20.池袋 - 2 -

 ナナと池袋で出会ってから数日後の夜、翔琉は再びその地を踏んでいた。


 しかし翔琉の顔はすぐれない。


 そもそのはず、今回は蛤に呼び出されたからだ。


 無視しても良かったのだけど声がただごとではなかった。


 しかも翔琉はかつて所属していたボランティアサークルの危機だという。


 そう言われれば行くしかなかった。


 呼び出されたのは池袋の繁華街にあるクラブだった。


 当然翔琉にとっては初めての場所だ。


 以前だったら店の前で尻込みしていただろうけど不思議と気後れする気持ちはなかった。


 これもダンジョンを体験した副産物なのだろうか。


(へえ~、なかなか良いところじゃん。俺がいた999層にちょっと似てるな)


 ネオン輝く店構えに興味津々と言ったリングの声が響いてくる。


(お前はいいよな、気楽でさ)


 翔琉はため息をつくとドアへと足を進めた。


 ドアの前にいたいかついセキュリティは蛤に呼ばれてきたと告げるとあっさりと通してくれた。


 翔琉が通されたのはダンスフロアを見下ろすVIPルームで、部屋に入ってまず目に飛び込んできたのはパンツ一丁になって床に正座する蛤の姿だった。



 その周りには派手な格好をした若い男女がだらしない恰好でソファに身を投げ出している。


「天城翔琉君…だっけ?」


 部屋の真ん中のアームチェアに腰かけていた男が座ったまま覗き込むように翔琉を見てきた。


 プラチナブロンドに染めたショートのツーブロックに顎髭、浅黒く日焼けした肌が盛り上がった筋肉の上に張り付き、その首元から肩口までびっしりとトライバルタトゥーが埋めている。


「はい、そうですけど」


 流石にこの状況に飲まれそうになりながらもなんとか翔琉は返答した。


「よく来てくれたね。まあそう緊張しないで、なんか飲むかい?」


 男は突然真っ白い歯を見せて笑いながら立ち上がった。


 でかい。


 おそらく190センチはあるだろう。


 全身が筋肉の塊で体の厚みは翔琉の倍くらいある。



「このクラブは俺のものだからさ、なんでも頼んでいいよ」


 男はそう言いながらバーカウンターに置いてある酒瓶を取ってグラスに注ぎ、翔琉に差し出した。


「あの…僕はそこにいる蛤先輩に呼ばれたんですけど…あなたは一体?」


 翔琉は恐々とグラスを受け取りながら床に正座している蛤を指差した。


 蛤は全身をブルブル震わせながら床を見つめている。



「そういえば自己紹介がまだだったっけ。俺の名前は蛇巳多はみだ。まあ気軽に士郎って呼んでよ」


 蛇巳多と名乗るその男はそう言ってグラスを一気にあおった。


「実を言うとそいつが大変なことをしちゃってさ。それで友人である天城君にご足労願ったってわけなんだよ」


 いや、別に友達でも何でもないんですけど…と言いたいのを翔琉はぐっとこらえた。


「とりあえずこれを見てよ」


 蛇巳多の差し出したスマホには動画が映っていた。


 そこには下のダンスフロアで暴れまわる蛤の姿があった。


 相当酔っているのだろうか、おぼつかない足下で走り回り、女の服をはぎとろうとしている。


「これは…」


「大変だったんだよ~?散々暴れまわってお客さんやうちのスタッフに怪我までさせちゃってさあ。おかげで片づけのために店を休む羽目にまでなっちゃって大損害なんだよ」


 スマホを見ている翔琉の肩に蛇巳多の丸太のような腕が回ってきた。


 まるで大蛇に絞められているみたいだ。


「こっちとしては損害を弁償してもらいたいんだけどこの蛤君はお金を全然持ってないって言うじゃないか。うちの店もこう見えて結構経営はカツカツでさ、このままだとヤバイのよ」


 蛇巳多がそう言いながら翔琉の目を覗き込んでくる。


 笑ってはいるけどその眼は蛇のように全く感情が見えない。


「それでさあ、聞いたんだけど天城君ダンジョンに行ってるんだって?凄いよなあ~。ダンジョンってかなり稼げるらしいじゃん?」


 ここまで聞けば蛇巳多が何を言いたいのか翔琉にもわかってきた。


「はあ」


「それでさあ、ちょっとお願いがあるんだけど、そこの蛤の損害を天城君が肩代わりしてくんないかな?そうすればほら、うちも助かるし。天城君の方は蛤から返してもらうってことでどうかな?」


「それで…幾らなんですか?」


「まあそんなに大した額じゃないよ。これくらい」


 獲物を捉えたような笑みと共に蛇巳多が片手を広げた。


「50万…ですか?」


「ハハハハハハハハハハハハッ!!!」


 翔琉の言葉に蛇巳多が笑い出した。


「天城君、君いいねえ。ジョークのセンスがあるよ。お笑いとか目指してた?」


 周りにいた取り巻きが爆笑する蛇巳多を見て同じように笑っている。


 ひとしきり笑った後で蛇巳多の目がすっと細くなった。


「500万に決まってるだろ」


「500万、ですか…」


 今の翔琉だったらすぐにでも払える額だ。


 しかし当然翔琉に払う気などない。


「一応言っておくとその人と僕の間には何の関係もないんですけど」


「ああっ?ふざけてんのかっ!」


 取り巻きの一人が血相を変えて詰め寄ってきた。


 蛇巳多がそれを手で制する。


「そうは言ってもねえ。こっちとしても弁償してもらわないと周りに示しがつかないのよ。この店は幾ら暴れてもいい、なんて評判が立ったら商売にならないからね。弁償できないということになると大学の方にも連絡しなくちゃいけなくなるんだよね。当然君が所属していたボランティアサークルにも影響が出てくるだろうねえ」


 そういうことか。


 大学への通報を餌に最初から翔琉に弁償させる気だったのだ。


「…わかりました。でも今すぐは無理ですよ。それだけの額はもう一度ダンジョンに行かないと」


 翔琉の言葉に蛇巳多がにっこりと笑った。


 言質を取った、という笑みだ。


「わかった、2週間待ってあげよう。2週間経って連絡がなかったらこの件は警察と大学に連絡させてもらうからね。当然約束を破った天城君にも相当の責任は取ってもらうよ」

 翔琉の首に回された蛇巳多の手に力がこもる。


 翔琉はその手首を握ると軽く内側に捻り、出来た隙間からするりと首を抜いた。


「わかってます。それじゃあ用は済んだみたいなので僕はこれで」


 気勢を削がれた蛇巳多に一礼すると翔琉は部屋から出ていった。

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