第2話

「うそ……?」

 ——奇跡が起こっていた。

 私が運転していたミニバンの鼻先数センチという距離に止まっているトラック。このトラックは今、まさに私の乗る乗用車と正面衝突しようとしているところだったのだ。

 それは私が勤務先である病院へ車で出勤する途中の出来事。

 まだ夜が明ける前、寒い冬の日だった。

 見通しの良い田舎の道、対向車線から走ってきたトラックは突如、進行方向を右に逸れ、あろうことか私の運転する車の正面に突っ込んできたのだ。こちらからは避けようもない距離、私が事態に気が付いたときにはすべてが終わっている。

 ——そうなるはずだった。


「なんで止まったの……?」


 トラックは私の車の前でぴたりと止まったのだ。

 それは急ブレーキをかけた結果というわけではない。なぜなら、そのトラックは明らかに慣性を無視して、その場でまるで凍り付いたかのように停止していたからだ。トラックの異常な挙動に気を取られていたために最初、気が付いていなかったが、不自然な急停止をしたのは、私の車の方も同様だった。

 この急停止がなければ、私は死んでいた。それは目の前に迫っているトラックの重厚なボディを見ていれば解る。先程のような勢いで衝突していたら、どんなに良くても重症、最悪即死だ。

 混乱する私は気を鎮めてから車を降りる。文句を言ってやろうとか、そんな気力すらない。ただ、事故が発生したときは警察を呼ばなくてはならない。それくらいのことは理解していたから、まずは車を降りて、向こうの運転手とコンタクトを取ろうと思ったのだ。

 しかし、向こうの運転手は一向に車を降りてこない。事故を起こしかけたのだ。気持ちはわからないわけではないけれど、早く降りてきて話し合いに応じてほしい。だが、いくら待っても運転手が下りてくる気配がない。業を煮やした私は、トラックの運転席を覗き込む。運転手はハンドルを握ったままだった。最初、放心しているのかと思った。しかし、仮にそうだとしても、何か反応くらいするはずだろう。

 そこで、私は気が付いた。運転手は大きく目を見開いて、止まっていた。そこにありありと浮かぶ驚愕の色。だが、その表情が微動だにしていないのだ。

 ――まるで、時が止まってしまったかのように。

 心臓が再び早鐘を打ち始めたことを自認する。

 頭に浮かんだ嫌な想像を振り切るために、私は周囲を見渡す。世界の時が止まっただなんて、馬鹿なことがあるはずがない。時間が動いていると証明できるものなら何でもいい。

 私は数十メートル先にあった信号に目を向ける。私は固唾を飲んで、それを見つめ続ける。しかし、どれだけ待っても、その信号は色を変えることはなかった。

 私は慌てて、自分の車に戻る。エンジンをかけ直す。その瞬間、聞きなれたエンジン音が返ってくる。それに私の心は一度安堵しかける。やはり、私の思い違いだったのだ、と。

 しかし、トラックを避け、車を運転し始めてすぐに悟る。

 車が不自然に道路の途上で停止している。路上駐車だとしても、あんな公道の真ん中に止める人間はいない。私はそんな車を避けて、駅前のロータリーへと向かう。田舎の夜明け前の時刻と言えど、駅前にはさすがに人が居るはず。

 私の予想通り、駅前にはいくつかの人影があった。だが、そのどれもが動きを止めている。

 ――そんなはずはない。

 最悪の想像を振り切りながら、私は車を止め、駅前に躍り出る。


「あの!」

 

 もはや、誰でも良かった。

 この最悪の想像を振り切ってくれる人間なら。

 私は駅前に居る停止した人々に手当たり次第に声をかける。だが、誰一人として私の声に反応してくれるものはいない。パニックになった私は、そのうちのサラリーマン風の男性の肩を突き飛ばした。彼はその場で倒れて、動かなくなった。それを見て、私は脱兎のごとく逃げ出した。


 そこからの記憶は曖昧だ。

 修司に会わないと。それだけの思いで私は車を走らせ、我が家へと帰りついた。

 そして、リビングのテレビの前で凍り付いた夫を発見するのだった。

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