19.池袋
蛤たちが来て一週間、相変わらず翔琉はスーパーと自宅を往復する日々を過ごしていた。
あの日から蛤は姿を見せていない。
それどころか連絡すらなかった。
なにがどうなったのかはわからないけど諦めてくれたみたいだな、と思いかけていた頃、翔琉のスマホに通知音が響いた。
「?」
見慣れないその通知はダンジョンナビからのもので、開くと一通のメッセージが届いていた。
今日はお休み?今から池袋に出てこれる? - ナナ -
「ナナ?」
それはダンジョン第2層で別れたナナからのメッセージだった。
「こっちこっち」
翔琉が池袋の商業ビルの中にある喫茶店に入ると奥のテーブルから伸びた手がひらひらと振られているのが見えた。
「久しぶり。元気してた?」
翔琉が向かいのソファに座るとナナが笑顔を向けた。
(お、この娘はこの前会ったことがあるな。ひょっとしてお前の
興味津々と言ったリングの声が響いてくる。
(黙れ。ちょっと大人しくしてろ、というか出てくんな)
(へいへい、まあせいぜい上手くやるんだな。
「てめっ…」
思わず叫びそうになったところで不思議そうに見つめてくるナナに気付き、翔琉は咳ばらいをして姿勢を直した。
「ゴホン…そっちこそ元気そうじゃないか。それよりもなんだよ急に。というかなんで今日が休みだって知ってるんだ?」
「そりゃ家から一歩も出てないんだもん。カケル、ダンジョンナビの位置情報を公開設定にしたままでしょ。ID知ってる人にはモロバレだよ」
「マジかよ!そういうことは早く言ってくれよ!」
翔琉は慌ててスマホを取り出した。
「ここ3日間ずっとスーパーと自宅の往復じゃん。わびしい生活送ってんね~」
タピオカミルクティーを飲みながらナナがニヤニヤと笑っている。
「ほっとけ。それよりもどうしたんだよ急に」
テーブルに来た店員にコーヒーを頼むと翔琉は改めてナナの方を向いた。
「…今日は普通の恰好なんだな」
向かいに座るナナはダンジョンにいた時とは違いポニーテールにしていた髪はおろして服もシンプルなニットシャツに薄手のカーディガン、デニムのスカートといういでたちだ。
「そっちこそほっとけ。あれはダンジョン用の恰好だっつの」
ナナはスポポポと勢いよくタピオカを飲み干し、改めてカケルの方を見つめてきた。
「まずはお礼を言っておこうと思ってさ。この前はどうもありがとう。おかげでかなり稼ぐことができたよ」
「そりゃどうも。それじゃあのキュアリングハーブは全部売れたってわけか」
「おかげさまでね」
ナナはそう言うとグッと顔を近づけ、小声で耳打ちしてきた。
「全部で300万になった。あたしの最高記録だよ」
「そりゃ良かったな。俺としても嬉しい限りだ」
「…あまり驚かないんだね」
翔琉の反応を見てナナが若干不満そうな顔になる。
「い、いや、そんなことはないぞ?凄いに決まってるじゃないか、なあ?」
「ふーん、まあいいけど。それよりもさ、カケルはまたダンジョンに潜る予定とかある?」
そう言ってナナがテーブルから再び身を乗り出してきた。
「な、なんだよ急に」
「あたしは普段誰とも組まないのがポリシーなんだけどさ、この前の探索でピンときちゃったのよ。カケルとなら結構稼げるんじゃないかって。だからもし良かったら次の探索もあたしと組まない?」
「そういうことね」
翔琉は苦笑しながらコーヒーを啜った。
(いいじゃんいいじゃん、俺のいた世界に行こうと誘いに来てるんだろ?乗っとけよ!)
リングの弾んだ声が響いてくる。
「でも前回ので相当稼いだんだろ?なんでそんなに金が必要なんだ?」
それを無視して翔琉はナナに尋ねた。
「あたしんち貧乏でさ。学費とか生活費を稼がなくちゃいけないんだ」
翔琉の問いにナナが世間話でもするように答える。
「あ、え…その…変なこと聞いてごめん!」
「いいって、貧乏なのは事実なんだから」
慌てて謝る翔琉にナナが手を振って笑う。
「それで手っ取り早く稼ぐならダンジョンってことで始めたわけ。海外留学もしたいしね。目標額までまだあるからもうちょっと稼がなくちゃいけないのよ」
「そうだったのか…立派だな~」
「でしょでしょ?」
感心する翔琉にナナが満面の笑みを向けてきた。
「で、どう?ダンジョンに行く予定はある?」
「う~~~~~ん」
ナナの問いに翔琉は大きく唸ると両手を合わせた。
「ごめん、実を言うとしばらくダンジョンには行かないつもりなんだ。こっちの目的はもう果たしたし結構危険な目にもあったからさ。だからごめん!」
「そうなんだ。それなら仕方ないよね」
翔琉の予想とは裏腹にナナはあっさりとそれを受け入れた。
「いいのか?」
「だってしょうがないでしょ。無理やり連れていくわけにもいかないし、ダンジョンに行くのはいつだって自由意志、それが冒険者だから…って、なによ?」
じぃっと見つめる翔琉にナナが身じろぎした。
「いや、ナナって金にがめついし割と自分勝手な奴だと思ってたけどちゃんとしてるんだなって」
「なにそれ!あたしをそういう風に見てたの!?」
「いやでも実際凄いよ。俺が学生だったころはそんな風に考えたことなかったからさ。自分で学費を稼いで、ちゃんと自分の考えもあって…ほんと大したもんだよ」
「そ、そう?まあ実際自分でもそうだと思うけど?」
翔琉の賛美にナナもまんざらではないようで頬を赤く染めて口元をほころばせている。
「と、とにかく、今日はお礼ついでにそのことを聞きに来たわけ。もし気が変わったら遠慮なく連絡してよね」
照れ隠しに軽く咳払いをするとナナは伝票を取って立ち上がった。
「こっちが誘ったんだし今日はあたしに出させてよ。それじゃ、またどこかでね」
「こっちこそ、せっかく誘ってくれたのにごめんね。また何かあったら連絡してくれよ」
ひらひらと伝票を振ってナナは喫茶店を出ていった。
(あ~あ、帰っちまったじゃん。もっと食い下がれよ。そんなことで
「やかましいっ!」
小声で怒鳴ると翔琉は残っていたコーヒーを飲み干した。
コーヒーはすっかり冷めていた。
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