り口で様子を見ていたレイネは、テレトルツーと他のゴーレムに更に指示を出すナナキのところにやって来て、腕を止血してくれた。その間、ゴーレム3号は吐瀉物を回収し、詳細な分析のため医務室に向かう。サダさんとショーゴの姿だけは、いつの間にかどこかへ消えていた。多分、痛めた尻に湿布でも貼りに行ったのだろう。

 その後ナナキは全員に自室で待機してもらうよう指示をした。それが済むと、すぐにナナキはグランとマァヤのいる医務室へ向かった。

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