第12章 死と永生

1 私たちと真実在の世界との関係は、例えるならば、海と波の関係のようなものです。陸からは見えない海の中の動きが波となって現れるように、私たちが日常で経験している世界は、知覚を超えた真実在の世界の現われに過ぎないのです。

2 私たち自身も波のように、真実在の世界から現われては真実在の世界に消えているのです。それが断続的に生起しているに過ぎません。このように、私たちは決して持続する「実体」などではありません。

3 私たちは大いなる創造の働きとともに不断に創造している働きなのです。そして、大いなる創造の働きとともに働き続けるのです。

4 「実体」観から解放されない限り、私たちにとって死は絶望です。魂の不滅や個我の輪廻のように「実体」の永続を信じることで逃れることは可能ですが、それは存在の実相とは相容れません。

5 存在の実相から観れば、すべては生起する過程であり、私たちが「実体」視するのは過程の一コマに過ぎず、それも捉えたときにはすでに存在しないものです。

6 言わば私たちは常に死につつあるということです。何故ならば、生起としての私たちは常に次の生起の与件となるからです。

7 連続して生起する一連の過程としての私たちを「実体」視する時、その連続が途切れることが「死」であるとされます。

8 しかし、連続する過程ということ自体が、実際には非連続的であることは既に述べた通りです。実際には、非連続的に連続しているのです。

9 そして、この連続する過程の非連続性は、生起が真実在の世界における記憶の連関の現われであるということです。

10 いわば、記憶が私たちを生きているのです。私たちはそれを引き受けて新たな記憶となります。そして、さらに私たちとして生起するのです。

11 私たちは確かに私たちですが同一ではなく、常に新しい私たちであるのです。

12 ですから、私たちは決して「実体」ではなく、不死の主体とはなり得ません。

13 このように、「実体」という概念の虚しさを理解することによってのみ、私たちは永生を希望できます。しかし、その永生とは肉体の甦りや天国での休息とはまったく異なるものです。

14 私という「実体」をつかみ続ける間は決して永生を喜べず希望することもできないでしょう。完全な消滅としての死を恐れ続けるか、天国の実在を夢見るほかありません。

15 そのような恐れと空想から解放されるためにも、私たちは自らの存在の実相について理解しなければならないのです。

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