7
病院の屋上にある駐車場に着くと、リズはどっかに行っていた車を呼び戻した。
「リズって独身なの?」
ナナキはふと素朴な疑問を訊いてみる。
「ちょ…あんたも独身でしょ!…ジョーダルはって意味ね!ナナキは結婚してるの?」
「俺一生独身だけど。」
「結婚する気ないの?」
「リズと?」
「何言ってんのっ!そうじゃなくて!」
リズは顔を赤くして慌てている。こういう話に弱いらしい。
「俺はもう戻れるかわかんないし、ジョーダンの一人格なら勝手に未来選ぶのも悪いし。今は人生お預かり状態だから何ともなぁ。これが逆なら楽だったんだけど。」
「どういうこと?」
「七旗丈助の体にジョーダンが入って、俺は精神と時の部屋でジョーダンが勝手に人生やってんの眺める。」
「君ねぇ。自分の人生を他人に奪われていいの?」
「うん、いいよ。俺にとって人生は暇潰しだから、大して変わんない。あと俺、ゲーム実況とか映画見るの好きだから、見てるだけで充分。まぁ苦難ばっかの
「君……悟りでも開いてんの?」
「悟りかぁ。こうなる前に開けてたら良かったのになぁ。…で、彼氏はいないの?」
「……私は、仕事が彼氏だから。」
「……リズもなかなか悟ってんね。」
「冗談だっつの!」
「冗談は言わないんじゃなかった?」
「なんで人の名前は覚えないのに、そんなことは覚えてんの!もう、変な奴!」
リズは車に乗ってバタンと…閉めるドアだったら閉めてただろう。
「俺、家帰っても何が何だかわかんないと思う。」
隣に座りながら、ナナキはリズに言う。
「あっ!ナナキは自分家のヘルパーの名前わかんないのか!」
「ヘルパー?」
「ゴーレムのこと。機械と魔法で動くお手伝いさん。」
「ゴーレム……ああ、飛空艇にもいっぱいいるって資料に書いてあったな。ジョーダン家にもいるんだ。」
「一家に最低一ヘルパーは基本かな。名前を呼んで要件を言えば指示通り動いてくれるんだけど…。」
「んじゃやっぱ俺には人間の助っ人が…」
「とにかく、まずは家行こ!話はそれから!」
「ふぁ~いっ。」
何も変わらない人生も楽だけど、こーゆうのもたまにはいいかもな、と思うナナキであった。
ジョーダンとリズは、同じ会社の寮に住んでいるのだとか。
「すっげーっ!こんなとこ住んでんの!?リッチだなー!」
「社員特典ってやつね。」
ナナキたちが到着したのは、真っ白でシンプルな流線形の屋根が特徴的な建物だ。高さはそんなにないが、規模はかなりある。この世界では、この真っ白な建材が主流なのかもしれない。一つ気になるのが、どこにも窓が見当たらないことだ。
二人は車を降り、建物の中に入る。
「そうだ、端末に聞けば部屋まで案内してくれるから、試してみたら?」
リズは自分の腕に巻いた真っ黒なリングを示す。最初に会った時はスマホのような形状の端末をいじっていた気がするが、端末にもいろんな形状があるようだ。
「ヘイSiriってこと?」
「尻?君、チョコバーとか尻とか、変な名前つけるの好きだねー。」
「そこはアップルの趣味だから。で、どうやって聞けばいい?」
「端末につけてる固有の名前で呼ぶと応答モードになるんだけど、確かジョーダルは”ティリィ“って名前にしてたと思う。」
「やっぱ尻じゃん!」
「ティリィ!ジョーダルが好きなお酒の名前!」
「酒?シャレてやがんなぁ~。俺なら黒マ…テリアにするかな。『ヘイ、ティリィ』!」
ナナキはヤケクソにチョコバーに話しかけた。
「オヨビデショウカ?」
チョコバーから音声が答える。
「ウチまで案内して!」
ナナキはSiriに話しかけるように発声する。
「ワカリマシタ。コチラデス。」
