魔拳

 先程までの余裕を捨て、真一文字に口を結んだライオールと、2m程度離れて対峙する。大きく一歩踏み込みながら拳を繰り出せば相手に当てられる程度の距離ではあったが、俺は更にもう一歩、奴の顔から目線を離さずに距離を詰めた。これで、踏み込まずにも互いの顔に拳をめり込ませられる程度の距離になった。


 そのまま互いの出方を窺うこと数十秒。いつの間にか止んでいた狂乱の声が『早くしろ!』という罵声に変わるのと同時に二人揃って弾かれるように右の拳を繰り出したが、初撃は互いの右頬を掠める程度で終る。奴の狙いも俺と同じく、顔に決定打を打ち込むことでこの対決を終わらせようとしていたらしい。


 再度熱を帯びる歓声に伴い、攻防は激化していった。ステップを刻みながら、フェイントを交えて相手の体力と防御する腕を削ってゆく。それは奴も同じで、時おり防御するために顔前に構えた腕と奴の鋭い爪が激突し、まるで鋼鉄でできた剣同士がその身をぶつけ合うような音を奏でることもあった。


 対して俺の拳はというと、奴の腕に生えた毛を抉るようにこそげとり、刈り込みを入れるくらいしか成果は出ていない。腕に当てられないのでは無く、当てることを躊躇っていたからだ。俺の拳が触れた所の毛が無くなるのは、好戦形態アグレッシブによって増強された筋力によってでは無く、俺の血でできた籠手――リィンなら『魔拳』とでも呼ぶだろう――に備わっている能力によるものだと推測されるからだ。


 解呪ディスペル――俺の魔力を流し込んだ対象にかかった魔法を解く技。魔拳で殴打すると、衝撃と共にこの技も繰り出せるのだろう。そう仮定していたが、今ここで確かめる術は無い。目の前にいる倒すべき男の顔面で試すこともできるが、それも憚られた。


 なにも奴に同情するわけではない。奴が虐げていた『力を持たない人間』と同じ存在に出来るのだからむしろ喜んでその顔に拳をねじ込みたいが、レリフ達の心境を考えると今ここでするべきではない事だと判断した。俺がそう言う能力を持っていることは彼女達は知っているが、魔族が人間と同じ存在であることは知らないのだ。


 たった一週間ではあるが、共に生活して彼女達が好き好んで殺生をするような者達では無いことは分かっていたが、今は魔族と人間の戦争中だ。ましてや魔王として長年君臨し続けたレリフは人間を殺めてしまったことはあるだろう。もし彼女がそのことを『対立している種族だから』『彼らは私達とは違うのだから』という理由で無理矢理にでも納得していたとしたら、そこに人間と魔族は同一の種族であることを突きつけるのは酷と言うほか無いだろう。


 つまり、奴に魔拳での直接攻撃は出来ないと言うことになる。ならばとれる策は一つしかない。


 痺れを切らし、唸り声と共に繰り出されたライオールの大振りな右フックを身を屈めて躱す。そのまま懐へと潜り込み全身全霊の力を籠めて突き上げた左拳で奴の顎を撃ち抜いた。もちろん、魔拳は解除していた為普通の籠手での殴打だ。そのため奴の変身魔法が解けることはない。


 俺の一撃はしっかりと入ったらしく、奴は力無く後ろへと倒れ込んだ。罠かと警戒しながらもその姿を見つめるも、十秒ほどしても起き上がらなかったことから本当に気絶しているだけのようだった。勝った――そう確信した瞬間、歓声はここ一番の盛り上がりを見せる。それと同時に、先程のように観客はある一つの言葉を繰り返し叫んでいた。


「殺せ!殺せ!」「敗者には死を!」


 剣闘士は時おり、立場が同じものと剣を交える事がある。そして、勝者は敗者の命を奪うかどうかを委ねられる。大抵の場合は観客を、あるいは自分を買った主を楽しませるために血を見せる、つまり地に伏し、息も絶え絶えの相手を殺すのだ。


 だが、俺が今ここに立っているのは誰かを楽しませるためでも、ましてや自由を手にするためでもない。ただ純粋に、自分の力を証明する。その目的を果たすためにライオールと戦い、そして勝った。奴の命を奪うことなどどうでもいい。それどころか、今ここで殺すことで『気に入らないことは力で解決する』魔王なのだと思われるデメリットの方が大きい。


 だから、俺は気絶しているライオールの頬を軽く叩いて目を覚まさせる。気が付いた奴は起こすためにさしのべた俺の手をはね除けて立ち上がり、納得いかない様子で言い放つ。


「認めねぇ……どちらかが死ぬまで戦り合ってこそ強さってのは分かんだよ!だから俺はお前の強さを認めねぇ!」


 屁理屈めいて聞こえるこの道理は、獣人の都市ここでは常識なのだろう。血を見たがっていた観客はブーイングと共に不平不満を撒き散らすが、それも長くは続かなかった。


「止めんか!」


 突如として発せられた一言で、不平の合唱は水を打ったように止む。その声が魔界を統治していた主から膨大な魔力と共に発せられたものだと直感めいて分かった為だ。その声に釣られて上を仰ぐと、レリフが真剣な面持ちで俺たち二人へ視線を注いでいた。


 しばらくの間、静まり返った闘技場で彼女と視線を交わしていると、やがて彼女は観客席から場内へと飛び降りた。小柄な彼女を十人縦に並べても届かない高さではあったが、彼女は着地寸前で風魔法を展開しふわりと着地した。


 乱入者に、眼前の男はご立腹のようで吠えたてるように追い出そうとする。


「レリフ…俺に負ける程度のお前が出て来て何にな…る……?」


 だが、彼が言い終わる前にレリフはその首筋に長剣の刃を添える。目にも留まらぬ速さで俺が投げ捨てた長剣を拾い、抜剣していたのだ。好戦形態アグレッシブを解いていたとはいえ、俺もその速さを知覚できなかった。


「我がお前よりも弱い?我は未だ死んでおらぬでは無いか。それではお主の理論だとどちらが強いか分からんだろう。それとも、今ここで……試して見るか?」


 俺も初めて見る、敵意に満ちた彼女の眼差し。それに気圧されたのか、ライオールは何も言えずに踵を返して入り口からその姿を消した。


 それを見て、観客は『どう収拾をつけるのだろう』と言わんばかりにざわめき出した。それに応えるように、レリフはある提案を俺に投げ掛けて来た。


「カテラ。我と戦え」


 白のドレスと銀のティアラは彼女の変身魔法で黒のローブと白銀の王冠へと姿を変える。その姿は、彼女が魔王城の王座に鎮座していた時の姿、すなわち魔王の正装だった。


 俺は先代魔王からの挑戦を受けるかどうか、決めあぐねていた。

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