5

 面接室を後にしたナナキは、急いで最初にスポーンしたオフィスに戻った。

 そこにはキャリアの姉御がいた。

「あ、ジョーダル、面接はどうだった?」

 キャリアの姉御が、ナナキに向かって手を上げる。

「ジョーダン?」

 ナナキが聞き返す。

「ジョーダルってちゃんと言ったでしょ!自分の名前を聞き間違えないでよ!」

「ジョーダン?俺の名前が?」

「私は君と違って冗談は言わないっ。」

 ジョーダル……それがこの身体の名か……。突然アッサリ判明したもんだ。

「そうだ、さっきチョコバーに連絡くれました?」

「チョコバー?」

 ナナキは携帯端末を見せる。

「これ。」

「ああ、君があんまり抜けてるから。今日は特にどうかしてたし。」

 やはり、ナイスアドバイスをくれた神、いや女神は彼女だった。

「そうなんです。本当に困ってるんです。この“ジョーダン”ってのがどんな奴かわからなくて。」

 ナナキは正直に言う。失うものは何もない。というか、何もかも失った直後だ。

「はぁ?何言ってんの?」

 キャリアの姉御は、いぶかしげにナナキを見る。

「とにかく、ありのまま起こった事を話すので、病気だと思って聞いてください。俺は、ジョーダンって奴じゃあない。俺は今、七旗丈助って人格なんです。高度な解離性同一性障害かもしれない。俗に言う多重人格ってやつ。面接の前に、突然こうなって。」

「ちょっとタンマ。何の話?新しいジャンルの冗談?」

「ジョーダンはコイツの名前でしょ。」

 ナナキは自分の顔を指差す。

「言ってない!ジョーダル!」

「違うって!七旗丈助だって!」

 ナナキはこの意味不明なやりとりが若干楽しくなっていた。

「君ねぇ、ふざけるのもいい加減にする!」

 キャリアの姉御も、流石にキレたようだ。

「今のはちょっとふざけてました。すみません。けど、解離性同一性障害は本当なんです。俺はこのジョーダンって奴の過去も人物像も人間関係も何も知らない。この建物の出口も、これから帰る家も、帰る方法すらわかんない。“ジョーダン”ってのが名前か苗字かもわかんない。ワカンナイチンゲールごめん今のはナシ。」

「君、本気で信じてほしいならふざけるのはやめて。」

「すいません、真面目なの耐えられない性分で。」

 ナナキは退屈な人生を送ってる分、変なとこで自分を楽しませたがる妙な癖があった。

「……確かに今日の君は明らかに変だよね…。顔つきもやたらアホっぽいし、口調も会話もな~んか調子狂うっていうか…。」

 ナナキはキリッとした真顔になって、背筋を伸ばし、口調もしっかりさせる。

「ついでに俺は今すごくトイレに行きたいけど、トイレの場所もわかんなくてずっと我慢してます。あとあなた俺の上司ってことでいいんですか?」

「…上司っていうか、入社歴で言うと先輩だけど……友達でしょ。ねぇ君、本気で冗談じゃなく、ナナチとかいう人格なの?」

「なぁ~。ナナキです。」

「……なんにせよ、病気なら病院行けばハッキリするか。」

「病院!よろしくお願いします!あとここってタイムカードとかいう概念あります?」

「………。」


 キャリアの姉御は、ナナキを病院まで連れてく前に、社内のトイレに案内してくれた。

 トイレには鏡があり、ようやくナナキは自分の新しい顔を見ることができた。

 ジョーダンの顔の造りは、七旗丈助とは似てなかった。似てるのは、目や口のパーツの数くらいか。ジョーダンの方がしっかりした骨格で、肌の色は少し濃い。自分が他人の顔をしてるのは、普通に気味が悪かった。本当にゲームのスキンを見ているようだ。そんなことを思いながら、ナナキはトイレの使用方法を聞くのも忘れて個室に入ってしまった。

「もしもし!緊急事態!」

 ナナキはチョコバーでキャリアの姉御に電話した。彼女は男子トイレの外にいる。

「ちょっと!これ映像通話になってる!まず映像切って!」

 チョコバーの真っ黒な表面に、キャリアの姉御の姿が表示されていた。

 チョコバーを見る角度を変えると、彼女が見える角度も変わる。まるでスマホサイズのどこでもドアから向こうを覗いているかのようだ。

「やだっ…ちょっと!角度変えないでよっ!」

 どうやら、チョコバーに姉御が映ってる面が、あっちから見えるこっちの範囲のようだ。

「えー、こうかな……。」

 フィーリングでチョコバーを操作してみる。

「OK、で、何?」

 キャリアの姉御が落ち着きを取り戻す。

「紙がない!」

「紙?なんのこと?」

「ケツ!どーやって拭くの?」

「ハァ!?横の端末を操作するの!」

「ああ、このトイレ用チョコバーか………わ゛ーー!!」

「どうしたの!?」

「泡!泡出た!俺のアナルに泡が!」

「ちょっと!まず見るのをやめて!危険だから!あとその言い方やめいっ!」

「ゴメン、職業病で…うわーーーッ水が!ミジュぅ!ペッペッ!これ、水じゃないッ!?次は風が吹いてきた!!すごい!この風に当たったとこみるみる乾く!!あ!待って!顔と服も乾かしたいのにっ!」

「トイレで実況するな!!」

 ナナキのはじめての異世界トイレは大惨事に終わった。ナナキは、この世界でトイレットペーパーを発明したら覇権を取ると確信した。


 なんとか用が済むと、ナナキはキャリアの姉御の車に乗せてもらった。というか、社員用の車らしい。

 車は完全自律型のドライバーレスで、リニアのように車体が浮き、街中に張られたフォトンワイヤーの上を移動した。

 街のあちこちに巨大な溝があり、遠くの方に島が浮いてるのがわかる。どうも、島というのは細かく千切れた破片のように宙空に点在し、謎技術でそれぞれを繋ぎ止めているようだ。マナラインは、あらゆるデータを送受信するための技術のことらしい。多分、インターネットのようなものだろう。そもそも島が浮いてるのはどういうことかと聞いたら、魔力磁場がなんちゃらと話してくれた。意味がわからない。浮いている島々の下には海があるそうだ。

 車中でナナキはキャリアの姉御から他にもいろいろ話を聞いた。

 キャリアの姉御の名前はリズ・クラストというらしい。ジョーダンはリズと呼んでいたらしいので、ナナキも同じくリズと呼ばせてもらうことにした。短いから覚えやすくて助かる。あと、タメで話して良いと言われた。ありがたや。

 リズは素晴らしい女性だ。ジョーダンはリズの友達だから、ちゃんとジョーダルはジョーダルに戻れるといいなと思うナナキであった。

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