そう言うと、チョコバーから細いキシ麺状の紐がナナキの胸元程の高さま伸び、麺の先端がテニスボール大に丸く変形する。そこに楕円の耳と羽と足が生えて、なんかのキャラクターっぽい形状になった。
「マズハ、5メートルサキ、サセツ」
黒いボディには楕円の光る目が点滅していて、同じ位置を保ちながら進行方向を向いてフヨフヨ上下している。
「変形した!もう全部コレでいいじゃん!」
「あ、確かに。この子がいればヘルパー使えなくてもそこまで困んないね。気付いて良かった!」
「困る!コイツがいると俺が困る!」
「何言ってんの!ほら、早く部屋行くよ!」
便利は時に楽しみを奪う…。便利にガッカリしたのは人生初のナナキであった。
ジョーダンの部屋は限りなく物が少なく質素だった。部屋割りは、1LDKといったところか。部屋はあまりカクカクした感じがなく、建材の継ぎ目がよくわからない。窓もやたらでかいし、ガラスの透明度が高いうえ反射がないので、外との境界が何もないように見える。ちなみに、外から中は見えないらしい。それが建物に窓が見当たらなかった理由のようだ。
しかし、ナナキを一番驚かせたのは、天井に空が見える事だ。リアルタイム映像らしい。プラネタリウムみたいで、天井と窓が空で繋がってるように見える。開放感がすごい。すごすぎてなんか落ち着かない。
基本的に部屋に物が少ないのは、転送システムが一家に一台は常設されてるからだそうだ。欲しいものがすぐ手に入り、いらないものは逆に送ってしまう。一度購入して転送したものは、すぐ手元に戻せるらしい。それにはちょっとした手数料を払うが、転送し放題の定額プランに入ってるからそんなに気にしなくても大丈夫なんだとか。いわゆる通信料ならぬ転送料ってやつだ。物の出し入れ自由とは、なんだか四次元ポケットみたいだ。引っ越しも楽そうで羨ましい。
とは言え、リズは結構家に物を置いとく方らしい。転送システムは転送するのに分解という行程を挟むので、一度でも転送すると思い入れのある物が違うものになってしまう気がして嫌なんだとか。なんとなく気持ちはわかる。その点、ジョーダンという奴は物に執着しないタイプのようだ。
部屋の奥には、薄くする前のピザ生地みたいなでっかいベッドがあった。ベッドは快適な温度に自動調整され、モチモチの生地で包んだウォーターベッドのようだ。…実際のウォーターベッドに触ったことはないが、想像するにそんな気がする。そのうえ滑らかなテクスチャで最高の揉み心地だ。巨人の巨乳とかこんな感じかもしれない。似たような揉み心地の商品なら前の会社ではよく扱っていた。
ナナキはパイ生地ベッドにダイブすると同時に、眠りの世界に墜落した。一日中慣れないことをしたので、最高に疲れていたのだ。
リズはナナキが寝落ちして全く起きる気配がないのを確認すると、シワがつくと面倒になる上着を丁寧に脱がせた。そして窒息したり首を痛めないよう仰向けに転がし、泡のように軽い布団をかける。リズはそうやってナナキの最低限の身の回りの整頓だけすると、少しの間眠っているナナキの顔を眺め、軽く一息つくと、いったん自分の部屋に帰っていった。
翌朝、ナナキはベッドから出ると、ボーッと寝ぼけながらトイレに行った。行く途中、洗面所に寄って歯磨きボールを口に放り込む。歯磨きボールは、モグモグしてくと次第に溶けて液体になるタイプの歯磨きだ。
トイレで排泄物を流すついでに、歯磨きボールも吐き出して一緒に流す。
アクビをしつつチョコバーに向かって低い別人のような声で「エイクス、メシ。」と注文する。すると、ヘルパーゴーレムが動いて何やら調理を始めた。
一息ついてリビングのソファにもたれて座り、そのままボーッと空を眺める。
少しの後、チョコバーが「バウ~ン!」と鳴いた。
「ティリィ、応答。」
すると、チョコバーが丸キャラのティリィに変形し、用件を伝える。
