第三章

1

 飛空艇の旅にも慣れてきたとある夜。ナナキはなんとなく眠れず目を覚まし、上着を羽織って部屋を出た。外は少し肌寒く、口から吐く息が一瞬薄く白くなった。

 いま、飛空艇は人気のない高原の続く小さな島群の一角に停泊している。飛空艇の周りには、龍のように長い水の帯が宙空を漂いながら流れている。水の帯を透かして、揺らめく星空と上空の小さい島の底が黒く見え、水中には拡散した鉱石の粒子が星々の光を反射させキラキラと輝いている。

 マァヤの説明によると、島の底から染み出した地下水に、島を浮かせる魔法磁力を含んだ鉱石の粒が混じり、それが気流の流れに乗ることで空に川ができるそうだ。

 ナナキはその美しく神秘的な光景に心奪われた。七旗丈助だった頃、よく暇つぶしのため近所の水族館に行っていたのを思い出した。ナナキのお気に入りの場所はクラゲコーナーのベンチと、マンタのいる水槽トンネルだった。

 ナナキは眺めのいい場所を探してブリッジの屋上に登ると、そのままその場に寝転がって美しい景色を堪能することにした。

 ちなみに、グランは「身体が鈍ったから運動してくる」と言って一人でどこかに出掛けている。今頃は広い平原を走り回っているのだろう。

 ナナキがボーっと空を眺めていると、ブリッジの後方から誰かの足音が聞こえた。立つのが面倒なので、うつ伏せになってホフク前進し、音がした方を覗き込む。すると、ブリッジサイドの端に人影が見えた。身長とシルエットからして女性でも犬でもない。

 ……サダさんなら見なかったことにしよう。そう思ってよく見てみると、その人影は落ち着いた物腰で壁に寄りかかると、ただ静かに空を眺めた。

 ……あのさり気なくゆったりした佇まい……。ショーゴだ。

 そういえば、ずっと同じ飛空艇内にいるのに、ショーゴとはほぼ直接話したことがない。いつもサダさんの側にいて、食堂なんかで隙を突いて話し掛けても、すぐにサダさんが飛んできてブロッキングしてきたからだ。サダさんはバレーボールやバスケ、サッカーのキーパーでもしたら、すぐにでも最強のブロッカーになれることだろう。

 しかし今回はその最強ブロッカーの姿が見えない。千載一遇というやつだ。ナナキはショーゴに話しかけることにした。

「ショーゴも、眠れないのか?」

 ショーゴはそのまま動かず横目でブリッジ上のナナキを見上げ、すぐ顔を戻す。

「………。」

 ショーゴは無言のまま、自分の腰に下げた筒のようなものを取り出し、その縁を口元に持ってく。何か温かい飲み物のようで、ショーゴがそれを一口飲んで軽く息つくと、彼の口から白い息がタバコの煙のように静かに吐き出された。

 ナナキはブリッジサイドに飛び降り、ショーゴに近づいて更に質問してみる。

「それ、何入ってんだ?」

 ……やはり、ショーゴは黙ったままだ。ナナキも何気なく黙って壁に寄りかかり、そのまま何も言わずショーゴの答えをじっと待つ。

 それに耐えかねたのか、ショーゴはチラッと視線だけナナキを見て、黙って一息つく。

「……酒だ。」

「ティリィか?」

 間髪入れず、ナナキは知ってる酒の名前を言う。

「違う。」

「じゃぁエイクスか?」

 ナナキは自分でも不思議なことに、知らないはずの単語がパッと出た。結局わからなかった自宅のゴーレムの名前でもある。その名前に、ショーゴは一瞬ピクッと眉をひそめる。そして視線を戻すと、また軽く酒をあおる。これ以上酒については答えてくれそうにない。

「なぁ、サダさんと上手くやってくコツって何だ?」

 ナナキは質問を変えてみる。サダさんはショーゴにまったく怒らない。ショーゴは何かサダさんとうまくやってくコツを知っているのかもしれない、とナナキは密かに思っていた。

