第7章 存在の全一性

1 これらを抽象的に言えば、様々な過程が可能態である与件として、連続的(主体的)に、また非連続的(客体的)に邂逅(かいこう)し、現実態となり、それがまた次の過程の与件となるという過程である、ということです。

2 邂逅とは出会いです。必然ではなく偶然であるということです。一切はたまたま出会い、たまたまかく在るのです。連続的であろうと、非連続的であろうと、この偶然性から逃れることは出来ません。

3 いわゆる「存在」は連続的な生起の過程ではありますが、このように、邂逅の結果であることにおいて、その連続性は非連続的です。

4 いわば、波が生滅を繰り返しながらも連続して見えるようなものであり、あるいは、点滅するライトの一系列が同一の光の移動に見えるようなものです。

5 そして、現実態とは一時的に個体性が実現した状態ですが、この一時的とは必ずしも一瞬、一刹那ということではないことに気をつける必要があります。

6 すなわち、同じ時間でも蟻と人間と山と星ではそれぞれの個体性の実現における長さは別々であるからです。そもそも時間の流れが異なると言ってもいいでしょう。

7 また、現実態を規定する個体性は唯一ではありません。さまざまな現実態が重なり合っています。例えば、私たちの一挙手一投足も現実態であり、私たちの一日の生活も現実態であり、私たちの一生も現実態であるのです。

8 ですから、個体性は絶対的ではありえません。いわゆる「本質」とは異なります。

9 この現実態をその個体性を「本質」とすることにおいて、過程から切り取ったものが「実体」です。しかし、現実態を「実体」と取り違えた途端、その認識は顚倒したものとなります。

10 独立した別々の「実体」が邂逅すると考えてしまうからです。しかし、それは先述のとおり、人為的に、事後的に分析したものにすぎません。

11 実際には、私たちは邂逅を離れて存在しえません。そして、私たちが経験しうるのは過程そのものではなく、結果、つまり現実態であって、それを生起させた与件と分離することできないのです。

12 あえて言えば、邂逅という表現すら事後的なものに過ぎません。

13 具体的現実においては、現実態としての一切は空間的・時間的に相関するもろもろの過程の結節点というべきものであり、その個体性は一切の過程を包摂し、背景とすることにおいて歴史的であると言えます。

14 このように、一切の過程が相関しあって全体的過程を形成し、また、その全体性において一切の過程が存在しているのです。

15 つまり、全体的過程はそれぞれの要素・条件に還元できない一つの働きを成しています。

16 身近な例で言えば、私たちの体は様々な部位が組み合わさってできていますが、全体で働くものであって、いずれかの部位に還元することができないようなものです。

17 もちろん、宇宙が一つの体そのものであるということではありません。あくまでも互いにその条件となって、そのいずれにも原因を還元できないということです。

18 また、体の場合、器官によっては欠けても生存できますが、宇宙はそのいずれの要素・条件も欠けては存在できません。

19 このように、宇宙全体が一つ(Oneness)であり、一切はその一つである働きによって存在しているのです。

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