「リズガ イラッシャイマシタ。ドアヲ アケマスカ?」
「え。リズ?開けて!」
途端に目が覚めたナナキは、玄関までフラフラと駆け寄る。
「おはよー。」
玄関には普段着のリズが立っていた。スーツっぽい服と違って、カジュアルかつ少し気の抜けた感じの服装が新鮮で、なんというか、めちゃくちゃいい。
「あ、えっと……昨日はゴメン!」
ナナキはリズに向かって手を合わせる。
「ううん、大丈夫だよ。ナナキ昨日大変だったもんね。ぐっすり眠れた?」
「ああ、まぁ、おかげさまで、いま起きたとこ。どうぞどうぞ、他人(ひと)ん家ですが。」
ナナキは壁に寄ってリズを部屋に通した。
「お邪魔しまーす。…あ、この匂い、ご飯作れたんだ。ゴーレムの名前わかったの?」
「え?…そういえば。そもそも俺いつ起きたんだっけ⁇寝ぼけててぜんぜん覚えてねーや。」
ナナキはやたらと朝に弱く、寝起きはいつも意識をしっかりさせるのに苦労するタイプだ。そのせいで、今朝は無意識が強く全面に出たのかもしれない。字や言葉がわかったり普通に歩いたりといった、この身体の持ち主が普段無意識や本能的にしていたようなことは、何となくこの世界に順応できてる感がある。カレンダーがわからないのは、七旗丈助の知ってるルールと違ったから、知識と無意識が結びついてないのかもしれない。ただの憶測に過ぎないが…。
とにかく、肉体も脳もこの世界で産まれた純正品なのは間違いない。全身に染み込んだジョーダンの記憶は、ナナキの思考とは別に機能してる……気がする。今朝のことは覚えてないので確認のしようがないが…。
「へー。じゃぁ、お勉強しなくて大丈夫そう?」
リズが少しイジワルに笑ってナナキに言う。
「いや!仕事は無意識じゃできないと思うから、お願いします、リズ先生!」
「そう?んじゃ、一般常識から始めましょうか、ナナキくん!でもその前に…お風呂入って、着替えた方がいいんじゃない?その服昨日のまんまだし。」
「そうだった!服どこだろ?あ、ゴーレム名前なんだっけー??」
…ここからまた、すったもんだがあったのは言うまでもない。
慣れないすべてに四苦八苦しながらも、少しずつ、ナナキはこの異世界のことを学んでいった。七旗丈助は、今まで楽な方向へ流れるようにして生きてきたので、こんなに苦労したのは何気に初めてかもしれない。
ナナキは頑張ることや評価される事、競ったり実績を上げることにほとんど意義を感じない。それよりは、隠れてやったことが誰かの役に立ったり驚かれるのを、こっそり見るのが好きだったりする。なので、社会が人に求める価値にはいつも嫌気がさす。
人がやりたくないことや簡単に出来ないことに報酬がついて仕事になるってのはわかるけど、人生でやりたくないことをしてる時間の方が多いのって、おかしいよなぁ。という、学生の頃からの疑問を久々に思い出したりもした。
まったく、他人の人生なんて背負うもんじゃない。
闘争本能より逃走本能が圧倒的に強いナナキとしては、精神疾患の証明書なりをさっさと会社に提出し、社会からドロップアウトないしどこかへ失踪したいと本心では思っていた。
それでもナナキを不毛な現実世界に踏み留まらせたのは、リズの存在だ。
ジョーダンはリズの友人だ。彼が戻ってくるまでは、なんとか現状を維持しておきたい。
それだけがナナキの頑張る理由であり、また、彼女が荷物の一部を肩代わりしてくれるからこそ、弱っちいナナキが潰れずに人の形を保っていられた。
そうやってリズに支えられて、ナナキはどうにか島渡しプロジェクト始動の日まで漕ぎ着くことができた。
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