第9話

「お母さん、今日はどこまで買い物に行くの? 今日はパパも一緒なの?」


 動かない修司を担いで助手席に乗せ、優希を後部座席に座らせる。全身を襲う苦痛は病院から入手した薬で一時的に収まっている。出発するなら今しかない。

 私は優希に対して優しい声で言う。


「今日は朝を見に行こうと思うの」

「あさ?」

「ほら、写真で見せてあげたでしょ」


 優希はずっとこの夜しかない世界で生きている。生まれてから一度も太陽というものを見たことがないのだ。だから、彼女は写真でしか太陽を見たことがない。


「あのしろいおおきいやつ?」

「そうよ」

「あれってみられるの?」


 私は車のエンジンをかける。すっかりかかりの悪くなったエンジン。オイルを足す程度の素人整備しかしていないにも関わらず、今でも動いてくれることが奇跡のようにも思える。


「この世界の反対側には、今でも太陽はあるんだよ」


 日本は夜で世界が止まってしまっているということは、日本の反対側の国ではずっと太陽が沈まないままになっているはずだ。

 「今」が何時なのかというのは、おおよそ解っている。

 時間停止が起こったのは私が勤務先の病院へ出勤する途中のことだった。あの日、私は早朝当番のシフトだったから、おそらく、「今」の時刻は午前六時前後。「今」の季節は冬だから辺りはまだ真っ暗だった。だから、私たちはずっと闇の世界で生きてきた。太陽の元で暮らしたい。そういう思いはあったが、そのためにはこの島国の外に脱出しなくてはならない。飛行機や船を運転できるようになるというのは、さすがに非現実的だった。

 しかし、私は最近になってあることにようやく気が付いた。

 同じ日本国内でも、もう夜が明けている場所はあるのではなかろうか?

 日本の標準時は、兵庫県明石市に引かれた標準時子午線によって定められる。だから、北海道に居ようが、沖縄に居ようが時刻は同じだ。

 しかし、それはあくまで便宜的なものだ。

 日の出日の入りとなると話は変わってくる。

 私は図書館で「今日」の日付の日の出の時刻を調べた。その結果、私の住んでいる地域の日の出は実は数分後であることが解った。太陽は東から登る。ならば、東に向かえば、太陽はすでに昇っているのではないか――


「行こう、朝を見に」


 そして、本当の「おはよう」を言おう。

 私の最期の旅が始まった。

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