風呂

 リィンに案内され脱衣所に到着すると彼女が隣に居るにもかかわらず俺はすぐさま甲冑を脱ぎ始めた。


 バシネット肩当スポールダー手甲ガントレット胸当てブレストプレート――

 甲冑を構成するパーツをあらかた外し終わると一息つく。防御力が高い反面、着用するのに手間がかかるのが甲冑の欠点だ。一つ一つのパーツが重く、全部着用すると総重量は20㎏を優に超える。一人で脱ぎ着できるのは筋力を増強する魔法、好戦形態アグレッシブのおかげだ。あとは鎧下ギャンベゾン――随所が補強された鎧専用の衣服――を脱げば風呂に入れる。そこで俺はある事実に気づく。


 ――着替え持ってきてなくね?


「リィン、済まないが俺の着替えを……」


 取ってきてくれないか、そう言おうとしたときには彼女の手元に俺が着ていたローブがあった。なるほど、よくできたメイドだ――そう心の中で呟くと彼女が口を開く。


「どういたしまして。お褒めいただき光栄です、お兄さん」

 勝手に心を読まなければ完璧なんだがなぁ――と心の中でボヤいた。


 流石に裸を見られるのは恥ずかしいのでリィンを脱衣所から追い出し、一糸まとわぬ姿になる。そして、大浴場へ踏み出した。


 思わず「広い」という感想が口から飛び出した。魔王城の他の内装と同じく白を基調にした大浴場は、宿屋のそれとは比べ物にならない程広かった。浴場には泳ぐことができるほど広い湯舟が鎮座しており、横に備え付けられた桶を手に取り掛湯をすると、熱すぎずぬるくもない、ちょうどいい温度だった。


 その後も2~3度掛湯を行い体の汗を流した後で入浴する。あ”あ~、と思わず気の抜けた声が口から漏れてしまう。


 何せキチンとした風呂にはここ3年ほど入っていない。魔法学院時代からずっと掛湯と香水で凌いできた。魔法の研究のために1秒でも時間が欲しかったからだ。久々の湯舟を堪能していると浴場の入口からリィンの声が聴こえてきた。


「おっ邪魔しまーす」

「来るな!!帰れ!!!!」


 裸を見られたくない一心で思わず叫んでしまう。浴場内はもうもうとした湯気のせいで視界が悪い為、彼女がどんな格好をしているのかは分からない。ぺたぺたと足音が近づいてくる。


 もし彼女が裸だったら即上がろう――そんな考えは杞憂だった。湯気の中から出てきた彼女は布を巻き付け、隠すべき箇所は隠していたからだ。


「で、なんで俺が入っている最中にお前も入ろうとするんだ?」

 一応目を閉じ、彼女の方を向かずに質問を投げかける。


「えー、だって帰ってからずっと悩んでたし、話でも聞いてあげようかなーって」

「俺が悩んでいる?なんのことだ?」

 内心焦りながらもトボけるが、効果が無いことは知っている。彼女は心が読めるからだ。

「あの僧侶の事で。さよなら、言えなかったんでしょ?」

 そういいながら彼女は湯舟に入ってきた。


「……ああ。あいつは俺のクラスメートで、タメ口をきいてくる数少ない奴で、それでいて心配症で……」

 語りながら思い出す。


 魔法学院時代、俺の功績を知っているほとんどの奴は俺に対して敬語だった。それでいて媚びを売ってくる。正直言って目障りだった。だが、アリシアだけは違った。おそらく二人とも似た境遇だったからだろう。片や『稀代の魔法使い』片や『聖女の再来』。世間から担がれた俺たちは似たもの同士だった。


 ――王国から手紙が届いたあの日から研究室に籠った俺に、毎日「倒れていないか、無理していないか」と扉越しに話しかけてきたのはアリシアだけだった。


 ――顔を合わせるたびに濃くなる俺のクマを見かねて回復魔法をかけてくれたのもアリシアだった。


 彼女からしてもらったことは思い出せない程多い。なのに俺は何もできていない。出来るのであれば、もし、出来るのであれば。もう一度彼女の前に立って思いを伝えたい。『今までありがとう。さよなら』と。


 しかしそれは叶わぬ願いだ。


 仮に今戻ったとしても勇者一行にいる彼女は勇者――あの最低な野郎――と行動を共にしているだろう。今行ったとしても罵詈雑言の嵐であることは間違いない。奇跡的に勇者に会わずに伝えられたとしても一行に戻ることを強く勧められるだろう。「魔法が使えないなんて嘘だよね?本当は使えるんだよね?」と言われて。そこで戻ってしまったら元の木阿弥だ。戻らないという事は「魔法が使えないのは本当です」と言っているようなものだ。どっちにしろ俺の自尊心プライドが許せない。


 「俺が魔法を使えない」ことを知っている奴がいてはいけない。それがアリシアならなおさらだ。


「それならさぁ」

 俺の心を読んでいたリィンが唐突に言う。

「なっちゃえばいいんだよ。魔法が使えるように」


 その言葉で当初の目的を思い出す。魔法を使えるようにする。――――そのために俺は魔界ここへ来た。目的達成の為にも一刻も早く俺の魔力に耐える触媒探しを始めなければ。タイムリミットは一週間。魔王の戴冠式の前に、魔法を使えるようにする。


 そして彼女に伝えるのだ。








『今までありがとう。さよなら』と。






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