悪夢
改めて復讐への決意を固めた俺は、魔王の冠の材料となる俺の血を杯へと貯めてから就寝しようとしていた。その寝心地を久しく忘れていた、ベッドに身を沈めて。とにかく今日は疲れた。俺の隠していた事実は勇者によって白日の下に晒され、精神的なダメージを深く負っていたのだ。今日くらいはベッドで寝ても許されるだろう。
そんなことを思いながらベッドへ視線を向ける。皺一つない純白のシーツと掛け布団からメイドであるリィンの丁寧な仕事ぶりが窺える。両手足を広げてもなおスペースがあるベッドはさながら足跡一つない雪原のようだった。せっかく綺麗に整えてくれたものを汚す様で若干の罪悪感を覚えるが、誘惑には勝てなかった。掛け布団の上に身を投じると適度な弾力を持って俺を迎え入れてくれた。枕に頭を預け、掛け布団の下に体を滑り込ませる。リィンが魔法で温めてくれていたのだろう。布団の中はほどほどに暖かく、心地よい重さも相まってあっという間に意識は刈り取られていった。
――――――
気が付くと知らない街にいた。石造りの家々はフェレール王国を彷彿とさせるが雰囲気がどこか違う。往来は賑わっているが道行く人々は俺のことが見えていないのかこちらを見ることなく通り過ぎていく。だからだろうか、人混みの中にいるのに疎外感、いや、孤独感を覚える。ふと一枚の張り紙が目に留まり、よく見ようと近づいた。そこには仏頂面をした俺の顔が鮮明に描かれていた。
張り紙の内容に気を取られ、しばらくの間は誰かが俺を見ていることに気づかなかった。背中にひしひしと視線を感じ、振り返る。行きかう人々が視界に入るが、彼らは全員足を止め、俺のことを瞬きせずに凝視していた。先ほどまでの賑わいは嘘のように、足音一つしなかった。
ぞわり、と背中に鳥肌が立つ。同時に冷や汗がどっと吹き出し、呼吸が浅くなっていく。何とかして非現実的な光景から目を背けるように前方に視線を戻す。そこには先ほどの張り紙があったが、描かれていたのは俺ではなく勇者になっていた。追放時の、あの歪んだ顔がそこにはあった。背後で囁くような声が聞こえる。聞きたくないと思えば思うほど意識がそちらに向いてしまう。音量はそれほどでもなかったが俺にははっきりと聞き取れた。何故なら、一番恐れていた言葉たちだったから。
『無能』『できそこない』『詐欺師』
それらの類の罵詈雑言。面と向かって言われたくなかった言葉たち。一言言われる度に立つ気力が削がれ、やがて座り込んでしまう。耳を塞ごうとも無駄だった。やがて耐え切れなくなり、俺の意識は途切れていった―――
――――――
目を覚ますと、魔王城の自室だった。俺の浅い呼吸音が嫌に響くほど静かだった。さっきの光景は夢だったのだろう。とても、とても怖い夢だった。ぐっしょりと寝汗をかいてしまったこともあり、そのまま寝なおすという選択をとる気は無くなっていた。ひとまず汗を流そうと、浴場へ向かった。
廊下や大広間も静寂と暗闇が支配していた。この魔王城には俺一人しかいないのではないかと思え、先ほどの夢を思い出す。囁きが聞こえて来ないようにわざと足音と歩幅を大きくして浴場へ歩を進める。浴場には灯りが付いており、先客がいるようだった。丁度良かった。この孤独感を無くす為に誰でもいいから話相手が欲しかった。急いで汗を含んだ衣類を脱ぎ捨て、湯舟へと向かった。そこには魔王レリフが居た。
「な、ななな、なんでお主がここに!?というか見るでない‼」
驚きながらもその起伏の全くない胸を隠すレリフ。その姿を見て安心したのか、目から涙がこぼれ落ちる。
「な、なぜ泣いておる!?我に同情してか!?」
その言葉に笑いがこみあげ、結果的に泣き笑いになってしまった。
「なんなのじゃお主は!?乱入してきて泣いたと思ったら笑い出して‼」
感情が収まってきたところで湯船に浸かり、今までの経緯を話した。
悪夢を見たこと。俺一人しかいないのではないかと孤独感を感じたこと。レリフを見てそれが間違いだと気付き、安心したこと。
一言しゃべったら堰を切ったように次から次へと言葉があふれだす。レリフは俺が喋り終えるまでその口を開かずに聴いてくれた。
「安心せぇ。少なくともここにいる皆は魔法が使えなくともお主を貶めたりはせんぞ」
現に限定的ではあるが使えてるしの、と彼女は笑みを浮かべながら言った。
魔法を使えない俺を受け入れてくれる仲間がいる、それだけで不安は吹き飛んでいた。
「レリフ、ありがとな」
彼女に感謝を述べ、湯船からあがる。
「なんのことやら、今のは我の独り言じゃ。もう出るのか?」
「そもそも寝汗を流す為に来ただけだ。……あとは、独り言を呟きにな」
それを聞いた彼女はくつくつと笑うだけだった。
そういえば、着替えを持ってくるのを忘れていた。流石に先ほどまで着ていたものは汗を吸っていて着るのに些か抵抗があるが、背に腹は代えらない。そのまま先ほどの服を着ようと籠の中を覗く。そこには綺麗に折り畳まれたローブがあった。到底先ほど急いで脱いだものとは思えない。リィンが気を利かせてくれたのだろう。明日礼を言っておこう。
用意されていたローブに袖を通し、自室へと向かう。相も変わらず廊下は静寂に包まれていたが、先ほどまでの恐怖は感じなかった。自室に着くと、先ほどと同様にベッドに体を投げ出す。そして寝汗で濡れた箇所を避けて布団の中に潜り込んだ。
もう悪夢は見ないだろう。そんな確信を持って目を閉じた。
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