第7話

「優希、起きなさい。もう、朝よ」


 私は毎日決まった時間になるとベッドで眠っている娘の優希を起こす。すると、優希は毎日、寝ぼけ眼でこう答える。


「うーん、まだ眠い……」

「ダメ、人間は決まった時間に起きなくちゃいけないのよ」

 

 それは時の止まった世界で私が自分と娘に課した数少ないルールの内の一つだった。

 そして、優希と二人そろってリビングのソファに座っている修司に声をかける。


「おはよう、パパ」

「おはよう、パパ」


 私が修司に挨拶すると優希も真似をして挨拶をする。

 これが私たちの習慣。

 時間という概念の失われたこの世界で唯一時間を象徴する行為がこれだった。

 時が止まった世界では太陽はずっと世界の向こう側に沈んだままだ。私はもう何年も太陽というものをお目にかかっていない。こういう行動でもとっていなければ、私はとっくに時間という感覚を失ってしまったことだろう。

 もう一つ、時間を認識する出来事。

 それは――


「優希、あなた、大きくなったわね」

「んー?」

「昔はこーんなに小さかったのにね」


 私はそう言って、赤ん坊くらいの大きさを手で示す。

 すると、優希はけたけた笑って答える。


「ママ、優希、そんなに小さいわけないよ。だって、優希はこれくらい大きいもん」


 そう言って、優希は背伸びをして、両手を万歳と上げるのだった。

 優希が生まれてから六年の時が流れていた。この子を産むときが私にとって不安の山場だった。知っての通り、出産というのはリスクが伴う。私はそれを誰の手も借りずに一人で成し遂げねばならなかった。

 インターネットも使えないために私は本屋や図書館を渡り歩き、出産に関する知識を貯め込んだ。もともと、看護師だったこともあり、最低限の知識を持っていたことも幸いした。医学の道を志したことを感謝したのは、この時が初めてだった。

 そして、私はどうにか一人きりの出産を終え、無事娘を取り上げた。

 私はその愛しい娘に優希と名付けた。

 彼女は、この孤独な世界に残された優しい希望だった。


 私と娘の生活は意外にも平穏だった。

 まず、家に蓄えて置いた食料を使って料理をする。時が止まっていることに数少ない利点は食材は腐ったりしないということだ。おかげで私たちは何とか飢えずに済んでいる。反面、面倒なのは手を離すと時間が止まってしまうこと。煮込み料理をする鍋から文字通り手を離せないというのはさすがに不便だった。

 食事を終えると、私は優希に勉強を教える。主な内容は文字の読み書きと計算だ。文字を覚えるのは好きなようだったが、計算をするのはあまり好きではないようだった。


「なんでこんなことしないといけないのー」


 そう言って口先を尖らせる娘を見ていると懐かしいような、どこかくすぐったい気持ちになる。

 時間ができると私は娘に本を読んでやる。本はテレビもパソコンもまともに使えない世界での数少ない娯楽だった。最近は、娘もなんとか自分で簡単な小説程度なら読めるようになってきた。そうやって、動かない修司と三人で本を読んでいるとき、私は幸せを感じるのだ。

 そして、時計で時間を確認して、私たちは眠りに就く。明日には世界が元に戻っていますように、そう祈りを捧げながら。

 そして、何も変わらない世界に絶望し、私は娘に縋りつくのだった。

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