女神

 目を閉じたまま王座に座り、考え事に没頭する俺を現実へと引き戻したのは大広間の扉が開く音だった。誰が入ってきたのか確認しようと目を開けると、そこにはレリフが佇んでおり、その顔は疑惑で一杯だった。


「なぁお主、一つ訊きたいことがあるんじゃが……」

「命令の事だろう?俺はお前に掛けた命令を解いてはいない」

「では何故我が酒をああも飲めるのじゃ!?おかしいじゃろう!お主は確かに王位を継承した!ならばそれに伴って魔王の力も……!」

「与えられたかどうかは正直言って分からない。魔王が魔王にかけられないという制約もあるかも知れないしな。だから、協力してほしい。まずはレリフが俺に命令する。それが終わったら交代だ。これで魔王同士の命令が例外なのか分かるはずだ」


 そう言うも、その検証を実施する事は叶わなかった。俺の足元が淡く光り出し、明かりの無い大広間を僅かに照らし出す。その金色の光は戴冠式の際に天界へと呼び出された時の物と酷似していた。その光景を見たレリフは一瞬は驚くも、すぐに平静を取り戻し一言だけ告げる。


「行ってこい。真相を確かめるのじゃ」

「……ああ」


 俺が返事をすると足元の光はより一層輝きを増し、ついには俺の視界を塗りつぶして天界へと転移させた。


 乳白色の雲の上に浮かび、白色の石畳で構成された直線の通路の先には白亜の殿堂が鎮座していた。そこには先日と同じく、運命の女神が居るのだろう。俺は彼女に真実を問い質す為に歩みを進め、程無くして大理石で出来た円柱と円柱の間に立っている人影が見えた為立ち止まる。


 そこに居たのは、戴冠式の時に出会った女神だった。足元まで伸ばした明るい金の髪、その上に載せた月桂冠。白を基調にし、所々に金の装飾が入った神々しさを感じさせる衣装。それらは前に会ったときから変わっていなかったが、それ以外は物の見事に変貌していた。


 慈愛をもって向けられていた水色の瞳は憎悪に燃え、穏やかな笑みを湛えていた口許は奥歯を噛み締めているため歪んでいる。たおやかな指は力強く握り込まれ、その怒りの程を表していた。彼女は先日の優しい口調とは真逆の、冷たい口調で俺へと吐き捨てる。


「……よくも、私の計画を台無しにしてくれましたね……」

「計画?ああ、やはりお前が戦争を起こし、五十年前の勇者を殺し、平和にさせまいと暗躍していた張本人だったんだな。ついでに聞こうか。お前が俺に魔王の力を与えなかったのは何故だ?それも計画の一部なのか?」


 俺の言葉を受けた彼女は一瞬驚いた顔をするも、すぐに取り繕っては冷笑を浮かべ言い放つ。


「誰に物を申しているのか分かっているのですか?私は女神、あまねく命の定めを司るもの。貴方ごとき手を払うだけで消す事も出来るのですよ?」

「ならば今すぐやって見せろ。出来るのだろう!?」


 俺の意外な返答に彼女は戸惑いを隠せずにいた。それは俺が消滅を恐れていない事にでは無く、自身にそのような力が無いことが露呈するのを恐れていた為だ。彼女は俺に力を授けなかったのでは無い。授ける事が出来なかったのではないか?俺はそう推測していた。何も言わず、ただ俺を見つめる彼女に向かって俺の推測を告げる。


「お前が今考えていることを当ててやろうか?『しないのでは無く出来ないという事をどうやって誤魔化そうか』だろう?」

「貴様……私の事を侮辱するか……!」


 もはや目の前の女神は俺に対する敵意と憎悪を隠そうとはせず、強く握った右手に細剣を出現させ、その切っ先を俺に向ける。俺も冠に右手をかけ、それを魔剣へと変えて臨戦体勢を取る。好戦形態アグレッシブは最初から全開にし、魔法に備えて漆黒の外套に魔力を注いで盾にした。


「侮辱などしていない。ただ俺は出来ると言われたから見せて欲しいだけだ。その能力があると証明するならアレコレ語るよりも実際に見せた方が早いだろう?『魔法が使えない』と言われた俺が、一つ魔法を見せただけでその評価が覆された様にな!」

「それほど見せたいなら貴方を切り伏せてから見せてあげましょう!」

「やれるものなら……」


 言葉の途中で俺は彼女へと急接近し、魔剣を振るう。彼女は細剣でそれを受け止め、鍔迫り合いへと発展した。


「やってみろ」

「この私に刃向かった事、後悔させてから消して差し上げましょう」


 こうして女神との戦いが始まった。最初の鍔迫り合いは彼女が距離を取った為、ものの数秒で終わる。力量の差を感じたのか、距離を取りながら雷で攻撃を続ける彼女に俺は攻撃魔法で応じる。勇者との戦いで放った様に、魔剣の一部だけ変身魔法を解き、液状化させたそれを遠心力で飛ばす。その際に宿していた魔力では氷の呪文を発現させていた。


 冷気を纏い、自身も凍りつきながら女神へと一直線に突き進む一つの魔弾に、当の彼女は炎の魔法で応戦を試みたのだろう。詠唱も無いまま、彼女から人ひとりを容易く飲み込めるほどの規模を誇る炎弾が発せられるが、氷の礫はそれすら凍らせて空中を駆けて行く。先程の攻撃で迎撃出来たと思ったのか、反応が遅れた彼女の左頬を掠めて氷弾は背後の殿堂へと直撃し、それを氷の彫像へと変えた。


