第3章 信知の道
1 ですから、私たちは、まずこの道を「御子」の遺し伝えた知識の門から入るのです。
2 知識は私たちの誤った認識を正し、私たちの歩みを正しい方向へと導きます。正しい方向へ導くとは、真の自由へと導くということです。
3 では、どのようにして知識の門に入るべきでしょうか。これには、大きく分けて二つの道があります。一つは自ら探究の道であり、もう一つは信知の道です。
4 自ら探究し入るには知識の門はあまりに狭く、その扉は重すぎます。なぜならば、私たちを束縛している知覚の枠組みや価値観は強固であるからです。
5 これに対し、「御子」たちがすでに開いておいた知識の門からであれば、私たちはすぐに入ることができます。これが信心から知識に至る「信知」の道です。
6 私たちは「御子」たちの明らかにした知識を信受することによって、認識を転換させ、存在の向きを変えて復活への道を歩めるようになるのです。
7 信知の道を歩むには、謙遜を旨としなければなりません。
8 私たちが信知の道を歩むのは、自らがその知識を誇るためではありません。また、自らの知識を誇っている人は躓きます。
9 何故ならば、信知の道を歩む人は聴き従う人でなければならないからです。そして、身をもって証しする人でなければならないからです。
10 また、初めから疑い躊躇(ためら)う人に知識の門は開かれません。勇気をもって、切実な願いをもってこそ開かれます。その上で、実践し実験していくことも大切です。聴従が盲従になることは恐るべきことだからです。
11 そのためには、具体的な現実を離れないようにしなければなりません。よく見てよく聞いてよく調べなければなりません。
12 何をどのように見ているのか、あるいは、見えているとはどういうことか、聞こえること、触れること、思うこと、考えること、すべてについてより具体的な現実に迫れるように吟味しなければなりません。
13 これらは、日々の経験を離れて行なわれるべきではありません。経験から逃れるためではなく、経験を全うするために行われるべきものです。
14 さらに経験を超えることにも心を開いて、より具体的に現実を把握することを願わなければなりません。
15 そして、信じるために知るのでも、知るために信じるのでもなく、その目的が宇宙への復帰であり、「汚れなき御子」の復活であることを忘れてはなりません。信仰と認識と実践は決して分けることはできないからです。
16 このように、謙虚であり、現実的であり、実践的であることを常に忘れないことが、信知の道を誤らないために必要な心得です。
17 そして、最後に、その歩みがそれまでに抱いてきた信念や価値観といかに激しく対立しようとも、決して退転することなく一心に進んでください。
18 何故ならば、私たちを束縛してきたのは、その信念であり価値観であるからです。
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