五十年前の出来事
外へ向かって開け放たれたドアにもたれていたライオールは、顔だけを俺に向けて疑問をぶつけてきた。
「あんとき、何で普通の籠手で殴った?あのべらぼうに魔力を蓄えた方で殴れば一発で殺れたってのによ」
「別にお前の事を殺す為に戦いを挑んだ訳じゃない。あのときは気絶させるだけで十分だと思ったからだ」
「ハッ、手加減してたって訳かよ。我ながら情けねぇぜ」
「攻撃魔法を使わなかった時点で手加減してるぞ。その度合いは天と地の差だがな」
そう言って、魔力をほんの僅かに込めた一滴の血を左腕を振る事でレンガ作りの暖炉に放り込む。するとそれは小さく音を立てて発火し、乾いた薪へと燃え広がった。その光景を見てライオールは目を丸くして呟く。
「ここまでされりゃもう何も言えねぇ。おとなしく引き下がるとするぜ」
俺が動いたことで眠りから覚めかけているのか、レリフの「んん……」という声を聴いてライオールは立ち去っていった。「頑張れよ、魔王様」と彼なりの励ましの言葉を残して。俺は目を覚ましかけている彼女へと目線を落とし、左手で彼女の背中を揺すって起こす。
二三度呻いた後にようやく起きた彼女は、うつ伏せにしていた上半身を勢いよく跳ね上げると開口一番俺を叱責する言葉を口にした。
「生きておったかこの馬鹿者!せっかくお主の口からどういう王になるか答えが聞けたと言うにそのまま死んでは元も子もないじゃろうが!」
目元を潤ませ、今にも泣き出しそうになっている彼女をどうにか宥めると、改めて心配させた事を謝った。
「ごめんな。これからは怪我をしたらすぐに治す。それは約束しよう」
「当たり前じゃろうが。どうせお主のことじゃ、『怪我を治してから答えを言っても我には届かない』とでも思ってそうしたんじゃろうが、逆効果じゃぞ馬鹿者が」
先ほどとは一転して、むすっとした表情でそう語る彼女に、きちんと治っていた右腕の礼を言う。
「本当にすまない。それと右腕、ありがとうな。あと少し持ちこたえられたら自分で治すつもりだったんだが……」
「……」
怒っているのか、黙りこくっている彼女の気をどうにか今回の出来事から反らさせようと俺は戦いの最中湧いた疑問をぶつけてみる。
「にしても、あれほどの強さがあれば勇者なんて一捻りに出来るんじゃないのか?」
俺が勇者に最初の奇襲を仕掛けたとき、彼女は勇者に対して「強すぎる」とこぼしていたが、先ほどの戦いぶりからしてそれは間違いであることは明白だった。彼女はその問いに対して、暫くの間思い詰めた顔をしながら沈黙した後にぽつりぽつりと答え始めた。
「昨日の朝、
彼女はそう前置きをして、前の勇者が魔界へとやって来た、五十年前の出来事を語り始めた。
「サラが我の城に来た時の事は昨日のように思い出せる。何せ武器も構えず、両手を挙げて『話し合いがしたい、話せばわかるはずだ』と魔王に言い寄る勇者なぞ聞いたことも無かったからの。呆れて戦う気も失せた我は彼女の話を聞いてやる事にした」
そう語るレリフの顔は微笑んでおり、昔を懐かしんでいるように思えた。彼女はその表情のまま続けざまに語る。
「聞けば、『人間側が勝っても魔物側が勝ってもこの世から争いは無くならない。だからこそ、種族の違う両者は手を取り合うべきなのだ』と理想論をのたまう彼女に具体的な案はあるのか問うと、またもや馬鹿げた回答が返ってきおった。『私をここに住ませてくれないか』とな」
そこで一旦言葉を切ると、彼女は俺に「勇者はなぜそんなことを言ったと思う?」と問いかける。それに対し俺は少し考えてから答えた。
「勇者と魔王の戦いが長引いているように見せたかった?」
魔王になり魔界の地図を見せられて始めて気が付いたことであるが、魔界は人間界とほぼ同じ広さを誇っている。人々が勝手に抱いているイメージとは異なる、緑豊かで広大な土地。それを統治している魔王が倒れたとなれば、人間界のそれぞれの国は主の居ないそれをどう分けるかという話になり、それがもつれにもつれて戦いにまで発展するのは明白だった。
そして、魔王を倒した勇者という最高の戦力がその戦いに駆り出される事も予想出来る事である。前勇者、サラはそれを嫌ったのだろう。魔物から人々を守るために振るった剣を人々に向ける事を。彼女は魔界に到着し、人間界と瓜二つであることが分かったときにはその考えに至っていたはずだ。だからこそ、そのような荒唐無稽な提案をしたのだろう。
「当たりじゃ。お主もそう考えているだろうが、サラは我を倒した後の事も考えてそのようなことをのたまった。我はというと、面白そうじゃからその提案に乗ることにした。それからというものの、五十年間城の中で生きてきた退屈な日々はどこかへ行ってしまった」
「生活を共にしながら我はサラに人間界はどのようなところなのか聞いたり、鈍った体を鍛え直すために組手を取ったり、魔界を見てみたいというリクエストに答える為に二人で身分を隠して各地を巡ったり、とな。因みに昨日会った門番、ガロアの傷はあ奴がどうしてもと頼んだ手合わせの際にサラが付けた物じゃ。傷を付けた当の本人は謝り倒しておったがの」
その様子は思い出しても可笑しいのか、レリフの顔には笑顔が咲く。だがそれも次の話を語り始めると共に消え去った。
「勇者と魔王、二人の奇妙な生活はそれはもう楽しかった。不思議と気が合った我らは生まれが違えば唯一無二の親友にでもなれたじゃろう。このまま戦わずに済めばよいと何度も思った。じゃが、そうはいかなかったのじゃ」
人魔戦争は未だに続き、レリフは変わらず目の前にいる。その事が指し示すことはたった一つ。
「結局、我らはどちらかしか残らない運命だったのじゃよ」
目の前の魔王の手によって、勇者サラはすでに亡き者になっているという事実だけだ。
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