 彼女は左手で頬を擦り、氷で覆われた部分に手を当てながら俺への敵意を更に募らせる。その目に燃える憎悪の炎は、彼女の背後にある凍てついた殿堂を融かすことも出来そうなほど燃え上がっていた。そのまま俺へと恨み言を吐こうとしたのか、彼女の手が一瞬止まった隙に急接近し、細剣を持つ右手首を切り付ける。


 その痛みに耐えかねたのか、細剣を取り落とした彼女は「ぐぅっ……」と短く言葉を洩らし、その顔を歪めた。俺は左手で彼女の首を掴み、そのまま上へと持ち上げる。当然並みの人間ならばそのまま窒息して死に至るだろうが、人を超えた神格であればそのような事は無いだろう。


 だが、目の前の彼女は人間と同様にもがき苦しみ、俺の左手に爪を立てては必死に引き剥がそうと試みている。もし俺がその立場に置かれていた神格だとしたら、まず最初に浮かぶ事で苦痛を軽減出来るか試みるだろう。神と名乗るくらいだ。浮かぶ事くらいは出来て当然だろう。目の前の彼女はそうしなかったようだが。


 これで、彼女への疑惑はより一層強まった。与えなかった魔王の力、行使すると言うものの一向に使う気配の無い消滅の力。神格であれば使えるだろう力を振るわない事。そして何より、俺への攻撃に魔法しか使っていない事。彼女は俺の事を知っている。それどころか、彼女が俺の体質を定めたと先日話していた。即ち、魔法を防ぐ事も知っているはずなのに俺には魔法しか使わない。もし彼女が本当に神格なのであれば、魔法の概念を超えた力を持っているはずなのだ。


 事実、勇者は女神の加護により、魔王に殺されない限り死なない、正確には他の者に殺された場合は蘇生する体を得た。これは魔法では実現不可能な事象である。それから導き出される答えはただ一つ。


 目の前でもがき苦しむ女神は、そうではない誰かが姿と言う事だ。俺が魔王の名を語る際に魔王らしい姿を取ったのと同様に、見た目だけでそうだと誤認させる為に。その推測を確かめる術は俺の手の中にある。 魔法で姿を変えているのであれば解呪ディスペルで強制的に解けば良い。俺は彼女の首を掴んでいる手に魔力を籠め、彼女へと注ぎ込んだ。彼女は攻撃されていると勘違いしたのか、俺の背後に氷柱――蒼氷槍アイスジャベリンだろう――を発生させ、背中を貫こうとする。だが、それは解呪をかけられた外套に当たると音も無く消滅した。


 視線を前方に戻すと、彼女の外見は徐々に元の姿へと戻ってゆく。白を基調に、金の装飾が入った衣装はその雰囲気を損ねる事無く銀と金の甲冑へ。足元まで伸び、今では重力に囚われて垂れ下がった金の髪は肩口の所でほつれるように切れ、地面に落ちた髪束は時間と共に透き通りやがて消えた。そして短くなった髪と、苦しみに歪む水色の瞳は共にへとその色を変えた。


 直接会ったことは無いが、俺は目の前の彼女の事を知っている。魔法に関する書籍や論文には必ずと言って良いほど言及され、魔法使いを志す者で知らない者は居ないほど有名な存在。原初の魔法使い、アルティナ・レイノールがそこに居た。


 俺はその事実に動揺し、彼女を掴んでいる手を放してしまい、どうにか俺の手から離れようともがいていた彼女は崩れ落ちて激しく咳き込んだ。その声で平静を取り戻した俺は自身を見上げる彼女の眼前に魔剣を突き付けて彼女に真実を要求する。


「どういう事か話せ。さもなければ斬る」

「……ふ、ふふ。他者の魔法を強制的に解除するその力……ぐあっ!」


 関係の無い話をし始めた為、右肩を切り付けた。言わないのであれば言うまでこうして切り続けるまでだ。


「そんなことなどどうでもいい。お前がやって来た事を話せ。俺は今、非常に怒っているんだ」

「……百年前、私は戦争を起こす為に魔王を名乗って人間界を荒らした。何人殺したかは覚えていない。五十年前、魔王と勇者が手を取り合おうとした為勇者を殺した。そして、本当であれば女神から魔王の力を授かるはずの貴様を騙し、勇者と戦わせることで殺そうとした」

「何故戦争を起こした?」


 俺の問いかけに、彼女は血相を変えて巻くし立てる様に答える。その内容はとても理解し難い物だった。


「何故?貴様は知りたく無いのか!?魔法を扱えるのであれば、魔法の極致を追求するのは当然の事だろう!?この世で初めて魔法という概念を扱える様になって四百年、いまだにそれには到達しない!どうすれば良いのか悩みに悩んで出した答えが闘争だ!人は有史以前から、争うことで技術を磨いてきた!私一人だけでは実現出来ないのであれば、本意では無いがごまんといる凡夫の力を借りるしか無いだろう!?」


 その理解不能な言い分に呆けていると、彼女は狂気を秘めた眼で俺を見てある提案を持ちかける。


「だが、それも今日で終わりだ!貴様のその力……魔法の根底を覆すその力を解明出来れば私はまた一歩極みへと近づける!!どうだ?私と手を組み――」


 身勝手すぎる理由を聞き、怒りに駆られた俺は彼女の言葉を遮る為にその右腿に魔剣を突き立てた。血が迸る音と、彼女があげる悲鳴で狂気を孕んだ言葉は止む。地にひれ伏し、泣きながら腿を押さえる彼女はまるで土下座をしているような格好で、その首筋は無防備だった。収まらない怒りが殺意へと変貌し、その首に剣を振り下ろそうとした時、背後から聞き覚えのある声が掛けられた。


「お止めなさい。彼女は私が罰します」


 その言葉に手を止めて振り返ると、先程アルティナがその姿を借りていた、運命の女神が自身を騙った者を睨み付けるようにしてそこに居た。

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