「………。」

「もしかして……付き合ってんのか?」

 ショーゴはほんの一瞬深く眉間にシワを寄せ、今度は少し睨むようにナナキを見る。

「あ、すまん。そーゆうつもりで言ったんじゃないんだ。本当に。好みは人それぞれだしな?」

「……ただ従ってるだけだ。」

「SM的な?」

 ショーゴは壁に寄りかかるのをやめ、その場を立ち去ろうとする。

「冗談、ジョーダン!部下ってことだろ?スマンて!お詫びに今度酒奢るからさ!この旅の間だとサダさん怒るから、旅が終わったら!絶対!プロミス!」

 ナナキにとってジョーダンの金は他人の金だ。いくら使っても気にならない。

 ショーゴは急にナナキの方へ振り返る。その顔は普段無表情なショーゴにしては珍しく険しい。

「ジョーダル、お前…」

 ショーゴが何か言おうとした時、一瞬彼の視線がナナキの後ろにいく。

「………。」

 ショーゴは途中で言うのをやめると、そのままブリッジ後方へと去って行ってしまった。ショーゴはナナキのジョークがお気に召さなかったようだ。


 ショーゴを軽く目で見送り、ナナキが背後を見ると、そこにちょうどクーが一人でやって来た。

「あ、ジョー艦長。艦長もこの景色を見に?」

「ん?まぁね。」

 ナナキは先程のショーゴの様子が気になり、適当に返事をする。

「…何か心配事でしょうか。」

 そう言うと、クーはナナキの側にやってきてナナキを見上げる。

「や、そんなことはないよ。ただ、人と上手くやってくのって大変だなって思って。」

「……ジョー艦長でも、そのようなことに悩むのですか?」

「そりゃぁね。ここじゃ俺は完璧アウェーだから。」

 アウェーどころか、サッカーの試合に紛れ込んだ野良犬の方が例えとして近い。

「そうでしょうか。少なくとも、マァヤさんやレイネさんはジョー艦長を慕ってるように見えます。それに、それを言ったら私の方が……。」

「……?」

 ナナキは黙ってクーの次の言葉を待つ。

「……私、人に心を開くのが苦手で…。今まで友だちとか、そういうの、できたことがないですし…。」

「一人が好きとかじゃなくて?」

「確かに一人でいる方が好きです。周りに人がいると、自分は邪魔なんじゃないかとか、迷惑なんじゃないかって、そればかり気になって。自分がいるだけでその場の空気が気まずくなるような気もしますし……。それで、自分なりに頑張ってみても、結局はすぐ疲れて自分から離れてしまうんです。」

 そう言いながら、クーはうつむいて目を伏せた。

「あぁ~わかる。俺の場合、他人の意見に流されて、自分の存在意義がなくなって、結局人と関わらない生活に落ち着くって言うか。」

「え…?ジョーダルさんは、マナラインの開発に携わる程のすごい技術力があって、誰もが認めるスーパープログラマーじゃないですか。」

「うーん……。」

 ジョーダンはそんなに凄いプログラマーだったのに、俺というエラーだらけのデコイを作って自分はどっかに消えちまった。きっと、会社のために身を削って、グチャグチャになって、炎上して、最終的にチクワになっちまったんだ。そして、その空いた穴に美味しいチーズでも入れときゃ良かったのに、本来意図しないモノを入れるハメになっちまった。

「俺だって流石にチクワは無理だって…。」

「え?何が無理なんです?」

「いや、どんなに頑張っても、自分が誰かの望むように変わるのは無理だなって。」

「そうですね……。わかってはいるんですが、自分でいるのが怖くって……。」

「ほんと。見た目が変わっても、世界が変わっても、結局俺は俺だもんなぁ。参っちゃうよ。」

「………。私、なんだか意外です。ジョーダルさんって、もっと気難しくて、遠い人なんだって、勝手に思ってました。けど、話してみたら、その、なんて言うか…。」

「一本芯が抜けてた?」

「いえ、そうじゃなくて、ちょっと失礼かもしれませんが、安心できると言いますか…。」

「俺も、クーさんと話してるこの時間は、なんだか素に戻れてる気がする。本当は艦長がこんなヘナチョコじゃダメなんだけどな。」

「そ、そんなことないです!むしろ私は、今の艦長さんがいいなって……思います…。」

 クーはそう言いながらナナキの顔から目をそらし、頬を少し赤らめて語尾はだんだん小さくなっていった。それを見てナナキもなんとなく目を逸らして空を見る。すると、そこにはやはり変わらず壮麗な美しい景色と、水の流れる安らかな音がたゆたっている。

「それにしても、綺麗な景色だねぇ……。」

「そうですね……。」

 クーはもう一度空を眺めているナナキを見て、それから、空の美しい景色に目をやった。

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